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角館[2023.5.3]

東北旅行最終日。昨日、ホテルの洗面台に右のコンタクトレンズを流してしまったので、今日はメガネです。

昨日から盛岡駅の近くのホテルに泊まっている。朝ごはんは駅前のタリーズコーヒーで。窓からさんさんと日が照っている。コンタクトをなくしたのはショックだが、良い日になりそう。

今日は秋田へ。もともと秋田に行く予定はなかったが、昨日の午後、急遽思い立って色々と予定を変更した。8時48分発のこまちに乗り込む。ピンクの流線型が映えている。

ゴールデンウィークとはいえ、昨日・一昨日は平日ということもあってそれほど観光客は多くなかった。今日は祝日なので、朝から新幹線も一杯だ。

40分ぐらいで角館に到着。駅の看板がイケてるね。

角館は江戸時代の武家屋敷が有名で、東北の小京都と呼ばれている。この町は大名である芦名氏に始まった。秀吉の小田原攻めのあと、芦名氏は佐竹氏の与力として仕えるようになる。角館は佐竹氏の城下町として栄えた。

さて、角館の観光を始めよう。まず駅前の観光案内所で地図やらパンフレットやらをゲット。地図を見ながら、武家屋敷の方へ歩いていく。角館で降りた人はそれほどいないようだ。人通りの少ない通りを進んでいく。

15分ほど歩くと、左手に曲がって最初の武家屋敷である西宮家があり、さらに奥に行くと新潮社記念文学館が見えてくる。「雪国」の見開きのモニュメントがある。

新潮社の創設者である佐藤義亮は、角館町の出身らしい。18歳のときに一生を文学にかける思いで上京し、その7,8年後に新潮社を設立。並々ならぬ意志を感じる。

記念館では、とくに新潮社との関係が深い文豪が紹介されている。また、ミニシアターでは新潮社のマスコットであるyonda?君を模したパンダを主人公とする短いムービーが上映されている。動物園のパンダがいつもベンチで本を読んでいる女性に恋をするというストーリーなのだが、これが妙に泣けて、旅行から帰った今でもたまにYouTubeで見てしまう。

余韻に浸りながら記念館を出る。すでに抑えられないぐらいの空腹。近くのお店に入った。秋田は比内地鶏と呼ばれる地鶏が有名らしい。地鶏の卵とじ丼を注文。周りを見渡すと、海外からの観光客がちらほら目に入る。

お腹を満たしたところで、武家屋敷が集まる通りへ。

武家屋敷通りはこんな感じ。道路の両側にあるのはソメイヨシノで、これが春に満開になることをイメージしてほしい。見事な桜のトンネルになるのだろう。初夏は初夏で、緑が生き生きとしている。

通りの中ほどにある樺細工伝承館へ。地理で習ったけれども、樺細工とは。樺細工は江戸時代に武士の手内職として始まった。樺細工というぐらいだから、樺の木で作っているのかと思いきや、これは間違い。ヤマザクラの木を使って、装身具や文箱、茶筒などを作る。艶があってきれいなだけではなく、樹皮の模様が一つ一つ違った作品にしている。渋い。館内の人によれば、海外からの注文が多いらしい。こういうのが好きなコアなファンがいるんだろうなぁ。

しばし工芸館をぶらついて、外に出る。工芸館の中から見た出口はこんな感じ。

角館の武家屋敷の中でも、ひときわその歴史を伝えているのは青柳家だろう。当時の武家道具や生活の様子を伝える焼き物・絵皿のほか、当時の書籍などが展示されている。急に当時にタイムスリップしたような感覚に陥る。そして数百年前というのは、今からそれほど遠くない過去のような気がしてくる。

この青柳家にはハイカラ館なるものがあって、明治期の白黒写真がペタペタと貼ってある。顔だけ見れば、今の人と言われても分からない。こういうものを見ると、やはり不思議な気分になってくる。教科書を開けば、歴史は主に文章で説明されるから、現代の人とは一線を画した人々の営みというふうに思ってしまう。だが、目の前の写真に映っている人間は、今の私達と何も変わらない。我々は特別な時代に生きているわけではない(もちろん歴史的に見れば平和な時代だが)。

青柳家をあとにして、もう少し通りをぶらつきながら、駅へと戻った。午後の角館は観光客で溢れている。

16時58分発のこまちで仙台まで戻る。晩御飯は牛タン!実はこのお店は、自分が現役のときに受けた後期試験の帰りによったところ。1人で戻ってくるとなんだか成長を感じた気がして、嬉しくなった。

帰りの飛行機は満員でした。東北4県を訪れ、去年から続いてた一人旅欲がかなり満たされた感じがする。次はどこに行くか、思案しながらこの記録を書き終える。

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