「妻たちの二・二六事件」

昭和の代表的なクーデター事件、ニ・ニ六事件は、すでに歴史であるし、至誠(極めて純粋な真心)に殉じた青年将校たちの“美学”の物語だと勝手に思ってはいた。

彼ら21人のうち、14人が現世に妻を残している。残された妻たちが事件後、どのような人生を歩んだのか、を追ったノンフィクション。昔、読んだと思うが忘れている。

決起した青年将校たちは皆若いから、結婚したばかりで、赤子を残した者もいるが、彼らは家族よりも、至誠を尽くした大義を優先したわけである。

公にされなかった弁護もなしの暗黒裁判で、すでに死刑は決まっていたから、そそくさと妻に向けて本音を漏らした遺書を書いた者もいる。

青年将校たちは褒められるようなことをしたのではなく、反逆者として処刑されたので、残された妻たちの苦労は察するに余りある。

国を憂うということで、天皇の周りの“君側の奸”を討とうと決起して、結果的にでも秩父宮の擁立運動のようになってしまったこともあって、ヒロヒト無能天皇の激しい人間的怒りを買ってしまったのだ。

政治とは狡猾さや打算、忖度、姑息が通りまかる世界であるのに、青年将校たちはそれがわからずに結局、純粋ゆえの、都合の良い解釈や騙されやすい体質などが仇になってしまったのだ。

そんな男たちの勝手な空想の世界はどうでもよい。反逆者とのレッテルを押された夫を持った妻たちの苦悩…妻にも知らせずに勝手に決起して、国賊となって獄中にあってから、「お前のことを考えたら、死にきれねえ」とか「お前を本当に愛していた」なんてことを言われても…というのが妻たちの本音であろう。

磯部浅一の遺書。
「今の私は怒髪天をつくの怒にもえています。私は今は陛下をお叱り申し上げるところにまで、精神が高まりました。だから毎日朝から晩まで、陛下をお叱り申しております。天皇陛下、何というご失政でありますか。何というザマです。皇祖皇宗におあやまりなされませ。こんなことを度々なさりますと、日本国民は陛下をお恨み申す様になりますぞ」


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。