「怒りの葡萄」

スタインベックの小説は学生時代に読んだ記憶があるけど…。
名作「怒りの葡萄(The Grapes of Wrath)」を観た。1940年公開のジョン・フォード監督・米国産モノクロ古典映画だ。

舞台は1930年代のアメリカ。
砂嵐で不作が続いた上に世界恐慌による経済変動で資本家に土地を奪われて、故郷オクラホマからカリフォルニアへ向けて、仕事と安住の地を求め、ルート66を、全家財を投げ打って入手したおんぼろトラックで旅する貧しい農民ファミリーの悲惨なお話しだ。

「イージー・ライダー」のピーター・フォンダのパパ、ヘンリー・フォンダが演じるトム・ジョードが殺人の罪で服役してた刑務所を仮出所して実家に帰るところからスタート。

途中、元教会の説教師でホームレスのケーシーと会い、一緒に実家へ。

ファミリーは資本家に土地を奪われ、仕事を得るために新天地カリフォルニアを目指して出発しようとしてた。

ファミリーにトムとケーシーが加わって全13人で、新天地を目指すのだが、旧約聖書の「出エジプト記」がベースになってるんじゃないか。

出発して間もなく祖父が死んで道端に埋葬することから始まり、祖母の病死、長男の離脱とトラブルの末に辿り着いたカリフォルニアだけど、新しい仕事先では、まるで難民のように狭い家に収容されて安い賃金で搾取される日々。

トムは警察とのトラブルに巻き込まれて、彼の身代わりにケーシーが逮捕される。またトムの妹の夫も逃げ出す。ここにも罪を被って磔刑になるキリストと裏切り者のユダが暗喩されてるんじゃないか。

ファミリーはここを出てある農場に辿り着くが、ここも労使間で争議が起こっていた。
そこでトムは労働者の代表となってたケーシーと再会するが、ケーシーは会社側が雇った警備員に撲殺されてしまう。トムは反撃して警備員を殺してしまう。

ファミリーは農場を逃げ出し、偶然見つけた国営農場で初めて人間並みの扱いを受ける。やっとマトモな仕事と安住の地を見つけたと思いきや、殺人を犯したトムに警察の追及の手が回って来る。トムはファミリーの安全のために離れることを決意する。

彼はケーシーの話とこれまでの経験から、資本家と搾取される労働者の関係、社会の不平等に目覚め、独り逃避行に出るのだ。

アメリカ映画には珍しくコミュニズムのイデオロギーに被れそうな材料が揃ってるが、ラストのママとパパの会話で、逞しき庶民の姿とアメリカの開拓者精神で“革命というイデオロギー“を乗り切る姿が明らかにされる。

パパ「母さんは前向きだがワシにはもう気力がない。最近は昔を思い出してばかりだ」
ママ「女は男より変わり身が早い。男は不器用でいちいち立ち止まる。人の生死に動揺し土地を失っては落ち込んでね。女は川のように常に流れてる。途中には渦や滝もあるが決して止まらない。それが女だよ」
パパ「それにしてもよく痛い目にあうな」
ママ「だから強いのさ。金持ちの家は子どもがふがいないと絶える。でも庶民は雑草のようにしぶとく誰も根絶やしにはできない。私たちも永遠に続くよ。庶民だからね」

資本家による搾取によって、資本家は益々富み、労働者は一層貧しくなる。しかし、アメリカの開拓民はいつまでも耐えてるわけじゃない。かといって社会のためにと革命を目指すのでもない。他人のことよりあくまで個人とファミリーだけでの成功を目指して逞しく突き進むのだ。

資本主義の矛盾を示した社会派ドラマ、名作はやっぱり名作だった。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。