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「ジョニーは戦場へ行った」

「ジョニーは戦場へ行った(Johnny Got His Gun)」(71年・米)。

原作はダルトン・トランボが39年に発表した小説で、著者自身の初監督、脚本で映画化したもの。

小説は反戦(反政府)的な内容で、トランポはアメリカ共産党の党員でもあり、47年にレッドパージ(赤狩り)を受けてハリウッドからも追放されている。

この映画は、第一次大戦の傷痍軍人を題材にして強力な反戦メッセージを訴えてるともいえるが、そんなイデオロギーを優に超えて、サイコーに恐ろしい、忘れられなくなる超A級のトラウマ映画であった。

主人公の若い青年ジョー(ジョニーではない)は志願して恋人や家族に別れを告げ第一次大戦に出征する。

戦場で敵の砲弾を避けるために塹壕に身を隠すが、そこに爆弾が落ちて吹っ飛んでしまう。激しく顔に損傷を受けて、目、鼻、口、耳と全てを失い、運び込まれた病院で、機能しない両腕・脚までも切断される。

ただ脳と内臓の一部、生殖器だけが機能を保って残され、ジョーはわずかに首と頭を動かすことしかできない。

江戸川乱歩の短編小説「芋虫」とよく似てる。

五感を全て失ったジョーは、今どこにいて、時間も、朝昼夜も、月日も、季節も、何もわからない。なんとか皮膚感覚で、微かな空気の動きで、時たま、側に人がいるのがわかる。外から日光が身体に当たるのもわかる。胃に管を通されて食事に相当する栄養を取っている。

医者には定期的に痛み止めの鎮静剤(痛さもわからないのだが…)を打たれて、残る意識の中だけで、朦朧と現在と過去を空想して夢を見る。

自分の状況がわかってきたジョーは、自分にはまだ意識があることを伝えようとわずかに動く首と頭を必死に動かす。

クリスマスの日に、新しく担当になった看護婦が胸に“メリークリスマス”と手で一文字づつ書くと、それがわかって嬉しくなり、激しく首と頭を動かす。

ジョーは自分は単なる肉の物体ではなく、意識がある人間だということを伝えようとするが、伝える術がない。

優しい看護婦はジョーの肉体を愛しくなって、身体を拭いて撫でてる手が下半身まで伸びて…ハッキリとは描かれないが、ジョーが夢の中で真っ裸で水から弾け出るシーンで、看護婦の行為で最後まで果てたことがわかる。

ジョーの頭の中では、幼少期からの様々な人との体験が巡っている。

夢で出て来た父親がモールス信号を打つヒントをくれる。ジョーは首と頭を動かしてモールス信号を使い必死に周囲に訴えかける。

看護婦がジョーが何かを訴えかけているのではないかと思い、医師を呼びに行くが、「肉体的痙攣に過ぎない」と鎮静剤を打つだけ。

軍の医師団が訪問した時、1人がジョーが発信しているSOSのモールス信号に気付く。ジョーに意識はなく肉体が横たわっているだけと思っていた全員が驚く。

「何が望みか」とジョーの額にモールス信号を叩く。ジョーは「外に出て見世物にしろ」と答えるが、「それはできない」と伝えると、「殺してくれ」と答える。

あとは何を伝えても「殺してくれ」としか答えない。

見かねた看護婦が、喉から出てる空気を取り入れるチューブを締め付けるものの、軍医が「研究のためにも生かしておく」として元に戻す…。

身震いするほど凄まじい。ぶっ飛んでる。間違いなくとんでもない傑作だけど、この映画には絶望しかない。生きるということは何かという命題、人間の尊厳をも考える材料をくれる。

自分の意思で死ぬことも生きることもできない人間にとって生命とは何か。意思さえ示すことができない肉塊となったジョーの恐怖は容易に想像なんかできるものではない。“生きてるだけで幸せだ”なんていうけど、ジョーの前でそれがいえるのか?

映画は、ジョーの意識の中だけの自問自答のセリフと、爆撃を受ける前の現実で構成されるが、これほどまでに救いのない映画は観たことがないね。

ジョーに「君は何を望む?」と問われても、俺なんか半身麻痺だけど、五感はあるし、まだまだ君に較べたら…と何も答えられないだろう。

顔の部分に白い大きな被せるようなものを置かれたジョーは、死ぬこともできずに意識だけはハッキリとして病室に独り残されて暗くなってフェイドアウトのラスト…言葉を失うね。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。