【古典映画】「十戒」

1956年の、アメリカの宗教的スペクタル歴史映画「十戒(The Ten Commandments)」(セシル・B・デミル監督、コレが遺作)。

232分とクソ長え映画で、途中休憩を挟むが、最後まで退屈することなく面白く観れた。

これまた「旧約聖書」の「出エジプト記」が原作で、チャールトン・ヘストン(主人公モーセ)、ユル・ブリンナー(エジプトの王ラメセス)、アン・バクスター(王妃ネフレテリ)他、エキストラでも後のハリウッドの大スターが総出演でビックリ。

エジブト軍によって、紅海まで追い詰められたモーセ率いる奴隷の民ヘブライ人が、神の力によって、海がパックリと割れた中を歩いて対岸まで進む(地面が濡れてない 笑)という圧巻の有名なシーンをはじめ、神が起こした火の柱、神を現す不思議な光、モーセに神の10の戒めを岩に刻むところなど、今観るとトンデモでチャッチク見えるが、それなりに感嘆する。紅海が割れて進むシーンは、後々、いろいろとマネされてるらしい。

エジプト人の奴隷の子として生まれたモーセが、出自を隠されて、王として育てられるが、兄ラメセスに出自がバレて砂漠に追放されて、神の啓示を受けて、エジプトに戻ってヘブライ人を導き出すことになる。

段々と風貌がヒゲを蓄えた崇高な預言者みたくなってくるところは、流石はチャールトン・ヘストンだ。

しかし、神はなぜ人間を罪深き存在として作ったのだろうか?最初から完璧に神に似せて作れば争いもないだろうに。だから、大衆も懲りない。あれだけモーセに救われて、神の奇跡を目の当たりにしても、すぐに疑うし、悪い奴の言いなりになるし、欲望に負けてしまう。

そして、悪い奴ってのはトコトンしぶといねぇ。最後の最後まで死なないし。

散々、苦労させられて、死ぬ間際になってやっと神の前に行けるなんてさ。神ってのは、なんてイジワルなのだろうか。

やっぱり善と悪、功と罪はセットなんだな。どっちが欠けてもダメなのだ。

全知全能の神が人間を試す…勝手で姑息なんだな、神は。

ただ唯一神への信仰が全て、偶像崇拝を許さない、神の戒めを守る…キリスト教のプロパガンダ的側面が多い冒険活劇だね。

モーセの最初の意中の人ネフレテリから、追放されてから妻となったセファラ、モーセの右腕ヨシュアの恋人リリアなど、美人揃いだけど、彼女らの恋愛や嫉妬、誘惑、策略の物語もあって、メロドラマ風な味付けもされている。

映画の冒頭、監督自ら出演して、映画の趣旨などを説明してるから、思い入れたっぷりに作ったのだろう。ハリウッド黄金時代の超大作だな。

役柄だけど、チャールトン・ヘストンが、あんなにイケメンで力強く堂々としてたとは、ユル・ブリンナーがキリッと眼光鋭く、なかなか折れないスキンヘッドの頑固者だったとは。

ちなみに十戒ってのは…

1.主が唯一神
2.偶像崇拝禁止
3.みだりに神の名を唱えてはならない
4.安息日を守る
5.父母を敬う
6.殺人はダメ
7.姦淫もダメ
8.窃盗もダメ
9.隣人への偽証はダメ
10.隣人の家や財産をむさぼってはダメ

…以上。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。