「虐殺のスイッチ」

人のために、国民のために、国のために、きっと彼らも後で理解するはずだ…嘘が微塵もなく、恐ろしい程本気。

こうして、正義は肥大化し、善意が暴走する。

こうなると、結果、あり得ない程多くの人間を加害することになる。

そして、政治家が「国民の生命と安全を守るため」と言い出すと、既に国は大きな間違いを犯してる。歴史を振り返ればわかる。

人は、容易に思考が止まって、理性や感情もなくして、抑制が効かずに、残虐になれる。

なぜか?著者は、考えてもわからない、現実に圧倒されて思考が追いつかないという。

自分の妻が産んだ赤ん坊は抱き上げて頬を寄せて何回もキスするのに、仕事場に行くと他人の赤ん坊の脚を持って頭を壁に何度もブチ当てて殺す…カンボジアのクメール・ルージュの例で衝撃だけど、ナチス・ドイツや旧日本軍も含め、戦争時には、世界中で似たようなことが起こってる。

だから、時と場合によっては、人間は簡単に狂気に陥る。つまり、人間とはそういう存在なのだ。認めなきゃならない。

善良で優しくて純粋な人たちが当初、信仰によって悩んでる人たちを救いたいと凶悪で大勢の人を殺害する冷血な事件を起こしたのがオウム真理教だった。最初から殺害を考えて出家した信者なんかいない。

殺人まではいかないでも、正義を後ろ盾に持つと、相手を殺す勢いでトコトン残酷にイジメぬく。本人は「良い事をしてる、悪いヤツを懲らしめている」とマジで思ってる。現代社会でも、こういう例はネット上で日常的にたくさん起こってるだろう。

本来、人間には誰でもそういう素質が備わっており、いつでも暴走させる準備を整えているのだ。事前に予測はできずに暴走するキッカケはそれぞれ違っても。

だからこそ、暴走させないために、世界中の残虐で極端な例を知っておくのも意味があると俺は考える。

知性や理性からは程遠く、自国の不都合な歴史から目を逸らそうとする真の国賊為政者とそれに共振し過剰に忖度するバカ市民。こういう連中が容易に”虐殺のスイッチ“を押すのだ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。