「切腹の歴史」

俺好みの本。

切腹(Seppuku)も、割腹、屠腹、伐腹、斬腹、そして、腹切り(hara-kiri)ともいわれるが、この復刻版も、昔、読んだ様な気がする。

それとも、三島由紀夫に切腹の作法を教えたとされる文筆家・中康弘通の本だったかしら。

すでに故人の著者は、明治の生まれからか、日本古来の切腹という自害方法を選択した武士らに対して、「自分の中にちゃんと持っていながら、時流に押し流されて忘れていた日本人の魂をはっきりと呼び起こしてくれたことで、自己を含めて誰がどんなに否定しようとも、日本人なら誰しも彼等と同じ魂を持っていることを知らせてくれた」などと、同情・賛美する様な書き方をしてはいるが、時系列に、歴史上の主な切腹事例やその作法などが詳しく記してあって、古いけど、なかなか興味深く読めた。

切腹の始まりは、文献がないのでわからないが、「播磨国風土記」に、夫婦のいさかいの果てに妻がブチ切れて腹を切って入水した、という記述があるそうだ。

もしくは、平安時代の大泥棒、藤原保輔が捕まった際に、腹を割いて腸を引きずり出して自害した、とあるのが、記録に残る最古の切腹事例だという。

前に、古代中国の宮廷で、不義を疑われた女官が、“腹には何もありません。真っ白です”と腹を切ったのが始まりと俺は何かで読んだが。

その後、切腹は、武士の自殺手段として知られることになるが、武勇を誇示することを信条とした彼らが、最も勇名と気力を要する切腹を好んで行ったのは、当然のことであっただろう。

武士の自殺は、戦時、平時に関わらず、大体切腹と決まったが、勇気を誇示するあまり、割腹した上、腹中のはらわたをつかみ出して敵に投げ付けることをやった武士もいる。

それでもなかなか絶命しない。そこで鎌倉時代頃から、作法として介錯人が登場する訳だ。15世紀くらいになって来ると、切腹が刑罰的要素を帯びてくる。

切腹には、一文字腹、十文字腹、二文字腹と三文字腹などがある。また、様式や動機の違いによって、立腹、無念腹、鎌腹、扇腹、蔭腹、詰腹がある。

介錯もない正式な切腹の方法は、
①刀を左腹部に突き立てる、
②右の方へ引きまわす、
③一旦刀を抜いて、みぞおちを刺して心臓を貫く、
④さらに刀の柄を逆に取り、下腹へ押し下げて臍まで至る、
⑤なお、気力があれば刀で喉を突く…というもの。スゲ〜。

日本で最後の切腹は、三島由紀夫とされるが、確か、ヒロヒト天皇が死んだ時に、皇居前で切腹した人がいたと思うけど…もしくは、右翼人がどこかで切腹したとも聞いたが。

最後に「檄」まで載せて、三島由紀夫のことを書いてあるが、「心ある者ならここに止むに止まれぬ大和ますら男の絶叫を聞くであろう」などと書いてる。俺は心がないけどね(笑)。「セップクゥ!」by ギター侍

そういえば、先の大戦終結の時、つまりポツダム宣言受諾の時、大東塾の14人以外に大きな切腹は聞かないなぁ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。