「三島由紀夫と死んだ男」

三島由紀夫とともに自決、介錯を受けた森田必勝氏(当時25歳)について。

必勝(マサカツ)という名前が、先の大戦で日本が必ず勝つようにと付けられたというから、もう彼の人生は右派で決まったようなものだ。

今年は三島没後50年ということで、また例によって死の真相に迫るみたいな駄本が続々と出版されてるが、“楯の会”のメンバーに焦点を当てた本は珍しいと思う。

森田氏の中・高校生時代から早稲田大学入学と民族派の活動、三島由紀夫との出会い、自衛隊への体験入隊、楯の会の活動から事件に至るまで、マニアの俺も未見だった写真も入ってて、興味深く読んだ。

高校、大学時代に恋人に宛てた手紙を読むと、今じゃ純過ぎていじらしい感じがする。

そんな森田氏も、楯の会で本格的に活動する前に、独り、当時ソ連が支配する北方領土への渡航を計画してたり、行動を伴うラジカルな右派思想を若くして持ってたことがわかる。

彼はなぜ三島とともに腹を切ることになったのだろう。当時のマスコミには2人は同性愛関係にあったなどと、全く失礼なことを報じたところもあったらしいが、森田氏は、活動初期の頃から「先生のためなら、いつでも死にます」と三島に手紙を送ったりしてるから、もしかしたら、彼の熱過ぎる情熱に三島も突き動かされたのかもしれない。

「覚悟のない私に覚悟を固めさせ、勇気のない私に勇気を与えるものがあれば、それは多分、私に対する青年の側からの教育の力であろう」と書いてるし。

俺は三島の死は一種の美学だと思ってるが、森田氏の右派思想への熱情が、美学の完成に至るまでの三島の行動に、タイミングが上手く合致したのかもしれない。

画像1

画像2


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。