【邦画】「伊豆の踊り子」

1963(昭和38)年制作のカラー映画「伊豆の踊り子」(西河克己監督)。

原作は、言わずと知れた文豪・川端康成の名作。

同作品は6回も映画化されてるというが、コレは吉永小百合と高橋英樹版。

最後、74年の、百恵ちゃんと友和さんはなんとなく覚えてる。間違えやすい聖子ちゃんは「野菊の墓」なんだよね。

コレもある意味、吉永小百合さんで持ってる映画だな。映画としてはイマイチだし。

高橋秀樹氏の存在が霞んでしまう程、小百合さんの美しさ、可愛らしさが際立ってる。当時、18歳だったという彼女は、野郎が勝手に理想とするものを全て持ち得た、まさに天真爛漫で純粋無垢な聖女のよう。処女崇拝者だった川端康成にピッタリのキャラだね。

始まりは、ある初老の大学教授(宇野重吉)の回想という形を取ってる。学生結婚の報告に来た生徒たち(相手のダンサーの女の子も吉永小百合さん)を見て、自分の若い頃の恋模様を思い出すのだ。

学生の川崎(20歳)は、伊豆への旅で、旅芸人の一行と一緒になって、一番年下の薫(14歳)に惹かれ、薫も川崎を強く慕い始める。
川崎は薫を映画に誘ったが、学生と旅芸人、このままいくと、二人は心の傷を深めるだけで所詮どうしようもない恋であると判っていた薫の母親が、映画に行くのを許さない…。

美しい淡いプラトニックな恋の物語だが、昔の男だからといってしまえばそうだけど、学生の川崎は、彼女が大きな荷物を持ってるのに、持ってあげようとはしないし、彼女の言いなりになってることが多く、彼女をリードすることもない。何か彼女に助けてもらっても、照れ臭そうに短く礼を言うだけで、後はスタスタ先に行ってしまう。

ちっとつれないんじゃと思うけど、コレは川端康成の、豊かな表情を見せない鉄面皮のような冷たさ、人への関心の無さに由来してるのかも。川端康成は日本の美、情景、旅情、抒情といったものを深く愛した割には、実際には情がなくてとても冷たいのだ。

ソレを考えると、別れの朝、密かに港まで見送りに来て、泣きながら一生懸命に手を振る薫が可哀想でならない。

昔の温泉は混浴だったから、薫が川崎を見つけて、湯殿から、白い裸身で無邪気に手を振る姿が想像されてたまらなくなるね。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。