【古典邦画】「怒りの街」
成瀬巳喜男監督の、1950(昭和25)年の作品「怒りの街」。YouTubeにて。
三島由紀夫も小説(「青の時代」)にした「光クラブ事件」をモチーフとしたと思われる(同クラブのようになりたいとのセリフがある)作品で、戦後のドライなアプレゲールの学生を描く。
森と須藤の成績優秀な大学生の2人。
ハンサムな須藤(原保美)が、森(宇野重吉)の書いた筋書き通りに、ダンスホールなどで金持ち女に近付いて、上手く騙して、大金をせしめる。
2人は、アルバイトに苦労する貧乏学生の同級生を尻目に、こうして学費や下宿代、生活費を稼いでいた。
ところが、騙したある成金の娘が友達の婚約者だったことと、須藤が銀座の歯科医で闇ブローカーの金持ち不良中年女にハマったことで、2人の関係に亀裂が生じる。
さらに、森は、生活に苦労する森の身内等を目にしたことで、これまでの自分たちのやり方に疑問を感じることになる…。
2人は、まさに光クラブの学生社長のごとく、徹底した合理主義的で、女を騙すことは「知能のスポーツ」と豪語する。決して肉体関係は持たない。
ところが、森が、須藤の妹の兄を心配する悲しい目を見て、激しく感情を揺さぶられる。そして、自分たちのやり方に嫌気が刺した森は、須藤を説得しようとするが、拒まれて、取っ組み合いのケンカをする。
須藤は、すでに後戻りできないところまで行っていたのだ。祖母の死にも「やっと片付いた」と冷たい。
しかし、事はそう上手く運ばない。騙された女の父親が差し向けたチンピラが、須藤の顔を刃物で切り付けた。病院で、顔に大きな傷が残った須藤は、「今度は、この顔のキズを売り物にする」という。
成瀬監督らしく、アプレゲールという戦後すぐの世相を強く盛り込んだ作品で、ピカレスク(悪漢)ロマンのようだが、混乱する社会の中で人間のモラルの意味を問うたのだと思う。感情が優先されて、全てが合理的に運ばないのが人間なのである。