「戦艦大和」

もうすぐ「開戦の日」(12・8)だからってわけじゃないけど。

21歳で学徒兵・副電測士として「戦艦大和」に乗艦した著者の、ありのままの体験記。

坊ノ岬沖海戦に遭遇して命辛辛、奇跡の生還を果たした著者が、大和の撃沈に至る一部始終を、文語体(ちょっと難しい)で書き記した。

戦記文学というか、強烈な反戦文学でもあるな。

「皆、口を揃えて言う、「国のため、君のために死ぬ、それでいいじゃないか。それ以上何が必要なのだ…」。
彼、色をなして反問す、「君国のために散る、それは分かる。だが、一体それは、どういうこととつながっているのだ。俺の死、俺の命、また日本の敗北、それを更に一般的な、普遍的な、何か価値というようなものに結び付けたいのだ。これらいっさいのことは、一体何のためにあるのだ」。
「それは…無用な、むしろ有害な屁理屈だ。貴様は特攻隊の菊水のマークを胸に付けて、天皇陛下万歳と死ねて、それで嬉しくはないのか」。
「それだけじゃ嫌だ。もっと何かが必要なのだ」。
すると、「よし、そういう腐った性根を叩きなおしてやる」と鉄拳の雨、乱闘の修羅場となる…」

敗戦の色が濃くなって、死ななきゃならないとの思いが強まっていく中、精神主義ででも自分を鼓舞して奮い立たせるのは、もう仕方のないことだったと思う。

「いっさいを吹き掃われたるかと見れば、朽ちし壁の腰に叩きつけられたる肉塊、一抱え大の紅き肉樽あり。四肢、首等の突出物をもがれたる胴体ならん…」…目の前で戦友が爆弾でバラバラの肉塊となってしまった様子が長々と記されている。凄まじい。体験しないとわからないだろう。

戦後すぐにこの本が出版された直後は、占領軍の検閲下でもあって、軍国主義を美化してると戦争参加責任を問う批判が、当時のブサヨの連中から相当あったようだ。

著者は自分の戦争体験を素直に記録して、責任ということにも思いを巡らせている。

上も下もほとんどが責任なんて曖昧にしてる中、真摯な態度で戦争に対する思いをちゃんと書いているだけでも素晴らしいと思うけどね。

多感な青春期に戦争に参加した自分を全否定することは、後の自分を全否定することにも繋がるもので、相当苦悩するものだと思うけどなぁ。

ちゃんと責任を請け負うために上官や大本営、形だけでも、もっと上の超A級戦犯天皇ヒロヒトがいたはずなのにね。

画像1


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。