「アホになる修行」
横尾忠則さんの言葉集。
昔、三島先生をモチーフにした作品“終わりの美学”のデッカいポスターを部屋に飾ってた。横尾さん、もう83歳なのかぁ。
「アホになる修行」ってイイね〜!普通、賢くなろうと情報を詰め込んだり、いろんな表現に接して知識を増やそうとしたりするのだが、たいていバカがさらにバカになる例が多い。
横尾先生の「アホになる」は、“自由を獲得するために、こだわりを捨てて、遊びの精神を忘れず、言葉に縛られず、頭でなく身体の言うことを聞く”ことなのだ。だからアホになるのは難しい、容易ではない。アホになるのも修行がいるのだ。
江戸時代の宗教家、黒住宗忠が一生を通してアホになる修行をしたという。
確かに情報洪水の中で、我々はいつも考えなきゃいけなくなって、常に悩ましい問題に振り回されている。アホに問題なんて縁がないだろう。さらに考えることを自然に強制されると、逆に考えることができないバカが量産されるものだ。
絵やデザインのことはよくわからないけど、問題意識を持って考えて悩んで悩みぬいて完璧な一つの作品を完成させるよりも、描きたいから描いてたらいつの間にか作品ができて周りが評価してくれたという方が人の心を打つ素晴らしい作品だったりするものだ。アウトサイダー・アートにも通じる。
ムリにわかろうとしなくても、謎のままでもいいのだ。意味なんてわからなくても、なんとなく好きだなぁとか嫌いだとか感じれればそれで充分だと思う。理解したからって作品の価値が左右されるものでもないし。
役に立たないからこそ、実は役に立ってるのだ。無為な時間こそ有為な時間はない。
表現とは本来、意味なく外に溢れ出すことで、そこにいろいろと思索が入って来たら、曇ってしまうものだと思う。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。