「沈める滝」

再読。著者30歳の時の作品。

山奥のダム建設工事現場が主な舞台で、泊まり込んで越冬する様子など、詳しく書かれており、多分、綿密に取材を重ねたのだろう。

重要な作品と位置付ける評論が多いが、俺は、ダム工事を背景にした不倫の男女の物語とはいえ、愛という芸術よりも、厳しい自然環境の方に重きが置かれており、いつもの三島節が薄れているように思える。

子供の頃、鉄や石ばかりを相手にして遊んでいたことで、決して愛など信じなくなった青年が主人公。
祖父が電力会社の会長で財に恵まれ、稀に見る美青年であることで、女との色事は数知れないが、それはただ即物的関心のみで、誰とも愛情を持つことはなかった。

青年はある日、人妻に出会って惹かれるようになるが、それは彼女が不感症であったからだ。
青年は彼女に、「誰をも愛することのできない二人がこうして会ったのだから、嘘からまことを、虚妄から真実を作り出し、愛を合成することができるのではないか。負と負を掛け合わせて正を生む数式のように」と提案する。

青年は、ダム建設工事現場への赴任を志願して、山籠りをすることになる。越冬が終わって休暇中に会った人妻と青年は一夜を共にするが、人妻の不感症は治っていた…。

青年は、同僚に「あの人は感動しないから、好きなんだ」と打ち明けるが、それを聞いた人妻は絶望して、「あなたはダムでした。感情の水を堰き、氾濫させてしまうのです。生きているのが怖ろしくなりました。さようなら」と遺書を残してダムに身を投じる、という三島らしい結末。

青年に出会ったことで、人間らしさを取り戻して“女”になった人妻を、芸術至上主義の下で抹殺してしまったのだ。確かに愛情とは虚妄であるが、だからこそ人はそれに、時に命さえもかける。そこには人間らしい営みと文化が生まれていくのだ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。