「オウムと私」

元オウム真理教幹部で、元医師の林郁夫(無期懲役囚)の手記。

けっこう分厚い文庫だけど、格安古本でゲット。

地下鉄サリン事件の実行犯のひとり。

開業医の家庭に生まれて、順調に慶應の医学部を卒業して、心臓血管外科専門の医者(石原裕次郎の手術チームの一員だった)になったが、癌などの不治の病の患者と接するうちに、“死”について、現代医学や科学では説明不可能なものがあるんじゃないかと深く考えるようになったという。

カルトに走るキッカケになった大元であるが、決して思考・哲学してるんじゃなくて、短絡的に答えを求めるあまりに、ここで思考・哲学することを止めてしまったのだね。

最初、仏教の一派、阿含宗の信徒となって“修行”なる行為を積む中で、麻原彰晃の本と出会って感化されて入信となったわけだ。

幼少期から思いやりのある子といわれて、人助けがしたくて医者を目指したらしい。イタい…。

でも、カルトに定番の、自分が信仰する宗教を、大きなお世話で、診察でも患者に説いたり、勧誘してたというから、クソ迷惑な先生だったのだろう。

彼は、宗教を、個を規制する時代、社会のルールから個を解き放つ営み、つまり真の精神の解放と自由を得るものと考えてた。そこで、なぜ麻原彰晃を絶対者としたのか、理解に苦しむところだけど、麻原こそが最終解脱者であるが故に、麻原が命じる、実行を指示することは、例え犯罪行為であっても、それは時代を超えて、社会を超えても、ただ唯一の真理であると考えてしまったのだ。

麻原彰晃は、林郁夫に対して、彼が修行への取り組みや教義の実践に対して、とても真面目で熱心だったから、全てを曝け出すと危ないと考えて、一定の距離を置いてたらしい。

入信してから、常に、麻原のやり方に対して疑問が湧いてきたが、麻原彰晃は俗な人間を超えた絶対帰依者だからと無理矢理にでも納得させていたという。

麻原の世界の住人であった林郁夫は、麻原の指示を断ることはあり得なかった。自分が正しいと信じた麻原の世界での倫理観に誠意を尽くそうと考えた結果が、一般社会に大きな被害をもたらしたのだ。

当時の林郁夫にとって、サリンの被害者は、オウムを攻撃する国家権力の代表者たちだったのだ。

麻原と教団が警察に追い詰められることになってから、麻原の人間的な卑しさや浅ましさ、妬み、狡猾さ等、負の部分を目のあたりにして、やっと、麻原は決して最終解脱者ではないことに気付く。

それでも、麻原を裏切ったことになって地獄に堕ちることを怖がっている。そうなっては未来永劫、解脱はできないと真剣に考えている…。

人間が想像力で生み出したに過ぎない、単なる概念である“悟り”とか“解脱”とか、もっといえばスピリチュアルとか、いったい何の科学的根拠があって全面的に信用するのか。脳内麻薬の発生か、気持ち良く感じるとか、感覚・感情の一部でしかないものに、どうして多大な意味を持たせるのか、全くわからないけど、もしも、精神が、最終的に絶対的な極みに到達した(単に狂うことだけど)としても、そこに至るまでの過程で、なぜ一宗教の狭い教義が必要となってくるのか?まあ、それがカルトだからしょうがないけど。

まず、宗教は決して信仰するものではないと思う。自分の都合の良いように共感するものだ。そして、自分の心の内だけのもので、それを利用して他人に説くものでも、排他的になるものでもない。あくまで個人の心の内だけで完結するものだと考える。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。