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「ヒットラー」

2003年のTV映画「ヒットラー(Hitler: The Rise of Evil)」(クリスチャン・デュゲイ監督)。
プチ・ナチ・ヲタだった俺はやっぱ観たい。

少年時代からクーデター未遂事件のミュンヘン一揆までを描いた第一部「我が闘争」と、ナチス政権誕生からレームはじめ突撃隊等の粛清事件”長いナイフの夜“までを描いた第二部「独裁者の台頭」に分かれてる。

ストーリーは概ね史実に沿っているが、青年以降のヒットラーを演じた俳優(ロバート・カーライル)が独裁者としての威厳や貫禄、自信を全く感じさせない。背が低くて痩せて小さいし、いつも眼をキョロキョロさせてオドオドしたチンケな人間に感じる。要の演説も落ち着きがなく単に声を張ったように見えるし、髭を蓄えても痩せた小さな顔に似合わずに、まるでコメディみたい。周りの側近の方が堂々としてるぢゃないか。ミスキャストじゃないだろうか。

好きになった女、姪のゲリや後の妻となるエヴァ・ブラウンをカゴの鳥のように閉じ込める精神異常のサイコパスの一面を全面に出したからか。ヒットラーの異常性を描くために、わざとこういう風にしたのか。でも、同じ異常性を描くのでも「ヒトラー 最期の12日間」の方がずっと上だ。

俺はヒットラーは当初から特別、犯罪的に異常だった人間だとは思えない。そうだったら、大衆の支持を得て上り詰めることはできなかったろうし。ちょっとばかり特異な思想を持った、上昇志向の強かった人間で、後は時代の雰囲気と周りの人間の盛り上がりで、段々と異常と狂気が身に付いてきたのだと思う。

ヒットラーは“極端な悪”を体現した人間として語られるからこそ、そこに人間の根源的なモノをくすぐる魅力もあって、いくら時代が変わろうと忘れ去られることは決してないだろう。

この映画を支配してるのは“憎しみ”だ。千年帝国をウソぶって未来志向であっても。幼い頃は出自や周りの大人たちに対して。青年期は認めてくれない大学や仕事に、第一次大戦の同僚や上官に、ナチス時代は敵対する政治家と袂を分かつ同志に、自分の思い通りにならない女たちに。そして、歴史と時代に。

歴史は繰り返す、じゃなくて、歴史は進む、いつもたくさんの誤ちとともに、だな。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。