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保科灯香の思い出ぽろぽろ22  −ベストフレンド−

プロローグ

小さい頃の勘違いってあるあるですよね。

アパマンショップをアンパンマンショップだと思ってたとか、
ダンボールの荷物にかいてある取扱注意のマークを
ロボットだと思ってたとか、

わかります?
あのダンボールを両手で受け取ってるマークのやつです。
受け取るには角度が変なんですよね、
ちゃんとかかないから勘違いされるんだよ。
(逆ギレ)

あのマークは、
考えてみれば
錯覚にも捉えられません?
ルビンの壺 的な。
見る人によって 見え方が違う、みたいな。
だから ひっかかるのは当たり前だ!
むしろ ひっかかる人がいないと成立しないんだ!

…と 勘違いって恥ずかしいから
正当化させたくなるんですよね。

前もプロローグネタで書きましたけど
古畑任三郎と古舘伊知郎を言い間違えたときも
(いや どんなシチュエーションだよ)
母に指摘されて、
あ ほんまや。
古舘伊知郎って言ってるわ。 
って気付いたのに、
恥ずかしくなって
泣き出してしまったんですよ…。

いや なんで泣くん?
って思われてたでしょうね。
関西人として
情けない対応だったと思い、
思い出すたび恥ずかしくなります。

もうちょい ましな対応ができてれば
ここまでの黒歴史にはならなかったな
と悔やむばかりです。

以上プロローグでした。
本編の内容は関係ありません。

本編

どうも皆様こんばんは。
保科灯香です。

今日は
幼稚園の頃の思い出を書きます。
記憶力がないので数少ないものを
かさ増しして書くつもりです。


人見知りの口ベタの自称アニオタの友だちゼロの
陰キャを体現したような私ですが、
幼稚園の頃は友だちがいたんです。
ほんとですよ! 1人だけですけど。

お互いの家に行っていたので
友だちと言えると思います!
お喋りをしているときの記憶は正直ないのですが
喋らずとも通じ合えるほどの仲、ということにしておきます。

友だちいないからハードル低くなってるわけではないです。
むしろ友だちがいない人は
友だちという定義へのハードルは高いと思います。
(完全に偏見、ソースは私ってやつです。)

小学生のときも
家に行き来した子はいましたが
1、2回ずつだけでしたし、
クラスが分かれたら自然消滅する程度だったので
友だちとまでは言わないと思ってます。

それになにより その子、
家に上がってきて 自分の宿題やらせる子だったんですよ…。
その内の1人が
宿題やらされたって先生に泣いて訴えてからは
パッタリ関係が途絶えました。

気分のいい話ではないですね。
それに悪い話 蒸し返すのも悪いですし。
話 戻しましょう。

幼稚園の頃 唯一いたその友だちは
あんちゃんと呼んでました
(アニキ肌だった訳ではないです。
名前から取った愛称です。)

ハーフみたいな きれいなシュッとした子で
私とは全然違いました。
未だに なんで仲良くなれたんだろうと思います。
あの頃は 見た目とかそういう違いは
気にならなかったんでしょうかね。
いや あんちゃんが優しい子だったのか。

母親同士も仲良くなって
クラスが分かれても 3年間一緒に遊んでいて、
何度も家に行き来しましたし、
お気に入りの物やおもちゃを見せ合ったりしました。

あんちゃんには、
何歳ぐらいだったかな、
結構 年の離れたお兄さんがいて、
もう顔も覚えていませんが、
生まれたばかりの弟と
一緒に遊んでくれていたことは覚えています。

家が離れていて 校区が違ったので
小学校からは分かれてしまい、
もう会うこともやり取りも全くしていません。

元気でやってるかな、とふと思います。
人のこと心配してる場合じゃないんですけどね。
自分のこと考えていかなきゃならないのに
自分のやりたいこともわからない…
いやぁ情けないな、
会えたとしても合わせる顔がないですわ。
(関西弁のですわのイメージで読んでください。)

長くなってしまったので
今日は この辺にします。
幼稚園の思い出編 続きは次回書きます。
ありがとうございました。

エピローグ

今回も拝読ありがとうございました。

私は 日々 ボーっと生きているので
記憶が人よりかなり少ないんです。
なので その少しを大事にしたいなと思って、
幼い頃の思い出を書き留めることにしました。

画像は
イメージの合うものを借りさせていただきました。
Tome館長さん ありがとうございます。

次回も読んでいただけるとうれしいです。
ありがとうございました🙇
(文字だらけでつまらないなと思ったので
絵文字いれてみました😝)
キモかったら教えてください。


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