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道元禅師とユング

仏教というと、お葬式や法事のイメージではないでしょうか。私はずっと「亡くなった方をお経であの世へ送るお仕事」と思っていました。今、日本で仏教といえば、大半の方は「お葬式や法事でお世話になる」というイメージしかないのではないかと思います。

ところが。そうではないのです。

まず、仏教はインドで生まれました。お釈迦様が開祖と言われています。お釈迦様は釈迦族の王様のご子息で、お名前をゴータマ・シッダールタといいます。仏陀(ブッダ)というのは「さとりの境地に達した者」という意味で、仏陀はゴータマ・シッダールタさんただ一人。「お釈迦様」と呼ばれるのは、ゴータマ・シッダールタさんが釈迦族の王子様だったからだそうです。

お釈迦様は、ご自身が『さとり』をひらかれたことを弟子たちに説いています。お釈迦様がお亡くなりになった後、弟子たちがお釈迦様の教えを世の中に伝えようとしたことが宗教になっていったようです。それがお経の中に書かれています。例えば、有名な「般若心経」の中に「舎利子」という言葉が出てきますが、これ、人の名前なんです。お釈迦様が、弟子である舎利子さんに教えを説いている、という形になっています。要するに「信仰」ではなく、「お釈迦様の教えを実践して、『さとり』を開く道」を説いているんです。ということは、仏教は亡くなった方のためにあるものではなく、生きている人のための教え、と言えると思います。いえ、生死も超えているのかもしれません。

日本では一般的に、仏教といえば「宗教」と捉えられていますが、学問としての仏教「仏教哲学」はドイツが最も進んでいるそうです。ですから、日本からドイツまで仏教を学びに行かれるお坊さんもいらっしゃるそうですよ。私はそんなことはまったく知らなかったので、本当に驚きました。で、私の師匠、村山先生は、この仏教哲学を教えてくださったんです。

お釈迦様が生まれたのは約2500年前。それから現在まで、たくさんの人が仏教を学び、さとりを開こうと努力し、それを文章に残してくださいました。いろんな方が、それぞれの解釈で経典や文章を書かれていますから、ものすごい数の経典・文章があります。そのすべてがありがたいお話なんだろうと思いますし、村山先生もいろんな経典の解説をしてくださいました。

本当は村山先生の解説を多くの人に知っていただきたいと思いますが、公の場にそのまま書いてしまうわけにはいきません。なので、村山先生の解説を引用しながら、私の感想を書いていこうと思います。私が師匠の仏教塾に通ったのは、ほんの1年ほど。あとは先生がDVDでお話されているのを見て学びました。その少ない中で、最も私が「しびれるー!」と思ったお話を書こうと思います。

それは曹洞宗の開祖、道元禅師の「正法眼蔵」という仏教思想書の中の、「仏性の巻」です。この「正法眼蔵」、難しいので有名なんだそう。全部で87巻あるのですが、その中でも最も難解なのが「仏性の巻」と言われています。それを私が書いてしまうのは手が震える思いですが、・・・書いてしまえー!

道元禅師は鎌倉時代の人です。1200年にお生まれになりました。お釈迦様の教えが始まった頃から1000年以上経って生まれた、ということになります。この1000年以上の間に仏教も進化を遂げ、様々な素晴らしい教えが出ました。が、そこを全部すっ飛ばして、いきなり道元禅師の話にいきます。

まず、ユング、という人のことはご存知だと思います。19世紀スイスの心理学者でユング心理学を創始した人です。仏教と何の関係があるのか、と思われると思いますが、実は、このユング心理学と道元禅師の仏性論は同じことを述べているのだそうです。

仏性、聞いたこともない、という方がほとんどだと思います。もちろん私もまったく知りませんでした。ウィキペディアによると、

仏性(ぶっしょう、梵: Buddha-dhātu)とは、衆生が持つ仏としての本質、仏になるための原因のこと。主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理である。覚性(かくしょう)とも訳される。仏教では、この仏性を開発(かいほつ)し自由自在に発揮することで、煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができるとされる。この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び、仏法修行の究極の目的とされている。

わかりませんね~💦

一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)という言葉があるのですが、「ブリタニカ国際大百科辞典の解説」によると、

生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性 (仏性) をもっており,すべて悟りうるという仏教の思想。諸説もあって,なかには仏性をもたないものもありうるとする説 (法相宗) ,草木などの精神性をもたないものにまで仏性があるとする説 (天台宗) ,精神性をもたないものは仏性をもたないとする説 (華厳宗) などがある。大乗仏教の『涅槃経』にみえる句。

と、あります。要するに、「一切の衆生に、ことごとく仏性あり=すべて生あるものは、ことごとく仏となる可能性を有している。」ということのようです。また一般的には「仏のように情け深い性質。慈悲深い生まれつき。」と解釈していたりします。

この仏性論、4世紀くらいにできた涅槃経というお経の中に出てくるのですが、仏教の革命的な考え方だったそうです。仏はどこにいるか、お墓でもない、お寺でもない、自分の心の中にいる、という考え方なんだそう。でも、この思想が生まれて700年後の道元禅師はこれに異を唱えます。まず「悉有仏性」をどう解釈しているか。

ここからは村山先生に教わった内容です。

「悉有(しつう)」という世界がある。それは、「ことごとくある。いつでもどこにでもあるもの」。言葉を変えると「宇宙中充満しているものがある」という世界。で、その充満しているものこそが「仏性」である、と。

「仏性」ということは、「仏の性質」とも読めます。仏の性質、ということは、当然、善意しかないですよね。だから「この宇宙は善意で満ち溢れている。あらゆるものを幸せにしようという心しかない。」ということになります。

次に「一切衆生」。道元禅師は、これを一切(いっさい)とは読みません。一切れ(ひときれ)と読みました。その一切れを、衆生という。

だから「一切衆生悉有仏性」とは『宇宙に善意が満ち満ちている。その一切れを取ったものが、人間の心なんだ』ということになるそうです。この道元禅師の解釈を、村山先生は絶賛されていました。

次はユングについて調べてみました。ウィキペディアによると、

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日―1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。精神科医であったユングは、当時の精神医学ではほとんど治癒できなかった各種の精神疾患に対する療法の確立を目指し、心理理論を模索していた。フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態(1906年 - 1913年)となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。

と、あります。

道元禅師は1200年に生まれていますから、ユングさんは道元禅師の約700年後に生まれた方ということになります。日本では、河合隼雄さん(京都大学名誉教授・元文化庁長官)が日本人として初めてユング派分析家の資格を取得し、日本にユング心理学を普及させたそうです。ということで、「ユング心理学と仏教」「無意識の構造」河合隼雄著、という本を読んでみました。

フロイトとユングが研究していたのが、「無意識」。「無意識」というのは、自分で意識できない意識を言います。この概念を最初に発見したのがフロイトです。ユングがフロイトの『夢判断』という書物を読んで感激し、フロイトを訪ねたことが両者の出会いとなりますが、後年、フロイトから離れ、独自の「分析心理学(ユング心理学)」を創始します。

では、ユングとフロイトの一番の違いは何でしょうか?学問上の理論の違いなどはもちろん解説できませんので、私の勝手な解釈を書きます。それは、『「無意識」の範囲』です。

フロイトは、幼少期の体験やコンプレックス、受け入れがたい出来事が起きた時の心の傷などが、自分で自覚できない無意識の領域に押し込められている、とし、その抑圧されたものを意識化することによって、身体的な症状を治療しうる、と考えました。

これに対してユングは、フロイトの理論ではどうしても理解できない患者に接するうちに、フロイトの捉える無意識のさらに深層に、人類一般に共通の無意識がある、と考えました。これを「集合的無意識」といいます。

「潜在意識」とは有名な言葉ですから、みなさんご存知だと思いますが、今自分が認識している世界の意識を「顕在意識」と呼び、自分で認識できない意識を「潜在意識」と呼びます。この「潜在意識」に段階があり、フロイトの考える無意識(潜在意識)よりも、ユングの考える無意識=集合的無意識(潜在意識)の方が深部にある、というイメージです。

ここで、ようやく仏教に戻ってきます。「仏教哲学」としての仏教では、経典を哲学書として読み、潜在意識の段階のことを述べています。

ということで、次に「意識の形而上学」井筒俊彦著 この本を読んでみました。・・・が、難解―――! この本、目次を見ただけで本を閉じたくなります💧 が!頑張って読みました!

この本は「大乗起信論」という経典について書かれています。大変難しい本ではありますが、私なりに解釈してみました。まず、難しい用語を自分の知っている単語に置き換えてみます。

◆真如・無・空・形而上≒仏性

◆無明(妄念)・形而下=今、現在、人間が認識している世界(顕在意識)

◆意味分節体・存在分節体=人間個人・石・木・草など、この世界に存在する「もの」

本を読んでいないと、さっぱりちんぷんかんぷんだと思いますが、要するに「今現在、人間が認識している世界」は、仏性が分かれて出来上がっている世界だということ。
この世に存在するもの(生命があろうとなかろうとすべてのもの)は、すべて仏性でできている、ということ。
を、論じているのです。・・・と思います💦

これ、道元禅師の話と共通してますよね。道元禅師は「一切衆生悉有仏性」を、「人間というのは、仏性の一切れである」と仰っています。
村山先生は、道元禅師のいう「仏性」と、ユングのいう「集合的無意識」が同じものである、と教えてくださいました。実際、仏教の言葉で、末那識・阿頼耶識という言葉があるのですが、

末那識(まなしき)=フロイトのいう無意識
阿頼耶識(あらやしき)=ユングのいう集合的無意識

と、捉えられているのです。(まったくのイコールではありませんが。)

これ、すごいと思いませんか?お釈迦様は2500年前の方です。この時、すでにこういう考えを説いていた、ということになりますよね。道元禅師、今から約800年前の方です。この時にユングと同じ考えを書き残しているわけです。もっと言えば、お釈迦様の前にも同じような考えがあったわけです。

そして、村山先生は、
「人間は、もともとの持っている心に、自分も幸せになり、人をも幸せにする、絶対の心を持っている。一切れ持っている。この一切れを、どこまで拡大させるかが、人間の最も大事な所。」
これが道元禅師の主張だと仰います。

さらに、
「自分の心の中に寝ている、自分を幸せにする心、それをどうやって自分の顕在意識に持ち上げて、自分の中で、アイディアとして持ち上げられるか。他からこの人を救おう、なんて、絶対できやしない。全部、自分の問題は自分で解決できるだけのものを自分で持っている。もっと言うと、解決できる問題以外はない。だから、自分の周りにある、自分の生活に起きている悩みから、逃げてはいけない。悩みをごまかしてはいけない。絶対解決できる問題しかないから。逃げるな、ごまかすな。全部自分で解決できる。」

これが村山先生の基本的な人生観だとおっしゃいました。この人生観は、道元禅師の仏性論を学んだ時から持った人生観だそうです。もう、しびれますよね。これこそ、道元禅師のいう「修行」だと思うんです。

そして、「この一切れを、どこまで拡大させるか」。

「一切れ」って、いったい何だ、ということです。仏教が第一の目的とするところは何か。それは「さとり」をひらくこと、でした。では「さとり」を開くとは?

「自分の潜在意識の奥の奥の深層までいくと、すべては繋がっていると理解すること。」

これが「さとり」の第一歩なのではないかと私は考えています。これが正しいのかどうかすら、わかりません。なにしろ、仏陀はお釈迦様ただ一人なんですから・・・。でも、仏教の経典は2500年かけて、ずっとこのことを伝え続けています。そして「哲学」という学問も、このことをずっと論じているのだと思います。もちろん村山先生も、このことを私達に伝えようと様々なお話をしてくださっていました。私はそれに気づくのに、何年もかかりましたけど・・・。

この「一切れ」というのは、すべてが繋がっている大生命(仏性)から分かれた「一切れ」=人間のことでもあります。要するに「私」は、宇宙の大生命の「一切れ」である、ということ。だとしたら、「私」というのは、自分自身と思っているこの私はもちろんのこと、家族も、会社の同僚も、地域の人すべても、地球上すべての人も、「私」と捉えることができるわけです。だからこそ「自分自身と思っている私」が自分を整え、幸せになっていったら、すべての生命に、地球自体に、影響を与えうるということではないでしょうか。自分自身と思っているこのちっさな「私」をどこまで変化させることができるか。だからこそ「どこまで拡大させるか」、なんだと思っています。

これ、気学の考え方もまったく同じだと思うのです。

気学は「九星気学風水」といって、地球上のすべてのものを9つに分類して「九星」としています。ということは、大きな「一切れ」が9つある、ということですね。そして、気学・易は「太極」からすべてが分かれ出た、と説いています。その分かれ出たものの特徴・分かれ出たもの同士の関わり方・物事の考え方・行動指針を教えているものです。私はこれを「地球のルール」だと考えています。気学・易は、5000年以上前にできたもの。仏教より2500年以上前から、「地球のルール」を説いているんです。すごいですよね!

九星気学風水・易・仏教を学んで「私」を幸せにしていくことが、世の中のためになると信じています。これが正しいかどうかを検証するには・・・実践あるのみ!

※2018年10月に書いた文章です。


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