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ムーンブルクの王女の物語

「こうして会うのはひさしぶりね」
「この前はサマルの結婚式の時だから、一年ぶりかな」
 僕はソファーにゆったりと腰かけ、グラスをテーブルに置くと、隣に座る彼女を見つめた。彼女は陶器のデカンタを手に取り、空になった僕のグラスにワインを注いでくれた。
 彼女はムーンブルク女王として最後の仕事をするため、ここローレシアを訪れていた。外交の代表団はすでに今日の午後には帰国の途についたのだが、彼女だけは旧交をあたためるために一人残って、僕の家族と夕食をともにしたのであった。特に僕の父親は彼女のことを実の娘のように可愛がっているので(注1)、一家団欒のような和やかな雰囲気の夕べを過ごしたのであった。
 そして気を利かせた父親は夕食を終えると自室に戻ったので、僕は彼女を自室に招き、ワインを片手に昔話に花を咲かせていたのであった。
 彼女は白いゆったりとしたワンピースの部屋着に着替え、肩には絹を赤く染めたストールをかけている。その姿はなんとなく、十年前にともに旅をしていた時の彼女の姿を思い起こさせた(注2)。
 そして彼女の紫の髪は、ランプの光を反射してところどころキラキラと輝いている。この特徴的な色合いの髪こそ、彼女が持つ魔力の高さを物語っている。元々は金髪であったそうだが、思春期になり魔力に目覚めてきた頃から今のような色に変化したのだという(注3)。

「ムーンもこれで、少しは忙しさから解放されるのかな?」
「そうね、これからは心おきなくお酒が飲めるようになるといいわね」
 そう言うと彼女はデカンタを手に取り、自分のグラスになみなみと注ぎ始めた。僕はあっ、と思ったが、彼女は「いいからいいから」という素振りをした。
 グラスを傾ける彼女の横顔を見ながら、旅のさなかに魔物たちと「飲み勝負」をしたことを思い出した(注4)。あの時は先に飲みつぶれた方が負け、というルールの戦いであったのだが、僕とサマルは早々に酔い潰れ、ムーンだけが平然とした顔で戦い続けたのであった。後から聞くところによると、最後はサイクロプスとの一騎打ちになったが、彼女はまったく酔ったところを見せず、結果的には圧勝であったらしい。
 そんな彼女も、ここ最近は多くの仕事をこなすために酒の量を抑えて、まさに身を粉にして働いてきたらしい。そしてその仕事はようやく終わりを迎えようとしている。
 今回僕が用意しておいた酒は、アレフガルドのマイラ村の特産品である、米を原料としたワインであった(注5)。穀物である米が原材料にも関わらず、フルーツのような甘い吟醸香が特徴で、ムーンが好きな酒であったので特別に用意しておいたものだった。酒の肴には、サワラの西京焼き、たけのこの南蛮漬けなどの季節の食材のレシピを用意しておいた(注6)。どれもムーンが好きそうなもので、僕が事前に仕込んでおいたものだ。彼女が幸せそうな顔でそれを口にしてくれるので、僕はうれしくなった。
 今回、彼女がローレシアに来た目的は、自分がムーンブルク女王を退位することの報告と、新生ムーンブルク共和国が引き続きローレシアとの軍事同盟を継続することの覚書を交わすためであった。
 大神官ハーゴンと破壊神シドーを滅ぼした後、彼女は祖国ムーンブルク王国の復興に取りかかった。先代の王である彼女の父親をはじめ、王家の人間は彼女を残してすべて殺されていたため、彼女は女王に即位し、生き残った国民とともにまさに一からの国の再建となった。
 彼女の明晰な知性とカリスマ性により、王国はわずか五年ほどで往時の姿を取り戻すほどに回復した。その後、五年にわたって彼女が取り組んだことは、ムーンブルクを王国から共和国に移行させることであった。そのため憲法を作成し、議会を立ち上げ、新体制のための選挙を実施した。一週間後には無事に「ムーンブルク共和国」が成立する予定である。
 彼女が体制の移行を推し進めたのは、ムーンブルクの国をより安定したものにしたいという意志であった。彼女が女王でいる限り、いずれは誰かと結婚し、次の王となる子を産まなくてはならない。当然、彼女と結婚する男性は大きな権力を持つこととなる。最初は良い人間であっても、権力を持つことで人は変わらざるを得ない。そのことを彼女は危惧した。それは彼女自身が君主となり、時に果断な処置をせざるを得ない局面を何度も経験してきたからであった。
 聞くところによると、大神官ハーゴンもかつては本心から世界の救済を求める宗教家であったという。人間によって虐げられた魔物たちを救い、迫害に耐えながら活動を続けているうちに、いつしか闇に魅入られてしまったのだといわれている。

「退位した後は、どうするか決めているの?」
「実はね、ベラヌールの街のはずれに、新しい家を買ったの」
 ベラヌールは西の大陸にある、湖の上に築かれた都市国家である。大学や教育機関がいくつもあり、研究者や芸術家が多く集まる場所として知られている。その地を新しい住まいに選んだのは、いかにも彼女らしいなと僕は思った。
 忙しい公務の中にあっても、これまで彼女はずっと魔法の研究を続けてきた。そして現代では失われてしまった古代の呪文をいくつもよみがえらせた。その中にはメラゾーマやベギラゴン、マヒャドといった強力なものや、勇者ロトだけが用いたといわれるアストロンやライデイン、ギガデイン、ベホマズンといった特別なものも含まれていた。
 ところが彼女は勇者ロトの呪文に関してだけは、自分では習得することをせず、サマルにすべてを教えて手放してしまった。その理由について彼女は「ロト様の血が最も強く出たのはサマルだから、これはサマルに託そうと思ったの」と語った。そのあたりのこだわりのなさも、彼女らしいといえばそうである。
 とは言うものの、今や彼女はこの「ドラゴンクエスト」世界において最強の魔法使いであることに疑いの余地はない。その力はかつてのハーゴンはおろか破壊神シドーをも上回るものとなっている。
 実はこのことも、彼女が退位を決めた理由ではないかと僕は思っている。彼女の力が強大であればあるほど、それを利用したいと考える者は後を絶たないだろう。また、彼女が政治的な立場にいることが、ひいては国家間の軍事バランスに影響を与える可能性もあるのだ。
 それに引き替え僕は、一対一なら誰にも負ける気がしないが、大勢の敵を撃ち払ったり、城を破壊したりする力は持ち合わせていない。そう思うと少し自分がなさけない気持ちにもなる。
「それでね、これまでできなかった古代の歴史の研究を始めたいと思っているの」
と彼女は言った。
「ロト様と、ポカパマズ……つまりロト様の父親のオルテガ様は、『上の世界』から来たと言い伝えられているんだけど、それが何なのかはほとんど手がかりがないの。まあ伝説というものはそういうものかも知れないけど、あたしは実在するんじゃないかと思っていて、これからはそれを調べてみたいの」
 そう語る彼女は生き生きとした表情で、僕は少しうらやましくなった。彼女はこれから始まる自分の冒険の物語に胸をふくらませているようだった。

「そういえばサマルは元気だった?」
「うん、双子が生まれたばかりで、すっかり良いパパになっていたわ」
「あのサマルも、これでちょっとは落ち着くといいんだけどね」
「とっても可愛い子供たちだから、ひとときも家から離れたくないといった雰囲気だったわよ」
 そう言って二人で笑った。彼女はローレシアに来る前にサマルトリア王国を訪問し、やはり一連の外交をこなしてきたのであった。
 サマルはスマートなタイプの魔法戦士で、ハーゴンとシドーを倒して凱旋してからは国内外で人気の的であった。もともと明るくておちゃらけた性格でもあったので、多くの女性と浮名を流し、サマルトリア王国とロトの血族の品位を大いに下げることに貢献した。それがついに年貢の納め時となって昨年結婚し、今では二児の父親となっているのである。
 三人で旅をしている時も、彼はムードメーカーであった。僕は不器用で融通が利かないところがあり、ムーンは生真面目で学究肌な性格なので、おそらく二人だけでいたらしっくりこないことやギクシャクすることもあっただろう。ちょうどサマルは僕たちの間の潤滑油のような役割を果たしてくれていた。またムーンが彼のことを「ロトの血が最も強く出た」と評するように、戦闘になるとサマルは正々堂々とした気品のある戦い方を見せた。もっとも、ある時期のサマルはムーンにご執心の様子で、ムーンの気を引くことばかりやっていたが、ムーンはそれを軽くあしらっていた。

「ベラヌールといえば、サマルが大変な目にあった街だったわね」
「……ああ、あの時は僕たちの旅の最大の危機だったかもしれない」
 僕たちはあの街で起こった出来事について思い出していた。そしてその出来事は、僕の胸にちくりと痛みを残すものでもあったのだ。
 ベラヌールの街の宿屋に泊まっている時、突然サマルの体調が悪くなり、高熱に見舞われるとともに身体が痺れてまったく床から起き上がることができなくなってしまった(注7)。
 薬草を処方したり、ムーンが回復呪文を唱えてみたりしたが、一向に良くならなかった。街の教会の聖職者に来てもらって診てもらったところ、どうやらハーゴンの呪いが原因ではないか、という見立てであった。しかしその聖職者も、呪いを解く方法にはまったく見当が付かないという。
 僕たちはただ看病を続けるしかなかったが、そんな時ムーンが、
「あたし、昔読んだ本の中に、カエルに変えられた王子様の呪いを王女様のキスで解くという話(注8)があったのを思い出したわ」
と言い出した。
「もしかしたら、あたしがサマルにキスをしたら、ハーゴンの呪いも解けるかもしれない」
「……えっ?」
「だって、あたしだって王女だし、サマルも王子だから、もしかしたら……」
「そんなバカな……だってサマルはカエルになった訳じゃないんだよ」
「あたしがイヌになった時は、ラーの鏡で呪いが解けたんだけどね」
 ムーンの呪いを解いたラーの鏡は、その場で砕け散ってしまったのでもう手元にはなかった。
 とその時、おもむろにムーンは寝ているサマルに覆いかぶさると、自分のくちびるを彼のくちびるに押し当てた。
 それは長い時間だったのか、一瞬のことだったのか、あまりに驚く出来事だったので覚えていない。気がつくとムーンはサマルの顔を覗き込んでじっとその様子を見つめていた。しばらくそうしていたが、サマルの様子には何の変化もなく、相変わらず苦しそうな表情を浮かべてうなされていた。
「やっぱり、あたしのキスじゃ効かなかったみたい……」
 ムーンは残念そうにつぶやいたが、僕は別の感情で胸がいっぱいになっていた。
 結局その後、呪いを解くには世界樹の葉をすり潰して飲ませると良いということがわかり、宿屋にサマルを残して僕とムーンは二人で世界樹の葉を探しに出かけた。幸いそれはすぐに見つけることができ、無事にサマルにかけられたハーゴンの呪いを解くことができた。
 回復したサマルは僕とムーンに何度も礼を言い、ムーンが口づけをしたことは覚えていない様子であった。しかし実は彼はひそかに覚えていて、後になって何度もそのことでムーンをからかった。
 この出来事によって、僕の中にはこれまでのムーンに対するものとは違う感情が芽生え始めていた。出会った最初は、ムーンのことを可哀想なお姫様と思っていたが、日々強力な魔力に目覚めていく彼女の姿を見ていくうちに、かけがえのない仲間と思うようになってきた。しかしそれは彼女を女性として見るという思いではなく、そのためサマルが彼女にちょっかいをかける様子を見てもやきもちの感情などは湧いてこなかった。
 しかし彼女がサマルに口づけをするところを見て、初めて嫉妬の感情が湧き上がってきたのだ。もちろんその後にもサマルとムーンはしょっちゅう他愛もないじゃれ合いを見せ、そのたびに僕は呆れてみせたり無関心を装ったりして、自分の心が悟られないように振る舞った。
 そしてその感情は、十年たった今でも僕の心の中にくすぶり続けているのだった。

「きっと『上の世界』の手がかりはアレフガルドのどこかにあると、あたしは思っているのよね。ロト様が天から降りてきたのもラダトームの近くだったし。あとほら、ラダトームの北の砂漠にロトの洞窟というのがあったでしょ。あそこ、何かあやしいと思うのよ。なぜロト様はあそこに石板を残されたのでしょうね。ベラヌールへの引っ越しが一段落したら、まずはアレフガルドに行ってみようと思っているの」
 酒を飲んで興に入ったのか、いつになくムーンの口数が多くなってきた。それを聞きながら僕は、ムーンがさらに自分より遠いところに行ってしまうような切ない気持ちになっていた。
 それは旅を終えて、僕たち三人がそれぞれ別の道を歩み始めた頃から感じていたことでもあった。ムーンは国の再建に向けて邁進する日々を送るようになっていった。相変わらず軽いノリで生きてきたサマルも、一年前に結婚し家庭を持った。それに引き替え自分は、ローレシア王国の王位を引き継いだとはいえ、気分はなんとなく十年前に旅をしていた頃のものを引きずったままの、甘えのような気持ちを持ち続けているように感じていた(注9)。
 相変わらず饒舌なムーンの様子を見ているうちに、僕は思わず彼女の左手を取って握りしめ、言った。
「ムーン、僕のそばにいてくれないか?僕はずっと君のことが……」
 突然の僕の行動に彼女も一瞬、驚いた様子を見せたが、すぐに冷静な表情を取り戻すと右手の人差し指を立てて、僕の口元の前に持ってきた。
「ローレ、それ以上言ってはだめ」
 僕は我に返り、自分のしでかしたことに恥ずかしくなって頭に血が上るのを感じていた。あわてて彼女の左手を握っていた手を離すと、彼女は、
「前後の脈絡なく行動するあたり、あなたはちっとも変わってないわね」
と僕をたしなめた。ただ本気で怒っているのではなさそうだった。
 僕は彼女に目を合わせることができずに所在なさそうにしていると、彼女は短いメロディーを口ずさんだ。それは古代ルーン語の呪文の詠唱であったが、魔法の素養がない僕にはそれが何なのかは見当もつかなかった。
「……ムーン、今のは?」
「ちょっとしたおまじない。南の大陸の砂漠や、北の大陸の草原に置いてきた、若い時のあたしたちの気持ちを、ほんの少しの間だけ取り戻すための」
 そう言うと彼女は僕の肩に手をかけ、覆いかぶさるように顔を近づけ、そのくちびるを僕のくちびるに押し当てた。僕はしばらく動けなかったが、彼女がそのまま僕の胸にもたれかかってきたので、僕は彼女の背中に腕を回してその身体を強く抱きしめた。彼女の紫の髪がキラキラと光の粒を帯び、その薫りが僕の鼻腔をくすぐった。

「行くんだね……」
「……うん。また落ち着いたら連絡するね」
 翌朝、僕とムーンはローレシア城の外の草原にいた。かたわらにはムーンの乗騎である神鳥ラーミア(注10)が羽を休めている。
 僕と彼女はお互いの身体を抱きしめ合った。そして握手を交わした後、彼女は軽い身のこなしでラーミアの背に乗った。
 ラーミアは翼を広げ、音もなく舞い上がった。僕は風を受け、目に塵が入ってしまったのですかさず目を閉じた。涙が流れ落ち、かすむ目を開けるとすでにラーミアは西の空のかなたに飛び去っていくところであった。
 これから彼女はラーミアとともに、自分自身の冒険に旅立っていくのだろう。その意味で、冒険者ロトの正統な後継者は今や彼女であると言えるだろう。そしてその冒険は彼女の物語であり、そこに僕の役回りがないことはわかっている。
 ふと自分の手から、かすかに彼女の薫りがただよってくるのを感じた。そして僕は、これから僕自身の物語を紡いでいかなければならないことを心に決め、その手を堅く握りしめたのであった。

【注釈】

(1) ローレシア王はムーンに初めて会った時に「これからはわしがムーンの父親代わりじゃ。困ったことがあったら、いつでもわしに言うのだぞ!」と言った。

(2) 白いローブに赤い頭巾という旅装束が、ムーンのトレードマークである。

(3) ファミコン版ドラゴンクエスト2のイメージイラストではムーンブルクの王女は紫色の髪であるが、スーパーファミコン版だと金髪に変わっている。ここでは両者の設定を反映させてこのようなアレンジにした。

(4) 酒飲み勝負のエピソードはゲームブック版『ドラゴンクエスト2』(双葉社)に登場するものによる。

(5) アレフガルドのマイラ村には、かつて『上の世界』のジパングからやってきた者が住んでいて、ドラゴンクエスト3では重要な役割を果たした。この物語では、彼の子孫が米を原料とした故郷の伝統的な製法で酒を作り続け、マイラ村の特産品となった、という設定にしている。

(6) どちらも春の季節もののレシピである。

(7) スーパーファミコン版以降に追加されたイベントである。

(8) ムーンが言っているのはグリム童話の『カエルの王さま』のことと思われるが、グリム童話ではカエルに変えられた王子の呪いは王女のキスで解けるのではなく、王女がカエルを乱暴に壁に投げつけることによって解ける。王女がキスするバリエーションの話も広く知られているが、なぜそのような話が派生したかは、よくわからないようである。

(9) ローレはハーゴンとシドーを倒して凱旋後、父親から王位を譲られてローレシア国王に即位している。この小説はローレの一人称で語られているため、やや自己評価が低めとなっているが、国民からは名君として慕われているようだ。

(10) ラーミアはドラゴンクエスト3に登場する神鳥で、勇者たちの乗物となる。ラーミアは「上の世界」でしか使えないので、ムーンがどうやってドラゴンクエスト2の世界でラーミアを獲得したのかは不明である。ルーラの呪文で帰らなかったのは、単に彼女がルーラを覚えていないためである。










 

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