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ローレシアの王子の物語

「こうして会うのはひさしぶりね」
「この前はサマルの結婚式の時だから、一年ぶりかな」
 そう言って彼はテーブルにグラスを置いたので、私は陶器のデカンタを手に取り、中身を彼のグラスに注いだ。彼は私を見て微笑み、私はその笑顔を可愛いと密かに思った。
 彼は10年前の旅で苦楽をともにした仲間であり、親友であり、特別な人である。それは彼がローレシア王国の王となり、私がムーンブルク王国の女王になった今でも変わることはない。
 私が彼の治めるこの国に来たのは、私がムーンブルク王国の女王から退位することを報告するとともに、その後のムーンブルクの国を後見してくれるように頼むためであった。今日の午前にローレシア城で正式な外交儀礼をおこない、午後には私に同行していた国の代表団は帰国の途についたのだが、私だけは個人的な親交を温めるために残ったのだ。
 夕食では10年前にローレに王位を譲った先王ともひさしぶりにお会いして、たくさんのなつかしい話をした。大神官ハーゴンの軍勢によって城を滅ぼされ、ひとりの身寄りも居なくなった私に対して、父親のように頼ってくれ、と言ってくれたのが先王であった。
 夕食が終わったところで、先王は「あとはローレとゆっくりしていきなさい」と言って自分の部屋へ引き上げていった。そういった細やかな気遣いができる、優しい方であった。

「ムーンもこれで、少しは忙しさから解放されるのかな?」
「そうね、これからは心おきなくお酒が飲めるようになるといいわね」
 ローレが用意してくれた酒は、私の好きなアレフガルドのマイラ村のワインだった。そして彼が酒の肴として用意してくれたのは、サワラの西京焼きやたけのこの南蛮漬けといった季節ものであり、いずれも私の好みに合わせたものだった。彼もまた、そうした細やかな心遣いができる人である。おそらく酒の肴は、彼自身が準備してくれたものだろう。一緒に旅をしていた時も、彼は何度も料理の腕をふるってくれて、私とサマルの胃袋を満たしてくれた。とりわけ彼は野山にある食材を見つけてきては、それを巧みに調理するのが上手だった。ロンダルキア高原では雪の中から生えていたふきのとうを見つけてくれ、それを天ぷらにして三人で食べたことを思い出した。
 世間では、ローレは勇猛果敢な戦士としての印象が強いようだが、一緒に旅をしてきた私たちにはまた違った面をみせていた。私はどちらかというと理詰めで考えるタイプであり、サマルはどちらかというと臨機応変に立ち回るタイプであったが、ローレはそうした私たち二人のことを常に気遣いつつ、強い意志を持って決断するリーダーの役割を果たしていた。
 ローレのそうした性格は、国王になってからもいかんなく発揮されているように思う。先王も名君だったが、今のローレも国民から絶大な支持を受けており、私はいつもうらやましく思っていた。私はこの10年間、ムーンブルク王国を再建することに必死で、時には権謀術数を駆使せざるを得ない局面も経験した。一方でローレはまさに「王道」を体現するような政治を行なってきていると思う。

「退位した後は、どうするか決めているの?」
「実はね、ベラヌールの街のはずれに、新しい家を買ったの」
 そう、私は一週間後には女王を退位し、国を離れ、新天地での生活を始めることとなる。これから始まる自由な生活に心躍らせる思いがある一方で、責任ある国王の立場から逃れることには、罪悪感や後ろめたさも覚えていた。
 しかしやはり私は、魔法の研究をしたり、古代の歴史の研究をしたりする方が性に合っているように思う。そしてこれからは政治とは離れた立場に身を置きたいと思っている。ムーンブルクの国を王制から共和制へ移行させるようにしたのは、私が離れた後も国の体制が持続していけるようにするためだった。
 そういう意味で、ベラヌールの街は理想的な場所である。ベラヌールのある西の大陸は、他の大国からほどよく離れた位置にあり、ベラヌールは都市国家として国際政治の場においても中立的な立場を堅持している。そのためベラヌールには多くの大学や教育機関があり、世界中から多くの学生や研究者、芸術家が集まってきている。幸いなことに、私はかつてある魔法使いが住んでいた家を見つけることができた。そこは小さいながら母屋と離れがあり、離れはすでに実験室としてうってつけの設備が整っていたのだ。

「そういえばサマルは元気だった?」
「うん、双子が生まれたばかりで、すっかり良いパパになっていたわ」
「あのサマルも、これでちょっとは落ち着くといいんだけどね」
「とっても可愛い子供たちだから、ひとときも家から離れたくないといった雰囲気だったわよ」
 私はローレシアに来る前にサマルトリアを訪れ、やはりひさしぶりとなるサマルと会ってきたのだ。サマルは未だに王子の立場であるが、一年前に結婚し、双子も生まれたので、近いうちに王位を継ぐことになるだろう。
 サマルの双子の可愛らしい様子を思い浮かべると、こちらまで愛おしい気持ちになってくる。しかし一方でそうしたサマルの家族の様子を見ていると、自分は結婚や子供のことなど考えずに、この10年間を駆け抜けてきたな……と思い起こし、うらやましい気持ちにもなった。
 いや、結婚のことをまったく考えなかったわけではない。むしろ結婚のことを考えて、私は退位という道を選んだのかもしれない。私は、ムーンブルク女王として誰かと結婚することを避けたいと思っていた。そして、女王ではなく一人の女性として、大切な人とともに人生の物語を紡いでいきたいと思ってきた。それは子供じみた希望かもしれないし、そんな夢は許されないのかもしれないが……。
 そういえば三人で旅をしている時、サマルが私に好意を向けてくれていたのを思い出した。彼がどこまで本気だったのかはわからないが、私は彼のことを可愛い弟のような存在と思って見ていたので、彼には正直に自分の思いを伝えた。ただサマルの方もさばさばとした物事にこだわらない性格なので、私に振られてもわだかまりのような素振りは見せず、むしろ振られたことをネタに私に軽口を叩くくらいであった。私も面白半分でそれに応じて、お互いにふざけたりじゃれあったりもした。

「ベラヌールといえば、サマルが大変な目にあった街だったわね」
「……ああ、あの時は僕たちの旅の最大の危機だったかもしれない」
 そう、まさにあの時は私たちの旅が続けられるか否かの瀬戸際だった。サマルは「僕を置いてでも旅を続けてくれ」と言ったが、サマルが欠けての私たちの旅など考えられなかった。
 ところがそんな状況とは裏腹に、私はどこか楽天的な気持ちを持っていた。それでふと思い付いたのが「カエルの王子さま」の昔話の方法だった。うまくいくという確信はなかったし、試せる手は試してみようというくらいの気持ちであったが、一方で普段からからかわれているサマルのことを逆にからかってみようという下心もあった。
 もちろん「カエルの王子さま」の方法はうまくいくはずもなかったのだが、このことは私たち三人の関係を微妙に変化させるきっかけとなった。私がサマルにキスするのを見たローレの様子が、明らかにこれまでとは違っていたことに、私は気が付いてしまった。
 サマルの呪いを解くには世界樹の葉をすりつぶして飲ませれば良いことが分かり、ローレと私は二人でそれを探す旅に出た。幸いなことに世界樹の葉はすぐに見つかり、サマルも元通り元気になった。ローレと二人きりで旅をしたのはこの時が初めてで、わずか数日間のことだった。ローレはいつものように私をエスコートしてくれたが、私がサマルにキスしたことはついに一度も話題にしなかった。
 三人で旅を再開した後も、相変わらずサマルは私に他愛もないちょっかいをかけ、私はそれを軽くあしらうというやりとりが続いた。ローレはこれまで同様の、呆れたり無関心だったりする態度を示していたが、その中にあっても私に対するまなざしが変化したように感じた。同時に私自身も、彼に対する自分の気持ちに気付いてしまった。

「きっと『上の世界』の手がかりはアレフガルドのどこかにあると、あたしは思っているのよね。ロト様が天から降りてきたのもラダトームの近くだったし。あとほら、ラダトームの北の砂漠にロトの洞窟というのがあったでしょ。あそこ、何かあやしいと思うのよ。なぜロト様はあそこに石板を残されたのでしょうね。ベラヌールへの引っ越しが一段落したら、まずはアレフガルドに行ってみようと思っているの」
 酒が進んで興に入り、私はいつになく饒舌になっていた。ローレやサマルと一緒にいると、口調もくだけたものになり、自分のことも「私」ではなく「あたし」などと、つい子供っぽい口調に戻ってしまう。
 そんな時、ローレは突然こちらに向き合うと、私の左手を取り、握りしめて言った。
「ムーン、僕のそばにいてくれないか?僕はずっと君のことが……」
 私ははっとしたが、とっさに右手の人差し指を立てて、彼の口元に当てる仕草をして言った。
「ローレ、それ以上言ってはだめ」
 ローレはあわてて握っていた手を離し、言葉をなくしてうつむいてしまった。私は「あっ、しまった……」と内心思った。つい反射的に、彼を拒絶する言動をしてしまった。
 今更になって胸がどきどきしてきた。しかしそれを気取られないように、つとめて冷静さを取り繕って、こう言った。
「前後の脈絡なく行動するあたり、あなたはちっとも変わってないわね……」
 彼の気持ちは十分に分かっていた。それは私も同じ気持ちだったからだ。しかしそれは決してかなわぬ願いであるし、そのことをローレも頭では良く分かっているはずだ。しかしそれでもなお、割り切れない思いがつのっていたのだろう。
 私も許されるなら、彼のそばで、彼とともに同じ物語を紡いでいきたかった。しかしそれは、私がローレシア王国の王妃になることを意味している。そのことはムーンブルクの人々を裏切ることに他ならない。それは決してできないことだった。
 私は短いメロディーを口ずさんだ。それは古代ルーン語で書かれた、ある詩の一節であった。
「ムーン、今のは?」
「ちょっとしたおまじない。南の大陸の砂漠や、北の大陸の草原に置いてきた、若い時のあたしたちの気持ちを、ほんの少しの間だけ取り戻すための……」
 そう言って私は彼の肩に手をかけ、覆いかぶさるように顔を近づけ、自分のくちびるを彼のくちびるに押し当てた。そのまま彼の厚い胸の上にもたれかかると、彼の腕が私を強く抱きしめた。私は声がこぼれそうになったので、もっと強く自分のくちびるを彼のくちびるに押し当てた。

「行くんだね……」
「……うん。また落ち着いたら連絡するね」
 翌朝、ローレシア城の外の草原で、私と彼はお互いの身体を抱きしめ合った後、堅い握手を交わした。私はかたわらで羽を休めているラーミアの背に乗ると、ラーミアは大きく羽を広げ、音もなくふわっと舞い上がった。
 私は後ろを振り返らなかった。でも私の心はローレへの感謝にあふれていた。
 彼のおかげで、私はこの10年間、置き去りにしていたものを思い出すことができた。そして私が抱えていたわだかまりや後ろめたい気持ちを振り切ることができた。
 私と彼とは同じ物語を紡ぐことはできなかったが、彼は私の物語を導いてくれた。そして私は、彼が握ってくれた手のひらの感触を覚えつつ、これからの人生の物語を紡いでいく決意を堅くした。

【注釈】

・ ロンダルキア高原は標高が高く雪深い地方ではあるが、春にはふきのとうも芽生えるようである。それにしても、敵の本拠地でふきのとうを摘み、それを天ぷらにして食べるとは、何とも能天気な一行である。

・ かつて竜王がアレフガルドのラダトームを襲撃した時、ベラヌールは援軍を送ってその侵攻を食い止めたといわれている。都市国家ではあるが、相応の軍事力は保有しているようである。

・ サマルがハーゴンの呪いで苦しんでいる最中にも、こんないたずらを思い付いて実行してしまうムーンという人物は、やはり楽天的な性格なのだろう。家族を殺され、国を滅ぼされ、自身は呪いで犬に変えられるという数奇な運命をたどってきた彼女ではあるが、暗さや屈折したところもなく、大物であることを感じさせる。彼女自身は否定するだろうが、意外と君主としての資質も持っているようである。

・ 「ムーンブルクの王女の物語」がローレの視点で語られているのに対し、本作「ローレシアの王子の物語」はムーンの視点で語られているが、それぞれ自分と相手に対する見方が異なっている。前者では、ローレはムーンのことを自立した女性として見ているが、自分自身は未だ10年前と変わらない甘さを引きずっていると思っている。一方後者では、ムーンはローレのことを実直で頼りになる男性と見ているが、自分自身は素直に生きられなかったことにわだかまりを感じている。また二人ともお互いのことが好きなのに、相手に対する気持ちはそれぞれ少し異なっているようにも見える。そういう意味で、二人は互いに気持ちが通じ合っている関係とは言いがたいが、相互に依存し合わない関係を築いているのだろう。二人は結ばれることはなくても、おそらく生涯にわたって良い関係を続けていけることだろう。

・ 結果的に、ローレはムーンを見て、10年前から引きずっている甘い気持ちから脱皮しようと決意し、ムーンはローレを見て、自分らしく生きていこうと決意する。二人の間では、お互いの欲望が交換され、精神分析家のジャック・ラカン(1901-1981)が言うところの「転移」があったとも考えられるが、これがどちらにとっても肯定的な人生を始めるきっかけになったのは確かである。







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