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浮舟物語ー東屋ー(予告編)

 あたしがあの二人と出会ったのは、あたしの婚約話がご破談となったすぐ後のことだった。
 母は、左近の少将様とあたしとの婚姻を進めてくれていた。それは母なりの気遣いであり、そのことはあたしもよく分かっていたので感謝していた。しかし一方で、これまで文も交わしたことのない男性と結婚することに、内心はおびえていた。
 しかしそれは意外な形で終わりを迎えた。左近の少将様の方から、婚約を破棄したいとの申し出があったからだ。そしていつの間にかこの婚約話は妹との間で進められることとなったのだった。
「まったく、なんと勝手なことでしょうか。私にしても、やんごとなき方の血を引くあなたを嫁に出すのは惜しい気持ちで一杯だったのですけど、あなたに結婚を申し込んでくる若い人たちの中では少しはましかと思っていましたのに……しかもよりによって破談の申し入れの舌の根も乾かぬうちに、妹への婚姻を申し出てくるとは……私は悔しくてなりません」
 母は一気にまくしたてた。
 あたしは母が本気で怒って悔しがってくれていることをありがたく思った。とはいえ妹もまた母が腹を痛めて産んだ子であることには違いないので、複雑な思いを抱いていることは想像だにかたくない。一方で父である常陸守はたいそう喜んでいるとの話を聞くにつけ、あたしは自分の身の置き場のない立場に悲嘆せざるを得なかった。
 あたしは中流貴族である常陸守の長女として、浮舟という名で呼ばれている。年は数えで二十歳だ。しかし長女といっても母の連れ子なので、家の中での立場は正直言って微妙だ。
 父は長年、受領として東国に赴任しており、昨年ようやく京都に帰ってきたばかりだ。あたしも物心ついた頃から東国で育った。そのため京都の貴族の娘らしい教養や言葉遣いを十分に身につけることが出来ず、それはあたしの深刻なコンプレックスとなっている。
 父と母の間には二人の息子と二人の娘が生まれたので、父はもっぱら四人の弟妹を可愛がる一方で、あたしに対してはあまり関心を払わなかった。見え透いた形で遠ざけられるといったことはなかったにせよ、あたしに対して何かしらの複雑な思いを抱いていることについては、あたしが成長していく中で気付かされた。それは母の連れ子であり血のつながらない娘ということだけでなく、あたしの本当の父親に対する感情が含まれていることも想像出来た。
 もっとも父は受領として任地で相当な財産を貯めることが出来たので、生活については何不自由のない暮らしをさせてもらっている。
 そんなあたしを母は不憫に思って、何事にもつけ本当に気を遣ってくれている。ある時は、父が私たち娘のために調度をしつらえさせたことがあった。そして妹たちには豪華絢爛なきらびやかなものを与えられたのに対し、あたしには地味で控えめなものが与えられた。あたしは内心がっかりしたが、後で母がこっそり耳打ちしてくれた。
「実は、あなたに与えたものの方が高級品なのよ。あの人は派手でさえあれば上等だと思っているから……本当に良いものは浮舟に、ね」
 実際に調度の調達を取り仕切ったのは母だった。母には良いものとそうでないものを見分ける鑑識眼が備わっていたのだ。そしてそれは母の生い立ちと、あたしの出生に関わることであった。

 あたしの本当の父親は、かつて八の宮様と呼ばれた高貴な方であった。先の帝や、かつて時代をときめいた「光源氏」こと六条院様の弟にあたる人だ。しかし時の政治の状況のため、政界からは離れたところに身を置かれた。そして宇治の地に隠棲し、出家こそなさらなかったが、日々読経と写本を欠かさぬ生活を営まれ、人々からは「俗聖」と呼ばれたという。
 八の宮様は奥方である北の方様との間に二人の姫様をもうけられた。大君様と中の君様と呼ばれているのだという。あたしの異母姉にあたる方々だ。しかし大君様は先年、若くして亡くなられたと聞く。そして中の君様は帝の皇子である匂宮様に嫁がれたのだという。
 北の方様はお二人の姫様をお産みになった後、若くして亡くなられた。そしてそんな時に、北の方様にお仕えしていたあたしの母に、八の宮様は情けをかけられたのだという。
 しかしあたしが生まれると、八の宮様は急に冷たくなられ、母を遠ざけるようになったという。どうやら八の宮様は自分の娘であるあたしと対面することすら、ついぞなかったらしい。いたたまれなくなった母は、赤子のあたしを連れて八の宮様の屋敷を後にし、父である常陸守と再婚したのだという。
 母はことあるたびに「浮舟……あなたは高貴な方の血を引く姫様なのだからね」と言い、八の宮様のことをいまだに慕っているような様子だった。その八の宮様も先年亡くなられ、それを伝え聞いた母はひそかにあたしを呼ぶと、あたしの手を握って泣き明かしたのであった。
 しかしあたしにとって本当の父親である八の宮様には、何の思い出も思い入れもないどころか、あたしと母を捨てて冷酷な態度を貫いたことに、ひそかに憤りを感じていた。そして世間では、高貴な生まれにありながら政治の世界から身を引き、孤高に生きた八の宮様のことを「俗聖」としてあがめられていることに、あたしはいらだちを感じていた。しかしそのような態度を見せることは母を傷付けることになることは分かっていたので、すべてあたしの中にだけとどめていた。

「ああ……こんなことなら、薫の大将様のお話をむげにお断り申し上げたのが、悔やまれてなりませんわ」
 母は残念そうな面持ちで言った。
「母様、薫の大将様とは……」
「……ああ、あなたには伝えていなかったわね。薫の大将様とは、かの六条院様と、先の帝の皇女、女三の宮様との間にお生まれになった高貴な方ですのよ。六条院様のことは、あなたもご存知でしょう?」
「はい、「光源氏」とも呼ばれ、この世に並ぶ人もないくらい美しい方だったとか……亡くなる前には先の帝から「准太上天皇」の称号を頂いたといわれるほどの方ですよね……」
「そう、あなたにとっては叔父上にもあたられる方ですのよ」
「……」
「そのご子息にあたられる薫の大将様も、たいそう美しい方として評判だとか……何より、御身から自然と発せられる香りが、あたかも白檀のように香しいのだとか。それで世間では「薫の君」と呼ばれているそうよ」
 母の話によると、宇治の八の宮様のかつての屋敷をお訪ねになった薫の大将様が、屋敷を守っていらっしゃる弁の尼様にあたしのことをお尋ねになったのだという。弁の尼様は母にその言伝をお伝えになったのだが、ちょうどその時はあたしと左近の少将様との結婚の話が進んでいたところだったので、母が遠回しにお断りの返事を差し上げたとのことだった。
 後から伝え聞いたところによると、八の宮様がご存命の頃に、薫の大将様は八の宮様を師と仰いで何度も宇治まで通われたのだという。八の宮様が亡くなられた後も、二人の姫様のことを気にかけて宇治に通い続けられたという。人が噂するところによると、薫の大将様は姉の姫様である大君様に御執心だったのだが、はかなくも大君様も若くしてお亡くなりになったので、薫の大将様は一人残られた中の君様の後見となり、帝の皇子である匂宮様とのご縁をつなぐ取りなしをされたのだという。
 母はあたしのことを買い被っている節があり、八の宮様の血を引く姫としてしかるべき方にあたしを嫁がせたいと思っているが、世間の目からすればあたしは元受領の中級貴族の継娘に過ぎず、世をときめく大将様とはとても釣り合う身分ではないことは、あたし自身が身に染みて理解している。
 それだけではなく、あたしとしては父である八の宮様を師と仰いでいるというところに引っかかりを覚えていた。確かに世間でいわれるように、八の宮様は俗世から離れ、清廉な人生を送られていたのだろう。しかしどれだけの人が、あたしと母をいとも簡単に捨ててしまうようなあの人の冷酷さを知っているのだろうか。それは薫の大将様にも、やはり見抜けなかったのだろうか……そう思うと、あたしは白けた気持ちになるのだった。
「それで弁の尼様から、このような歌を託されたのですよ」
 母はそう言って、歌がしたためられた短冊をあたしに手渡した。

 かほ鳥の声も聞きしにかよふやとしげみを分けて今日ぞ尋ぬる
(美しい貌鳥の鳴く声も、その昔聞いたことのある亡き人の声に似ているかと、木々の繁みを分けて今日ここへ尋ねてきたのですよ)

 京都に戻って来て間もない頃、初瀬の観音様をお参りした時に、宇治の八の宮様の屋敷を守っていらっしゃる弁の尼様のお住まいを訪ねたことがあった。どうやらその時、薫の大将様もその場にいらしていて、ひそかにあたしの様子をご覧になられたらしい。
 歌からは、薫の大将様の、亡くなられた大君様への思慕が伺われた。あたしは大君様のことは存じ上げないので何とも言えないが、きっと大将様があたしをご覧になっても、とても大君様に及ばないことにさぞ失望されることだろう。あたしは、八の宮様の姫様として大君様や中の君様が受けられた教育を受けることもなく、琴や箏も弾くことが出来ない。あたしとは釣り合わないほどの高貴な方に見初められることがなかったのは、かえって良かったのかもしれないと、その時はそう思った。

 しかし思えば、あたしのコンプレックスとなっている東国での生活も、今となっては懐かしさを覚える。国府からは霞ヶ浦と呼ばれる美しい湖の景色を臨むことが出来、時折あたしたち家族はそのほとりに出かけて、舟遊びをしたり、和歌を詠んだりして過ごした。湖はその先で大海とつながっていて、あたしはその向こうに何があるのかと、意味のない空想に耽ったこともあった。その反対側を眺めると、雄々しい筑波山の姿が見えた。それ以外は何もない、ひたすら原野が続く雄大な景色が広がっていた。
 今こうして京都に戻ってきて、その閉塞感にあたしはすでに汲々とした思いを感じ始めている。四方を山に囲まれ、その間の狭い土地に屋敷がひしめくように立ち並んでいる。一歩その外に出ると、草木もまばらな荒地や湿地となり、至るところに庶民の骸が放置されて穢臭を漂わせている。聞くところによると強盗や追い剥ぎも闊歩しているとのことだ。
 母の期待にかなうことではないが、この京都の地で華やかな表舞台に立つことは、あたしにとって願うべきことでもかなえられることでもないと思った。そして願わくは、平穏で何も気に病むことのない人生を送ることが出来ればと思っていた。

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