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「女殺油地獄」(18歳以上向け)

[前段までのあらすじ]
 大坂本天満町で油屋を営む河内屋の次男坊の与兵衛は、放蕩の日々を送る困り者。北の新地の馴染みの芸者、小菊に入れ揚げ、父の徳兵衛や兄の太兵衛から金を騙し取るまでして湯水のように無駄金を費やしていた。また先だっては、野崎の観音の参道で高槻藩の侍と一悶着を起こし、そのせいで母方の伯父であり、高槻藩に仕える山本森右衛門にまで類がおよぶ迷惑をかけてしまう始末であった。
 実はこの与兵衛、河内屋徳兵衛の実の息子ではない。元は河内屋の番頭であった徳兵衛は、先代の主人が亡くなった後、森右衛門のすすめで後家のおさわと結婚し、店を継ぐことになったのであった。その後、徳兵衛とおさわの間にはおかちという娘が生まれたが、太兵衛と与兵衛にとって徳兵衛は継父であった。兄の太兵衛は生真面目な性格で、家の仕事にも励んでいたが、弟の与兵衛はろくでなしに育ってしまった。しかし徳兵衛は、世話になった先代の忘れ形見である与兵衛に遠慮してしまい、厳しく育てることができなかった。
 さて本天満町の同じ町内には、河内屋と同じく油屋を営む豊嶋屋があり、両家は家族ぐるみの付き合いであった。とりわけ豊嶋屋七左衛門の女房お吉は、幼い時から見てきた与兵衛を弟のように可愛がっていた。七左衛門とお吉の間には幼い娘のお光をはじめ三人の子があったが、いまだに若々しく容姿端麗なお吉の姿に、他の男に言い寄られはしないかと旦那の七左衛門はいつもやきもきしていた。とりわけお吉が与兵衛に目をかけているのをいぶかしく思っていた。
 さてこの与兵衛、遊郭への支払いが滞っており、またしても父親から金を搾り取ろうと画策する。妹のおかちをそそのかし、一芝居打つことにした。仮病を使って床に伏せるおかち。病を癒すために白稲荷法印という山伏を呼んで祈祷をさせるが、この法印というインチキ坊主も与兵衛の差し金であった。法印が祈祷を始めると、おかちに先代の霊が憑いた様子で、「与兵衛を好きな女と娶らせて所帯を持たせるように」などと告げる。しかし先日、森右衛門が徳兵衛を訪ねてきて「与兵衛の身持ちが悪いのはそなたが甘やかすからじゃ。厳しい態度でのぞむようにせよ」と勧めていたため、徳兵衛は与兵衛の芝居を知ってか知らずか、まったく取り合わない。
 これに腹を立てた与兵衛は、徳兵衛を足蹴にし、あまつさえ床に伏しているおかちまで足蹴にした。そこにおさわが外出から戻ってきて、その様子を目にして与兵衛に勘当を言い渡す。激昂した与兵衛はあろうことか実の母であるおさわにまで手を上げたので、これにはさすがの徳兵衛も堪えかねて、与兵衛を激しく打ちすえ、おさわ同様、勘当を言い渡した。
 強がりを言いながら家を出ていく与兵衛。その後姿に亡き先代の面影が重なり、徳兵衛とおさわは涙するのであった。


 端午の節句を目前に控えた五月四日の夜。豊嶋屋の主人の七左衛門は、節気ごとの売り掛け金の取り立てに忙しそうに飛び回っていた。ちょうど七左衛門が出かけていくのと入れ違うように、与兵衛が豊嶋屋に向かってやってきた。
 実は与兵衛は、父親の印判を無断で使用して借金をし、その催促を受けていた。借りた金を今日中に返済できなければ、徳兵衛に難儀をかけることになる。強がりを言って家を飛び出した与兵衛ではあるが、その後さすがに後悔し、せめて家には迷惑をかけたくないと思うようになった。そのため豊嶋屋の七左衛門を頼り、金を用立ててもらおうとやってきたのであった。
 ところがちょうどその時、豊嶋屋の店先に父親の徳兵衛が現れたのを見つけ、与兵衛はあわてて物陰に身を隠した。徳兵衛はそのまま店の中に入ると、七左衛門の女房のお吉が出てきて応対した。与兵衛はその様子をこっそりとうかがっていた。
 徳兵衛は、銭三百の入った布袋をお吉に手渡してこう頼んだ。
「きっと与兵衛は豊嶋屋さんを頼って来るはずや。すまないが、与兵衛が来たらこれを渡してやってくれへんやろか」
 するとその時、徳兵衛の女房のおさわも現れて、その様子を見て言った。
「あんさん、そうやって与兵衛を甘やかすからあの子はだめになったんやわ。こんなことしたら豊嶋屋さんにも迷惑がかかるさかい、やめよし」
 おさわは銭の入った袋を取り上げ、徳兵衛を先に帰そうとする。徳兵衛は袋を取り返そうとおさわの腕をつかんで少しもみ合いになると、おさわのふところからずっしりと重いものが入った袋とちまきがこぼれ落ちた。その袋には銭五百が入っており、おさわも徳兵衛と同じことを考えて、銭とちまきをお吉の手から与兵衛に渡してもらおうと思ってここにやってきたのであった。
 そんな二人の親心に心打たれたお吉は、銭とちまきを預かり、与兵衛が来たら渡すことを約束した。
 
 両親が店を後にしたのをひそかに見送ってから、与兵衛は店の中に入った。そこにいたお吉に対し、さきほどのやりとりを隠れて聞いていたことを告げ、こんな自分に対してもなお情けをかけてくれる両親の心にふれて、これまでの自分を恥じて後悔していると話した。そして、
「俺は今日から心を入れ替えて、真人間として生きていくつもりや」
と言った。
 それを聞いてお吉もうれしくなった。小さい頃は素直な少年だったのに、父親が早くに亡くなり、母親が再婚するという家庭の変化とともに、ぐれて荒んでいく与兵衛の様子をずっと気がかりに思っていた。与兵衛が刹那的な生き方をしたり、遊郭に入り浸ったりするようになったのは、両親から情けをかけられず、孤独を感じていたためではないかとも思っていた。それが今ようやく親心に気付き、立ち直ろうとしている彼の様子を見て、お吉は預かった銭とちまきを彼に手渡した。
 与兵衛は喜んでそれを受け取ったが、銭は合わせても八百文。一方で与兵衛の借金は銀二百匁で、とうてい足りるものではない。与兵衛はあらためて、お吉に金を貸して欲しいと懇願した。
「今度こそは俺も真面目に生きていくさかい、後生やから、今回だけは金を用立ててくれへんか」
 それを聞いてお吉は心が揺れたが、金を貸すとなると豊嶋屋の貯えから出す他ない。今は旦那の七左衛門は留守であり、お吉の一存で店の金を渡す訳にはいかない。またもし七左衛門がこの場にいても、与兵衛に金を貸すことを許すとは思えなかった。
 というのも、これまでお吉が与兵衛に親切に接してきたのを、七左衛門は決してこころよく思っていなかったからだ。お吉は与兵衛のことを弟のような存在として思っていたが、七左衛門の方は、お吉が与兵衛を男として見て心を寄せているのではないかという悋気を起こしていたのだ。
 お吉は心を鬼にして、きっぱりと与兵衛の申し出を断った。与兵衛は驚き、切羽詰まった様子となって、お吉の手に取りすがりながら言った。
「お吉さん、俺は小さい頃からあんたのことが好きやった。大人になって、あんたが決して手に入らないお人であることがわかったんやけど、どうしても思いを断ち切ることはできひんかった。俺が新地の小菊に入れあげたのも、あんたと一緒になれへん寂しさをまぎらわすためやった。どうか俺と不義の仲になってくれへんか。俺を見捨てんといてくれや」
 お吉は自分の手を握る与兵衛の体温を感じつつ、自分の身体の芯もじんと熱くなるのを感じていた。あらためて自分の前でひざまずいて懇願する与兵衛の顔を眺めると、その長くて黒く生えそろった睫毛の様子が目に入り、思わずその頭を抱き寄せたい衝動に駆られそうになったが、それを心の中で押しとどめた。そして取りすがる与兵衛の手を振りほどき、あらためて毅然とした態度で彼の申し出を断った。
 与兵衛はしばらく押し黙ったままうずくまっていたが、ようやく顔を上げて言った。
「お吉さん、無茶を言って堪忍や。代わりにと言ってはなんやけど、油を二升、貸してくれへんやろか」
 お吉は与兵衛の意外な申し出に少し驚いたが、油くらいなら差し支えないだろうというのと、彼が真面目に商売に取り組もうとしているのではないかという思いもあって、それを承知した。そして油を取ってくるために店の裏手に向かった。

 お吉の後姿を見ながら、与兵衛は自分の身体の内側から震えるような衝動が湧き上がってくるのを感じた。そして腰に差した脇差に手をかけた。この脇差は、豊嶋屋に借金を断られたなら最後は自分の命を絶とうと思って手にしていたものであったが、今はお吉に対する激しい感情にあがらうことが出来ず、鞘から抜き放つと、店の裏で大樽から小樽に油を移し替えているお吉に向かって斬りかかり、その背中に刃を突き立てた。
 お吉は不意を突かれて一瞬固まった後、悲鳴を上げて前のめりに倒れ込んだ。手にしていた油樽が床に落ち、油がこぼれた。
 与兵衛はしばし血にまみれた脇差を手に呆然としていたが、我に帰ると足元にはお吉が倒れて肩で息をしている様子が目に入った。
「与兵衛さん、なんでこんな…」
 お吉は必死に這いずって与兵衛から離れようとする。顔面は蒼白になっている。その様子を見ながら、与兵衛は自分の股間に血流が流れ込んでくるのを感じた。彼はなぜ自分の身体がそうした反応を示しているのかわからず狼狽したが、このままお吉を逃す訳にはいかないと、ふたたび斬りかかろうとした。
 ところが床はこぼれた油にまみれており、与兵衛は足を取られて前のめりに転倒した。その時に顎を床に打ち付けて一瞬、気が遠くなりそうになったが、不思議と痛みはほとんど感じなかった。
 お吉も立ち上がることができずに這いずりながら逃げようとするので、与兵衛も這いながら追いかけ、お吉の着物の裾、ついで帯に手をかけた。与兵衛はお吉を引き寄せようとその帯を強く引いたが、油ですべってふんばることができないため、うまく引き寄せることができなかった。お吉の着物の帯はゆるみ、また乱れた裾からは彼女の白いふくらはぎがあらわになった。
「…うちには三人の幼い子がいるんや。その子らのためにも、命だけはとらんといて…」
 彼女は逃げながらも必死に命乞いをした。それに対して与兵衛は、
「お吉さん、こうなったのもぜんぶあんたのせいや。悪いけどこのまま死んでくれ」
と言うと、さらに彼女に取りすがり、彼女の髷に手をかけた。そのまま引き寄せようとするがまたもや手がすべって果たせなかった。与兵衛の手は油と彼女の鮮血にまみれて、そこに抜けた髪の毛がこびりついていた。彼女の髷は形が崩れて、黒髪がばらばらに乱れた。
 その様子を見ながら、与兵衛はますます自分自身が怒張していくのを感じた。お吉は立ち上がろうとするが油に足を取られ、今度は仰向けに倒れた。着物の裾が割れて、白い太ももがのぞいた。与兵衛は彼女に馬乗りになり、手にした脇差を、帯が解けかけた彼女の腹部に突き立てた。
 彼女は声を上げ、しばらく身体が硬直したようになったが、やがてぐったりと力が抜けた。与兵衛は、突き立てた脇差ごしに、彼女の身体が震えるのを感じた。それと同時に、与兵衛の怒張した男性自身から、熱い精がほとばしるのを感じていた。
 しばらくして我に帰ると、お吉は与兵衛の下で息絶えていた。与兵衛は脇差を抜こうとしたが、お吉の身体が刀身を握って離さないかのように、なかなか引き抜くことができなかった。なんとか引き抜くと、お吉の着物と襦袢はみるみる赤い血に染まっていった。
 与兵衛はよろけながら立ち上がると、倒れているお吉の姿を振り返って見ることもなく、座敷に戻った。そして戸棚にあったありったけの金を懐に押し込めると、店の外に駆け出した。遠くに聞こえる犬の遠吠えに怯えながら、与兵衛は夜道を走って逃げ去っていった。

【注釈】

・ 本編は近松門左衛門作の人形浄瑠璃『女殺油地獄』の「豊嶋屋油店の段」を下敷きにしているが、物語の内容はほぼ原作通りである。凄惨な場面であるがこの演目のクライマックスである。原作ではこの後に、与兵衛が捕らえられる「同逮夜の段」が続くが、人形浄瑠璃や歌舞伎でこの結末の段が上演されることはほとんどない。

・ これまでの「官能怪談」シリーズの物語とは異なり、本編には直接的な性的シーンはない。しかし与兵衛はお吉を殺す過程において、性的な快感を覚えて、最後は射精にいたるという内容に脚色している。

・ 殺人犯が犯行時に射精するという事例はしばしば認められる。1929年から1930年にかけて12人を殺害、他に25人に対して殺人未遂および傷害事件を犯したピーター・キュルテン(1883-1931)は、殺害時に性的オーガズムを得て射精したとされており、いわゆる快楽殺人の一例とみなされる。キュルテンは被害者をレイプすることはなく、殺害それ自体に性的快楽を得ていたといわれている。日本においては、2005年に「大阪姉妹殺害事件」を起こした山地悠紀夫(1983-2009)の事例が知られる。山地は22歳の時、27歳と19歳の姉妹が住むアパートの部屋に押し入り、二人をレイプした後刺殺し、部屋に火を放った。一月後に山地は逮捕されたが、その後彼は16歳の時に実母を撲殺する殺人事件を起こしていたことが明らかになった。「大阪姉妹殺害事件」の取調べの際、母親を殺害した時に「返り血を流すためシャワーを浴びたら、射精していたことに気付いた」と供述している。

・ 『女殺油地獄』はこれまで何度か映像化されているが、このうち五社英雄監督による1992年版(主演:樋口可南子、堤真一)では、与兵衛とお吉の間には肉体関係があったとする筋書になっている。「官能怪談」としてはこちらの内容の方が分かりやすかったが、本編では与兵衛の歪んだ欲望を強調する意図から、この筋を採らなかった。

・ 原作では、お吉が与兵衛に対して異性を意識していることをほのめかす場面(前段の「徳庵堤茶店の場」において、泥まみれになった与兵衛の身体を洗うために二人で茶屋に入るという場面)があるが、本編では省略している。むしろ本編では、お吉は与兵衛をずっと弟のように思っていたのであるが、与兵衛に迫られて始めて彼を異性として意識するという演出にしている。また原作では、与兵衛はお吉のことを異性としては意識しておらず、「色気はあれど見かけばかりでうま味のない飴細工の鳥のようだ」と憎まれ口をたたいている。しかし本編では、与兵衛はお吉に対してずっと鬱屈した気持ちを抱いていて、結果的にそれが彼女の殺害につながったという演出にしている。

・ 原作における与兵衛は、借金を返すためにお吉に借金の申し出をし、それを真っ当な理由で断られると今度は不義の仲になって金を貸して欲しいと言うなど、その行動と性格は支離滅裂で身勝手なものとして描かれている。またお吉を殺害する動機も合理的なものではなく、ただ借金を断られた腹いせと、目先の金を奪うためだけという短絡的かつ衝動的なものである。ある意味で与兵衛は純粋な悪そのものであり、かえって清々しさを感じるほどである。


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