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怪談『鈴の音』(異伝)

 時は江戸時代。旗本の名家である萩原家と伊藤家は親戚筋にあたり、家族ぐるみの付き合いの仲であった。萩原家の家督を継いだ新左衛門も、幼い頃から伊藤家に出入りし、その娘たちとも仲睦まじく育った。伊藤家の二人姉妹のうち、姉のお梅は物静かでおとなしく、妹のお桃は明るく愛嬌のある性格であったが、いずれも美しい娘に育った。新左衛門はどちらかと言えばお桃と親しくしていたが、両家の親同士の意向もあり、お梅が萩原家に嫁ぐこととなった。

 新左衛門とお梅の新婚生活は、おしどり夫婦として周囲もうらやむ様子であったが、ほどなくしてお梅は物病みとなり床に伏せってしまう。次第に顔の左半分が腫れ上がり、食も喉を通らなくなって痩せ衰えていった。そうしたお梅を新左衛門は献身的に看病するが、一向に良くなる気配はなかった。
「私の命もいよいよ尽きようとしています。死ぬことは恐ろしくありませんが、ただひとつ気がかりなことがございます・・・」と、かすかな声でお梅は言った。
「何を気がかりと申す」と新左衛門が聞くと、お梅はこう答えた。
「私が死んだら、きっとあなた様は後添えをもらわれるでしょう。お家のためには仕方のないことですが、短いながらもあなた様と過ごしたこの家に、他の女が入ると思うと心が苦しくてなりません。それ以上に、あなた様が私のことを忘れてしまわれるかもしれないと思うと、悲しくてなりません。」
 新左衛門はお梅の心を落ち着かせようと、こう言った。
「案ずるな、お梅。俺は後添えはもらわん。約束する。」
「約束・・・してくださいますか。」少し安らかな表情になって、お梅は言った。「お願いがございます。私が死んだら、嫁入りの時に持ってきた鈴を、庭の梅の木のたもとに埋めていただきたいのです。そうすれば、ずっとあなた様の側にいることができますから・・・」
「承知した。俺の妻はこれから先もお前だけだ。」
 新左衛門の言葉を聞いたお梅は、すっかり安心したような表情で目を閉じた。そしてそのまま息を引き取った。

 新左衛門とお梅の間には子がなかったため、しばらくすると周囲の者たちは新左衛門に後添えをもらうように勧め始めた。だが新左衛門はお梅との約束があったため、それを固辞し続けた。
 しかしお梅の実家の伊藤家も新左衛門のことを案じ、お梅の妹のお桃を後添えにする気はないかと新左衛門に尋ねた。お桃も新左衛門のことは憎からず思っているという。新左衛門にしても、お梅の妹であり、幼い時から親しくしてきたお桃であればと、次第に心が傾いていったようで、ついにはお桃と再婚することとなった。

 お桃が新左衛門の家に嫁いできて七日目の晩のこと。お桃はどこからか聞こえる鈴の音で目を覚ました。音をたどるとどうやら庭の方から聞こえてくるようである。お桃は庭に降り、音の鳴るところを探すと、その出所は梅の木の方であるようだった。
 お桃が梅の木に近づいてふと見ると、そこには鈴を手にしたお梅の姿があった。
「あなたはすぐにこの家を出て実家に帰りなさい」とお梅は言った。「新左衛門様は、けっして後添えをもらわないと私に約束してくださいました。もしあなたがこの家に居続けるなら、私はあなたの命を取らねばなりません。」
 驚いたお桃はそのまま気を失ってしまった。
 何事かあったことに気付いた新左衛門は起きてお桃を探すと、梅の木のたもとで倒れているのを見つけた。新左衛門はお桃を寝所に連れて帰り、明け方になって意識を取り戻したお桃に何があったか尋ねた。
「姉上様が、梅の木のかたわらに立っておられて、私に実家に帰るように言ったのです・・・」お桃は震えながら答えた。
「まさか、お梅が幽霊となって現れたと申すか。」
「・・・恐ろしくてなりません。でも私は、こうしてやっとあなた様と一緒になれたのに、離れたくはありません。」
 新左衛門は半信半疑ながらも、お桃を安心させるために言った。
「安心せよ。もしこんどお梅が現れたなら、俺が見に行ってきてやる。」

 不安をかかえながら迎えた次の晩、鈴の音は聞こえず何事もなかった。二日目の晩も何事もなく過ぎた。
 そして三日目の晩。丑の刻になった頃に、庭の方からまたしても鈴の音が聞こえてきた。おびえるお桃に、新左衛門はこう言った。
「お前はここにおれ。俺が行って、いまいちどお梅をあの世に送ってきてやる。」
 新左衛門は枕元に置いておいた太刀を手に取ると、庭に降りて梅の木の方に向かっていった。するとそこには、片手に鈴を下げ、鳴らし続けるお梅の姿があった。
「新左衛門様・・・後添えはとらないと約束されたのに、それを破ってしまわれたのですね。」お梅は冷ややかな声で言った。
「お梅・・・聞き分けよ。後添えをもらったのはお家のためだ。しかもお桃はお前の妹ではないか。」
 新左衛門はそう答えたが、お梅は無表情のまま鈴を鳴らし続けた。
「お梅、許せ。往生せよ」と新左衛門は鞘から太刀を抜き、大上段に構えてお梅に斬りつけようと構えたところ、お梅の姿はふっと消えてしまった。

 夜が明けると、新左衛門はすぐに寺の僧侶を呼び、梅の木の前で念仏を上げさせた。新左衛門とお桃も、その前で何度も念仏を唱えた。
 次の晩は、鈴の音が聞こえてくることはなく、何事もなく過ぎた。二日目の晩も、何事もなくふけていった。
 そして三日目の晩。丑の刻になった頃に、新左衛門は鈴の音を耳にする。はっと気がつくと、隣にいるはずのお桃の姿がない。枕元の太刀を手に取り、庭に降りて梅の木のもとへ急いだ。
 はたしてそこで新左衛門が目にしたのは、片手にお桃の首を持ち、もう一方の手に持つ鈴を鳴らし続けるお梅の姿であった。
「何ということを・・・お梅!」新左衛門は太刀を抜きざまに、お梅に向けて刃を一閃させた。お梅は首を斬り落とされ、その場に崩折れた。
 一瞬、時が凍りついたような空気がその場に流れた。次の瞬間に新左衛門が目にしたのは、首と胴が離れ、血の海に横たわるお桃の亡骸であった。そして斬り捨てたはずのお梅の姿は、どこにも見当たらなかった。

 この出来事があってほどなくして、新左衛門もまた心身衰弱によってこの世を去った。萩原家は親戚筋から養子をもらうことで、幕府より存続を許されたが、その後継ぎもしばらく後に改易の憂き目にあった。萩原家の屋敷は人手に渡ったが、その庭にあった梅の木のことは、その後も人々の噂するところとなり、鈴の音を聞いたと言う者が今なお後をたたない。

【解題】
 この物語は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談『破られた約束』を下敷きに、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』のモチーフを織り込んだものである。『鈴の音』というのは、講釈師の一龍斎貞水(1939-2020、重要無形文化財保持者(各個認定))が『破られた約束』を上演する際に新たに付けた題名である。
 本作のプロットは、基本的に原作である『破られた約束』のそれと同じである。ただし原作では、先妻の幽霊は後妻を惨殺した後に夫の家来に斬られ、夫はその後どうなったかは語られていない。そして本編の後、作者の八雲と友人(実は八雲の妻のセツ)の以下のような会話による論評で締めくくられている。

 私は言った。
「酷い話だ。死者の復讐は男に対して為されるべきだったのだ。」
 しかし、この話をしてくれた友人はこういった。
「男性はみなそう考えます。しかしそれは女性の考え方ではありません。」
 その友人の言ったことは正しかった。

 本作と原作における大きな違いのひとつめは、本作では先妻と後妻の関係が姉妹ということである。最初の妻が亡くなった後、その妹を次の妻として迎えるというあり方は、文化人類学では「ソロレート婚」と呼び、日本でもかつては一般的に行われてきた。逆に最初の夫が亡くなった後、その弟に嫁ぐというあり方は「レビレート婚」と呼び、ユダヤ人の間では一般的な習俗であった(旧約聖書『申命記』25章5節)。日本では儒教の影響のため、江戸時代になるとレビレート婚は忌避されるようになったが、ソロレート婚は比較的寛容に扱われた。
 姉妹と結婚するというモチーフは、神話や民話で広く見られるものである。姉が醜いのに対し妹は美しく、醜い方を大切に扱うと幸福がもたらされるが、粗末に扱かうと不幸がもたらされる、というのが一般的な物語のパターンである。日本の神話においても、ニニギノミコトが美しいコノハナサクヤヒメ(妹)と醜いイワナガヒメ(姉)の姉妹を娶るが、イワナガヒメを実家に送り返したために、その子孫たちは限りある命(寿命)となってしまったという物語が語られている。ただし本作では、お梅もお桃もいずれも美しい女性で、ただ性格が異なる、という設定にしている。

 もうひとつの大きな違いは、『四谷怪談』のモチーフを織り込んだことである。お梅は顔の左半分が腫れ上がって衰弱し死に至るが、これは『四谷怪談』のお岩が盛られた毒を思い起こさせる。すなわちお梅は毒殺された可能性があるのだ。
 もしお梅が他殺であるなら、犯人は以下の可能性が想定される。
 1. 新左衛門
 2. お桃
 3. 新左衛門とお桃の共犯
 新左衛門が犯人と推定した場合、その動機として考えられるのは、お梅のことを疎ましく思うようになったか、あるいはお桃と結婚したいと思うようになりお梅が邪魔になったかのいずれかであろう。彼はお梅に毒を盛るのが容易な立場でもある。
 お桃が犯人と推定した場合、その動機として考えられるのは、お梅を殺害して新左衛門の後添えになるというものであろう。彼女がお梅に毒を盛るのは難しいかもしれないが、実家からの付け届けの菓子などの中に毒を盛ることは可能かもしれない。
 新左衛門とお桃の共犯と推定した場合、おそらくお梅が生きているうちから二人は密通しており、お梅を亡きものにして二人が再婚するという筋書に基づいた計画的な犯行であったと考えられるだろう。
 問題はお梅自身が、自分が殺害されたことに気付いていたかということである。お梅の幽霊は、自身が殺されたことに言及していないことから、そのことに気付いていなかったのかもしれない。あるいは気付いていたが、それ以上に新左衛門が後添えを迎えたことを恨めしく思っていたのかもしれない。ただいずれにせよ、新左衛門もお桃も死に至っているため、どちらが犯人であったにせよ、お梅の復讐は果たされたことになる。
 またもうひとつ『四谷怪談』から借用したモチーフとして、新左衛門がお梅の幽霊を斬ると、それがお桃に変わっているというものがある。これは『四谷怪談』において、錯乱した民谷伊右衛門がお岩の幽霊を斬ると、それが実は新妻である伊藤喜兵衛の孫娘お梅であった、というシーンからの引用である。原作では先妻の幽霊が後妻に直接手を下しているが、本作ではお梅の幽霊が、新左衛門自身の手でお桃を斬るように仕向けているところから、お梅の情念の深さがより強調されている。

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