ムーンブルクの王女の物語ー女皇帝の帰還ー(プロット)
メルキドの攻防戦は、初戦はボリショイ魔法帝国軍の無様な敗退に終わった。
態勢を立て直し、ふたたび攻撃を始めんとした時、すでにメルキドはもぬけの殻だった。レジスタンスと街の住民はいつの間にか、忽然と姿を消していたのである。
私が行った魔法調査の結果、「旅の扉」を出現させて彼らはそこから脱出したようであった。「旅の扉」はご丁寧にも破壊されており、どこに通じていたのか、追跡は不可能であった。
私はこの事実に慄然とした。「旅の扉」は今は存在しない古代の魔法で作られており、私ですらそれを作り出すまでにはいたっていない。もしこれをプリンが作ったとするなら、彼女はすでに私の知らない領域の魔法にも通じていることになる。
また「旅の扉」を作れるということは、レジスタンスが世界中を自由に行き来できることを意味していた。ルーラの呪文なら少人数を移動させることは可能だが、軍団を瞬時に移動させることはできない。しかし「旅の扉」使えば、一気に大人数を移動させることが可能だ。極端な話、帝国の中枢部に突然のレジスタンスの侵入を許してしまう可能性すらあるのだ。
さらにメルキド攻防戦の結末は、帝国の威信をおおいに失墜させた。皇帝が親征したにも関わらず敗戦を喫したことから、世界各地の反帝国勢力はその活動を活発化させた。そしてその動きをレジスタンスはたくみに取り込み、勢力を増しているようだった。
特に以前からの懸念であった西サマルトリアの分離独立運動が収まりを見せず、その活動の背景にはレジスタンスの「カイゼリン(女皇帝)」がいることは疑う余地がなかった。さらにいったんは鎮圧したかに見えた旧ロンド連合の諸地域にもふたたび複数の小勢力が台頭し、魔法軍はその掃討に追われた。
そして決定的だったのはデルコンダル王国の離反である。デルコンダルへの魔法軍の駐留は、圧倒的な武力を背景に、無理矢理に認めさせたものであった。だが、もともと勇猛果敢を国是とする王国にとってこれは屈辱的なことであり、反攻の機会をうかがっていたものと思われる。駐留していた魔法軍は放逐され、さらにデルコンダル王国軍は海を渡ってローレシア王国の南部に橋頭堡を築いた。さすがにそれ以上の侵攻は難しかったようだったが、これがひとつのきっかけとなり、帝国への反攻の動きは燎原の火のように、世界各地へと広がった。
しかし私はメルキド攻防戦以後、自ら戦場に立つことはなかった。それは皇帝として各地の戦線を指揮しなければいけないということもあったが、それは言い訳に過ぎない。
ひとつには、私は自らの魔法で敵を倒すことがどうしても忍びないという感情があった。ロンド連合との戦争では、私自身がムーンブルク共和国第三軍の指揮官として戦場に立ち、魔法であまたの敵を打ち倒した。戦争とはいえ、自らの手で数万もの人々の生命を奪ったことは、一生背負い続ける十字架となった。
そうした思いがあって作り上げたのが、ゴーレムの歩兵部隊による魔法軍であった。これによって少なくとも味方の血が流れることは減った。しかし人造兵士が人々を蹂躙していく姿を見た者たちは、たとえ相手が敵であっても、嫌悪感を覚え、帝国に対する反感につながっていったという面は否定出来ない。後世の歴史家は、私のことを「悪の皇帝」と評価するのかもしれない。
そしてもうひとつには、レジスタンスのリーダー「氷の女皇帝」ことプリンと相見えることを、私は恐れていたのだ。これはまったく個人の感情によるところであり、皇帝として失格との批判をまぬがれることは出来ないだろう。
しかし私は、いずれは彼女と決着をつける時が来ることも理解していた。そしてそれは意外にも早く訪れた。
戦線が世界各地に拡大したので、当初は圧倒的な兵力であった魔法軍のゴーレム部隊も損耗していき、予備を含めても当初の戦力の半分程度にまで落ち込んでいた。そのため新たなゴーレムの補充のため、私は帝都ムーンブルク城を離れ、魔法軍の秘密基地である「海底の洞窟」に滞在する期間が長くなった。魔法軍には多くの魔法使いが従軍していたが、ゴーレムを作り出す魔法を私の代わりに行使出来る人材はまだ育っていなかったので、私自らがその製造に携わる必要があった。
この「海底の洞窟」の基地は絶海の孤島にあり、島の周囲は浅瀬に囲まれていて船の接近を許さなかった。また洞窟自体が海底火山の一部となっており、火山には今でも熱いマグマが湧き出していた。いわばここは天然の要害であるとともに、火山から湧き出る温泉がゴーレムのインキュベーター(培養装置)にとっても好都合だったのだ。
私はインキュベーターが並ぶラボラトリーで、中に入っているゴーレムの状態を一体一体、丁寧にチェックしていた。すると魔法軍の将校の一人があわてて駆け込んできた。
「ムーン様、緊急事態です!」
「どうしたのです、アレックス?」
「レジスタンスの一団が、セキュリティを突破して基地内部に侵入しました!」
私は彼に、迎撃態勢を取るように冷静な口調で命じた。しかし私の内心は穏やかではなかった。
プリンの気配を、感じたからであった。
私はラボラトリーを出て、大広間と呼ばれるところに向かった。そこはこの「海底の洞窟」の中で最も広い空間で、周囲にはいたるところにマグマの池がある。狭い空間での戦いとなれば、下手に魔法を使うと基地全体が崩れてしまうことにもなりかねない。私はそこで彼女が来るのを待った。
やがて予期したとおり、「氷の女皇帝」ことプリンが、ただ一人そこに現れた。白いローブに、紫色の頭巾をかぶり、手には杖を持っている。まぎれもなくその服は、私が彼女のために仕立てたものであった。そして頭巾の裾からは、彼女のウェーブのかかった長い金髪がこぼれていた。
私も、白いローブに赤い頭巾をかぶり、杖を手にしていた。かつてローレやサマルと一緒に旅をした時と同じ格好である。もっともその時の衣装は古くなったので今はもう残っていないが、戦いに臨む時はいつもこの同じいで立ちであった。そして私の紫色の髪からは、光の粒がいくつもこぼれてキラキラと輝いた。プリンの魔力に反応しているのである。
プリンは私に厳しい視線を向けている。あの人見知りで引っ込み思案だった少女が、これほどまで意志の強い表情を見せていることに、私は場違いながらうれしい気持ちとなった。しかし私はつとめて無表情なまなざしで、彼女を見つめていた。
しばらくにらみ合った後、彼女は口を開いた。
「あなたは……私がどれだけあなたを愛しているか、知っていたのに……」
私はその言葉に衝撃を受けた。彼女の口からは、皇帝となって強権的な政治を行う私への非難の言葉が投げかけられると思っていたからだ。
プリンはその手の杖の先端を、私に向けながら続けた。
「あなたは、私の愛にこたえてはくれなかった……!」
彼女はそう叫んだ。私はそれに返す言葉もなく、ただ心の中には後悔が渦巻いていた。
私は、彼女のことは今でも愛おしく思っている。むしろこれほどまでに成長を遂げた彼女を、本当ならよろこんで抱きしめたい思いであった。しかし一方で私は、彼女がこれまで私に向けてきた思いを正面から受け止めず、それをはぐらかすような態度に終始していたことを思い起こしていた。
私は彼女を弟子として愛するとともに、彼女を自分の娘のように愛した。だからこそ私は彼女を鍛え、彼女を一人前にして送り出すことに情熱を注いだ。しかし彼女はただ、私と一緒に生きたかったのだ。
もし私があの時、彼女と一緒にいることを選んでいたなら、皇帝になることも、こうして敵同士になることも、なかったかもしれない。
「そして……あなたは愛を失った!」
プリンが私の方に向けた杖の先から、巨大な氷の刃がいくつも現れたかと思うと、次々とおそるべき速さで私に向かって飛んできた。
私は古代ルーン語の呪文を唱えると、目の前に巨大な火の玉が現れた。氷の刃と火の玉がぶつかり合うと、大きな音を立ててそれらは打ち消し合った。
私とプリンの魔法の応酬は果てしなく続いた。その様子を察知して敵も味方もこの大広間に駆け付けたが、二人から放たれる魔法が周囲にまで弾け飛んでいたため、巻き込まれないようにみな遠巻きにしてその様子を見守っていた。
プリンは私の放つ炎の魔法でかなりのダメージを受けているようで、回復呪文も十分に追いついていない様子だった。かくいう私も、彼女の氷の魔法によってダメージが蓄積していた。
ここにいたって彼女は覚悟を決めて勝負に出たようだ。杖を構えると、連続して無数の氷の刃を私に向かって発射した。私はバギクロスの呪文を唱えると、竜巻が私の前に立ちはだかり、氷の刃を次々と砕いて弾き飛ばした。破片のいくつかはプリンに向かって飛んでいき、彼女の身体を切り裂いた。血しぶきが舞った。
「プリン! 一本調子のままだと、相手にパターンを読まれるわよ!」
私は叫んだ。それでも彼女は氷の刃による攻撃の手をゆるめない。
氷の刃の暴風は、私を守る竜巻を次第に圧倒していった。私はさらに竜巻を発生させるべく、呪文の詠唱を始めたところで、隙が生じた。
「あっ……!」
気が付くと、竜巻の防壁をかいくぐった一枚の氷の刃が、私の右腕を切断していた。私は杖を取り落とし、次の手を打てなくなっていた。
私は肩口から切り落とされた腕の根本を左手で押さえ、意識が朦朧となるところを歯を食いしばり、彼女を見た。彼女も全身、血にまみれていたが、足元はしっかりしており、杖を私の方に向けて、毅然とした視線を私に向けていた。
私には分かっていた。今の彼女は攻撃の手を止めているが、次に彼女が放つ攻撃を、私は避けることが出来ないことを。
「よくやったわ、プリン……」
「……」
「信じてもらえないかもしれないけど……今でも私はあなたを愛しているわ」
そう言うと私は後ずさりした。私の背後は断崖となっており、その下は溶岩の池である。私はそのまま背中から倒れ、自分の身を投げた。
「ムーン様……!」
プリンの叫ぶ声が、大広間に反響した。
皇帝を失った帝国の首脳部は、すぐさま元老院を再招集し、臨時の大統領を選出した。こうしてボリショイ魔法帝国は瓦解し、ボリショイ連邦第二共和国が発足した。
魔法軍は解散し、世界の各地域から旧帝国軍は撤収していった。西サマルトリアは独立を宣言し、すぐさまサマルトリア王国との間で講和条約を締結した。ローレシア南部に駐屯していたデルコンダル王国軍も撤兵し、両国の間で停戦が締結された。旧ロンド連合の地域には小勢力が乱立し、たがいにしのぎを削る状態が続いているが、大きな戦争に発展する様子は今のところない。
レジスタンスは、帝国打倒という目的を達成したためか、解散したようである。もともとひとつのまとまった勢力ではなかったので、その勢力は各地域に分散したものと思われる。リーダーとして象徴的な存在だった「氷の女皇帝」と呼ばれる人物は、レジスタンスの解散とともアレフガルドに身を移し、魔法ギルドの運営に携わるようになった。
帝国が崩壊した後の世界は、決して平和でもなく、安定したものでもなかったが、少なくとも多くの人々は解放感を感じているようだった。
「どうして私を助けてくださったのですか……竜王様?」
私は椅子に腰かけたまま、窓辺に立つ長身の男性にたずねた。
「それは、あなたが私の大切な人だからですよ……ムーン殿」
彼は静かにそう答えた。もちろん私には分かっていた。彼は「大切な人」という言葉に、特別な感情を込めていないことを……そして彼は私のことを本心から「大切な人」と思ってくれていることを。
私は、彼のそうした程良い距離感に、感謝した。
「私はあの時、申し上げたでしょう……大きな力は、時にその本人を飲み込んでしまうことがあることを」
「はい、よく覚えています。あの時の私は、それを自分のこととして受け止めるだけの思慮が足りませんでした」
私はこの竜王城に過ごして早一月ほどとなる。プリンに切り落とされた右腕は、再生して新しい腕を付けることも出来たが、あえて私はそれをしなかった。それは私なりのけじめのつもりであった。ただ、左手で包丁を持つのにはまだ慣れておらず、もどかしい思いをすることもあったが……。
「竜王様」
「ムーン殿」
私たちは同時に言葉を発したので、その声が重なった。竜王様が遠慮されて、私が先に発言するように促したので、私は続けた。
「竜王様……もし差し支えなければ、もう少しここに居させて頂いてもよろしいでしょうか……?」
「……ふふふ」
「……どうしました、竜王様?」
「いえ……私も同じことを言おうとしていたのですよ。このままあなたさえ良ければ、この城に居てください、と」
「竜王様……」
私はこれまで長い旅をしてきたが、ようやくここで休まる場所を見つけたような気がした。
窓の向こうには海をはさんで遠くにラダトーム城が見えた。そこにプリンがいることは気配で感じられた。私が感じ取れたからには、彼女も私がここにいることを知っていることだろう。それでも彼女は、何事もないかのように日々の生活を送っている。私も彼女が自分の近くにいて、元気で過ごしていることを感じるだけで幸せだった。
私は、この静かな生活が続いていくことを心より祈った。(完)
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