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「応挙の幽霊」(18歳以上向け)

 京都の若き絵師、円山主水は長い修行の旅からひさしぶりに自宅に戻ってきた。そして馴染みの料理屋を訪ねてみると、どうも様子がおかしい。その店は甚兵衛とその妻の二人によって切り盛りされてきたのであるが、近頃は客の入りもさっぱりで、とうとう70両もの借金を重ねてしまったとのこと。このままでは年を越すこともできず、夜逃げするしかないかもしれないとのことであった。
 困り果てた夫婦の様子を見て、主水もなんとかしてやりたいと思ったものの、さすがに70両もの借金を肩代わりしてやれるほどの余裕はない。それではと、せめて福の神の絵でも描いてやろうと甚兵衛に約束した。
 ところが主水は最近、そのような絵は描いていない。しばらく思案した後、ふと、いっそ誰も描いたことのない恐ろしい幽霊画を描いてやろうと思いついた。
 数日後、主水は完成した絵を甚兵衛夫婦の前で披露した。そこには、痩せ衰えた若い女が、病に苦しみ、右手に抜けた髪をつかみ、左手で髪を絞ってそこから血が滴っているという凄惨な光景が描かれていた。
 甚兵衛は驚いて、「主水様、このような不気味で恐ろしい絵をいただいたら、福の神も逃げてしまいますわ」と言った。それを聞いて主水はこう答えた。
「甚兵衛殿、陰と陽というのはいわば表裏一体のもの。陰は必ず陽に帰るものです。この絵はいわば陰気の極みですが、これから後は陽気に帰るしか他にありません。この店の商売も今は陰気になってますが、これからは必ず陽気に向かっていくはずです」
 そう言って主水は半ば押しつけるようにその絵を甚兵衛に渡したのであった。
 主水の予言どおり、この恐ろしい幽霊画は世間の評判となり、その絵見たさに多くの客が甚兵衛夫婦の店に押しかけるようになった。たちまちのうちに料理屋の商売は盛り返し、借金をすべて返し終わるどころかそれを上回る蓄えまで得ることができた。
 もちろんそれにともなって主水の絵師としての名声も高まった。主水はそれにまんざらでもない気分を覚えつつも、この幽霊画を描くきっかけとなった、遠くは長崎での出来事について思いを巡らせていた。

 主水が日本全国をめぐる絵の修行の旅で、長崎に滞在していたのは三月ほど前であった。長崎では、ある裕福な商家の家を飾る襖絵の制作を依頼され、見事な牡丹を描いた絵を十日間ほどかけて完成させた。商家の主人はたいそう喜び、お礼として主水を丸山の遊郭の、巴楼という店に連れ出した。
 作品を完成させた達成感もあり、主水もおおいに盛り上がった。酒もかなり進んだために、その日は店に座敷を用意してもらい、そのまま泊めてもらうこととなった。
 その夜、手水に立った主水は、部屋に戻る途中にある部屋から「ウーン、ウーン…」といった苦しそうな声を聞いたので、つい好奇心から中を覗いてしまった。そこで目にしたのは、痩せ衰えた女が床について、髪の毛を振り乱してうめき声を上げている様子であった。
 聞けばその女は小紫という名前の遊女で、半年前に病になり、医者にも診せてもらえず、それ以来この座敷で寝かされたままにされているのだという。苦しい声を上げると、店の者からぶったり蹴ったりされる仕打ちさえ受けているのだという。
 さらに聞くと、小紫は幼い頃、どこかの天神様の境内で遊んでいたところをかどわかされ、人買いの手からこの長崎の遊郭に売られたのだという。一時は売れっ子にもなったが、病気になってからは客を取ることもできないのですっかり邪魔者あつかいとなり、あとは死ぬのを待つだけだという。
 主水は哀れに思い、小紫に三両の金を与え、代わりに小紫の姿を描かせてもらうことになった。さらさらと下絵を描き終わったところで、小紫は主水に布の切れ端を手渡して言った。
「これは私が身につけていたお守り袋の中に入っていたものです。主水様は全国をお歩きになっていらっしゃいますので、もしこの布に心当たりがある人を見つけられましたら、小紫は長崎で死んだとお伝えいただければうれしいです」
 見るとそれは赤い牡丹の花が描かれた唐錦の布であった。

 次の朝に主水は逗留していた宿に戻り、出発の支度を整えた。翌日の朝に長崎を発ち、ひさしぶりに京都の自宅に帰ることにしたのである。その道中、できれば小紫から手渡された唐錦の手がかりについても探してみるつもりだった。長崎で世話になった人々にお礼を言って回り、宿に戻った頃にはすっかり日も落ちていたので、夕食を済ませて早めに床についた。
 その夜、ふと目が覚めた主水は、部屋に誰かいる気配を感じた。見るとそこにあったのは、豪華な打掛を羽織り、結い上げた髷にはかんざしを何本もさした遊女が、三つ指をついている姿であった。そしてゆっくりと上げたその面影は、たしかに昨夜見た小紫のものであった。しかしそれは病気でやつれたものではなく健やかなものであった。驚く主水に彼女は言った。
「最後に主水様の優しさに触れることができて、私は幸せでした。私から主水様にお返しできるものは何もありませんが、もし主水様のご迷惑にならないようでしたら、私を抱いてくださいませ」
 そう言うと小紫は、主水の懐に自分の身を寄せた。髪につけた椿油の香りが、主水の鼻腔をついた。
「これは夢や」主水は思った。しかし胸元に寄り添う小紫の感触に、自身の身体の中に熱くなるものを感じ、そのまま彼女の身体を抱きしめた。小紫は少し顔を上げ、二人はたがいの顔を見つめ合うと、そのまま口づけを交わした。
 しばしの口づけの後、小紫は身を離し、羽織っていた打掛を後ろ手に脱ぐと、前帯をするするとほどいていった。着物がゆるみ、肩から胸元にかけての肌があらわになった。そしてふたたび主水の元に寄り添うと、その浴衣の帯紐を解き、その胸に唇を当てた。主水は、きれいに剃り上げられた小紫のうなじを目にしながら、その唇が自分の胸に吸いつく感触に反応し、男性自身が屹立していくのを感じていた。
 小紫は主水と手を絡めながら、「主水様の指…きれいです」と言い、その指を口に含んでねぶり始めた。小紫の紅を引いた唇と、お歯黒で黒く染められた歯が、主水の細長い指に絡みついていく。ひとしきり主水の指をしゃぶりつくした後、小紫は主水の浴衣をすっかりめくり上げ、あらわになった彼の男性自身を口に含んだ。
 小紫は首や顎をあまり動かさずに、口にしたそれを舌と唇で丁寧に愛撫し続けた。主水も思わず悦楽の声を上げそうになるところをなんとか堪え、今度は自分の方が上になりたいと言った。
 小紫は枕に頭を据え、襦袢の腰紐を解き、胸から下腹部にかけての白い肌をあらわにした。主水は小紫のツンと尖った乳首に唇を添え、手のひらでその小ぶりながら柔らかい乳房を下から抱え上げるように揉むと、小紫は「あっ…」と甘い吐息をあげた。主水はゆっくりと彼女の胸からみぞおちを通って下腹部にいたるまで唇をはわせていくと、短く手入れされた陰毛と、その下ですでに開き始めている花弁が見えた。主水がその花のめしべに口づけをし、さらに舌と下唇でねぶっていくと、小紫は高い声を上げた。
「主水様…指でいじめてください」と言うので、主水はその中指を秘部の中に差し入れていくと、そこはすでに十分潤っており、入口のあたりをキュッと締め付けてきた。主水は指の腹にざらざらした感触を感じ、その部分をゆっくりと押すようにすると、小紫はさらに高い声を上げた。
「主水様…お願いです、入れてください」と小紫は潤んだ目で言うので、主水は彼女の秘部からゆっくり指を引き抜くと、彼女は短く「あっ」という声を上げた。主水は十分に硬くなったその男性自身を、ゆっくりと小紫の花弁の奥におさめていった。
 最初は少しきつい感じであったが、そのうち入口の部分がキューッと締め付けながら、主水のすべてを受け入れた。主水は小紫の両脚を抱え上げ、腰を動かしながら、彼女の柔らかい壁と自分の男性自身が擦れ合う感触に溺れた。小紫の長く白い脚が、主水の腰に絡みついた。
 やがてつながった姿勢のまま、主水は小紫の身体を抱え上げ、対面の姿勢で愛し合った。そのうち小紫も自ら腰を動かし始め、そのまま主水を押し倒して自分が上の姿勢になった。
 小紫は自ら動いて主水の身体を求め、主水もまた小紫の秘部のこりこりした感触と絡みつく花弁を感じながら、下半身の熱の高まりを堪えきれなくなってきたので、「小紫殿、もういきそうや…」と言うと、小紫も「私もいきそうです。どうかご一緒に…」と言うので、主水は白い精を小紫の中に放った。小紫も秘部をギューッと収縮させた後、何度も脈動させ、自分の中にいる主水を抱きしめた。主水は頭の中が白くなっていき、そのまま眠りの淵に落ちていった。

 翌日、宿屋で目が覚めた主水は、昨夜見た夢が虫の知らせと思い、すぐさま丸山の巴楼に向かった。店の女中に尋ねると、小紫という女郎は昨夜亡くなったという。すでに寺に埋葬されたというのでその寺に向かうと、そこには土饅頭があるだけで、花の一輪、線香の一本も供えられていない。主水は寺の住職に事情を話し、永代供養料を納め、石塔を建て、懇ろに弔った。

 甚兵衛夫婦の料理屋がまた繁盛するようになった頃、主水はふたたび絵を持って二人を訪ねた。商売を持ち直したお祝いということで、新作を贈りたいということであった。
 主水が二人に見せたのは、まだ掛軸に表装する前の原画であったが、そこには祝言を挙げる準備をしている若い娘の姿が描かれていた。そしてその打掛は唐錦で作られており、真っ赤な牡丹の花が一面に咲く様子が表されていた。
 その絵を見た甚兵衛夫婦は、驚いた様子で言葉を失ったようであったが、しばらくして、「主水様…この絵はどのようにして」と尋ねた。
 そこで主水はことの顛末を語った。前に贈った幽霊画は、長崎の遊廓で出会った小紫という遊女の姿を写したものであり、今回の絵は、その小紫が元気な姿で祝言を挙げる様子を想像して描いたものである。そして小紫から、自分の身元の手がかりとなる唐錦の端切れを託されており、この絵の打掛はその端切れを参考にして描いたものであるということを。
 この話を聞いた甚兵衛は、奥の部屋に戻ってしばらく後、桐箱を持って現れた。その桐箱を開けると、赤い牡丹の紋様が表された陣羽織が収められていた。その陣羽織の布には一部を切り取った跡があり、そこに主水が手にしている端切れを当てると、切り口がぴたりと合わさった。
 甚兵衛夫婦によると、この陣羽織は先祖代々伝わる家宝だという。そして夫婦が以前、大坂の天満の天神様の近くに住んでいた際、三歳になる一人娘のおみつが行方不明になったのだという。おみつに持たせていた守り袋の中にはこの陣羽織の端切れを入れており、主水が持ってきた端切れこそそれと同じものに相違ないという。
 つまり主水が長崎で出会った小紫こそ、甚兵衛夫婦の一人娘のおみつであったのだ。甚兵衛夫婦は、美しく成長した娘の姿が描かれた絵を見ながら涙を流し、主水もまた小紫の数奇な運命を思って涙を流さずにはいられなかった。

 後に「脚のない幽霊画」を初めて描いて後世に名を残す絵師、円山応挙その人の、若かりし頃の逸話の一つである。

【注釈】

・ 「応挙の幽霊」という演目は講談と落語にそれぞれあり、物語の内容はまったく異なる。本編は講談の筋書きからとったものである。なお落語の筋書きでは、応挙の幽霊画を仕入れた古道具屋と、絵から抜け出てきた幽霊とのコミカルなやりとりが描かれている。

・ 講談の「応挙の幽霊」は、もともとは三遊亭圓朝が「怪談乳房榎」の話の枕として語ったエピソードが元になったといわれている。それは本編の冒頭で語られた、応挙が料理屋の店主に幽霊画を贈った箇所のみであったのだが、その後に物語が広げられ、大正年間にはすでに現在の形で語られていたといわれている。

・ 長崎の丸山は、京都の島原、江戸の吉原と並び称された遊郭である。丸山の遊女は出島や唐人屋敷への出入りも許されており、江戸時代の日本で唯一、外国人も相手にすることができた遊郭であった。幕末には坂本龍馬や勝海舟もここで遊んだといわれている。

・ 遊女の名前であるが、演者により「薄雲」と呼んだり「小紫」と呼んだり一定しない。本編では「小紫」を採ったが、これはもともと別の物語に登場する長崎の遊女の名であった。それは1767年に刊行された『新説百物語』(高古堂主人著)に所収された「脇の下に小紫といふ文字ありし事」(巻二)という怪談であり、病気で死んだ遊女にまつわる物語である。

・ 唐錦とは、中国で織られた舶来の錦であり、紅色のまじった美しい紋様のものが多い。本編では紋様のモチーフを牡丹としたが、牡丹は中国で好まれる花であり、長崎を舞台とした物語なので、異国情緒を醸し出すためにこれを採った。

・ 小紫の歯にお歯黒がほどこされているという描写があるが、江戸時代の遊女は身だしなみのひとつとして必ずお歯黒をしていた。現代人の美的感覚からはお歯黒の風習は奇異なものに感じられるが、当時の人々の美意識からすると、きれいに黒く染められた歯は、性的な魅力を感じるもののひとつであったのだろう。

・ 陰毛をきれいに手入れしておくのもまた遊女の身だしなみのひとつであったといわれている。剃刀でそり上げる場合もあったが、それだと生え始めの毛がちくちくするので、線香の火で毛を焼き切り、短くそろえるという方法もあったようである。

・ 小紫に対する巴楼の人々の仕打ちはひどいもののように思われるが、当時の遊郭での遊女のあつかいは、多かれ少なかれこうしたものであった。遊女の多くは借金の形や、人身売買によって店に買い取られた立場であり、店としては採算が取れないうちに病気になったり死なれたりすれば、それは損失に他ならなかった。そのため治る見込みのない病気になった遊女は死ぬまで放置され、死体はいわゆる「お歯黒どぶ」に遺棄されることもままあった。小紫がかろうじて寺に埋葬されたのは、主水が渡した三両の金があったためであろう。

・ 甚兵衛の家の宝であったとする唐錦の陣羽織であるが、庶民がこのような一品を持っていることは普通ではない。陣羽織は侍大将などの上級の武士が戦場で着用するものであり、このことから甚兵衛の先祖は武士であったことを示唆する。甚兵衛はもともと大坂の天満に住んでいたと語られているので、あるいは滅亡した豊臣家の遺臣の末裔であったのかもしれない。

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