No.18

人と接したくない

人と接するのが嫌だ。心の底に違和感を感じる。そういったことを感じ始めたのは、小学6年生頃だったように思う。嫌でしょうがなく友達が家に来ても、今日は遊びたくないと相手を傷つけないように伝えた記憶がある。せっかく大人数で誘いに来てくれたが断った。断るのにもエネルギーがいるが、そのエネルギーを費やしてでも接したくなかったのだ。

目的のある人間関係では、ずぶずぶになれる

不思議なものである。とにかく人と会いたくない。そんな風に思い続けてきた。しかし、仕事だとそういうことがなくなる。仕事は目的がある。仕事においては、人間関係はとても大切だが、目的に下側に人間関係が位置する。それは結構ありがたいことだ。目的が先行する場合の人間関係は、とてつもなく好きである。
逆に、群れをなし安心感を得ようとするいんげん関係作りには辟易としてしまう。目的が見えないのだ。

学生時代は単独行動に限る

学生時代の人間関係とはまさにそれだった気がする。目的がないのだ。遊ぶという目的が合っても、例えば、遊ぶ内容に興味がなければ、人間関係を強くしようと思えない。その群れにいる意味を見いだせなくなってしまう。

人生無理はしてはいけない。
自分は目的に興味がないと、隣の人と手を繋げない人間である可能性が非常に高い。無理をして手を繋ぐことは違和感でしかないのだ。

そんな風に思うので、高校時代から大学時代は、とにかく一人で本を読んだり、一人で家に帰るのが大好きだった。部活から解放された瞬間はとても快感だった。あの快感は忘れられない。

一方で、常識的な考え方も知っている。友達がいた方が寂しくない。という考え方だ。そういった常識と自分自身の状態を比較し悩むことも沢山あった。そして、自分と同じような境遇の人を探したものだ。あの時はそれなりに悩んでいたのだと思う。

今なら言える、もっと一人で堂々と好きなことをしても良いよと。

今は十分すぎるくらい、人生を成功させていると思う。奥さんもいて、子供にも恵まれた。最高じゃないか。一緒に生きるという目的を共有できる家族の存在は本質的でとても自分の考え方にあっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?