生きるのをあきらめてもらう。地球とのつながり方。
☆「命をいただく」とはこういうこと。
さて、今回お話しするのは、10年以上前にある本(タイトルは失念しました)で読んで、いまだに僕の「生きる指針」となっているエピソードです。
私たちが「生きる」ということはこういうことであり、常にこのことを忘れてはいけないと思います。
きっと、あなたも自分が生きていることへの感謝が湧くと思います。
◎ある少年の体験
その話の主人公の少年は、12歳になったころ、親戚である「ネイティブアメリカン」の部族の家庭に長期のホームステイをしました。
そこでしばらく過ごすうちに、その部族の成人(その部族では12歳)の「通過儀礼」をすることになります。
それは、「森の中に入り、1匹の鹿を決めて、その鹿を毎日観察しなさい」というものでした。
そこで少年は、「この子が良い。」とある一匹の鹿に決めました。
その日から毎日、森に入っては、その鹿の行動パターンや行動範囲をずっと観察します。
その「観察」が数週間に及んだ頃に、部族の長である「グランドファーザー」に言われるのです。
「それでは、その鹿を確実に仕留めなさい」と。
少年は言われるがままに、森に出て、その鹿を見つけますが、
これまで数週間観察し続けてきた相手なので、すでに「愛着」すら感じています。
やはり、なかなか仕留められないまま数日が経過しますが、自分が仕留めないと、この「通過儀礼」は終わりません。
ある日意を決して、その鹿を仕留めるのです。
その時の気分は筆舌に尽くしがたいほどの、「後悔、苦痛、悲しさ、怒り・・・」、それを命じた「グランドファーザー」への激しい憎悪まで感じたと言います。
そして、グランドファーザーの待つ家に帰ります。
すると、グランドファーザーは
「今お前が感じている気持ちを、これから何かを食べるときに思い出しなさい。
その気持ちを忘れずにすべてと向き合うなら、お前は本当に地球と繋がっていられる。」
そう、もしあなたが愛犬や愛猫をどうしても食べないと生きていけない。そんな状況になったとして、
「いやあ、この肉は固いから食べられないよ」
「脂身がしつこくて気分が悪い」なんて言って残したり捨てたりするでしょうか?
全ての部位を残さずありがたくいただくと思いませんか?
普段私たちが食べている全てもそうです。
私たちが「生きる」ために、その命に「生きるのをあきらめてもらっている」のです。
何かを食べるときは、このことを思い出してみてください。
きっと、味わいも違うし、感謝の気持ちが湧き上がってくるでしょう。