オンライン授業

コロナ禍の中、部屋のカオス度はどんどん深まっている。
昨年度末、コロナ禍のニュースが出始めた頃も、なんとなく他人事と思っていた。
まさかここまで世界を席巻し、実生活に影響を及ぼすとは思っていなかった。
大学では通学部・通信教育課程ともに、遠隔授業が実施され、学生のみならず教員もまた新たな試みに、否が応でも対応させられることとなった。
特に新入生の学生にとっては、学校に通うこともままならず、サークル活動も、更には新しい友人を作ることも出来ないこともあるだろう。
それぞれの大学で、授業の他にも学修環境の支援を打ち出している。
ニューノーマルという、コロナウイルスと共に生きる時代の中で、どのような学び舎が望ましいのか、大学人としても試行錯誤が続く。

そんな中、教員としても急に降ってわいたようなこのコロナ禍で、オンライン授業をどのように提供するかに、春は追われていた。

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この写真は、私が今年度に入ってから購入した機材類である。
撮影機材など大学に元々ある訳でもなく、特に校費で購入してもらえる訳でもない。
なので、機材のレビューをみながら、授業に使えそうな機材を購入しては、試してみて講義もしくはフィールドワークでどのように使いこなすかをしている。
まるで素人のYouTuberである。ただ固定カメラで板書をしていくだけのつまらないものだけは作りたくない。プロではなくても、出来ることをしていく。

大学の教員は研究する他、講義で自身の成果を話すことが求められる。
象牙の塔に籠もって砂漠で針を探すように、優秀な教え子を見つけて育てるだけ、という訳にはいかない。無論、そうしたスタンスの大学や教員もいるが。
講義でどのように伝えるか。特に大学を卒業して研究者になるのは、極々一部に過ぎない。
そうした志を持っている者は、放っておいても目指すものだ。どちらかといえば社会人になろうとする多くの学生に対して、教員はひいては大学は何を伝え、教えられるのか。別段、就職するための社会人養成学校に、大学がなるべきとは思わない。ただ、研究機関・高等教育機関の中で、何を得てもらうのかは、真摯に考えるべきだ。
直裁的に役立つ情報などはものの数年で廃れるし、どちらかといえば、考え方やものの捉え方を伝えたい。そうした心づもりで、試行錯誤は続く。

今回のコロナ禍で、オンライン授業という新たな取り組みについて、嘆く教員も多い。
しかしながら、オンライン授業とは所詮テクニカルなことに過ぎない。手段であって目的ではないのだ。何を伝えるべきか、考えさせるべきか。またそれによって自身もどう大学人として成長するか。それが問われているだろう。

今年度の後期もまた、多くの大学で遠隔授業が続く。
所属している大学は対面授業を再開すると宣言しているが、フィールドワークなどは難しいだろう。どんな方法が最善か。
機材のテストをしながら悩み続ける。

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