庚申待ち -眠気とのたたかい-

庚申とは干支(かんし・えと)の一つである。干支は十干・十二支からなり、十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類。十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類を指す。十二支は生まれ年で今でも使われている。
十干・十二支の60種類の組み合わせは年・月・日にあてられている。その一つが庚申である。「こうしん」または「かのえさる」と読む。
庚申の日は、江戸時代までの人々にとってやっかいでもあり、楽しい日でもあった。というのも、この日は寝てはいけない日なのだ。

中国の道教によると、人の躰には生まれながらにして、三尸(さんし)の虫が住んでいると考えられていた。 上尸、中尸、下尸の3匹である。
上尸の虫は頭の中に住み道士の姿をし、中尸は獣の姿をした虫で胸に住み、下尸は牛の頭に人の脚が生えている姿で下半身に住むという。大きさは2寸ばかり。今でいえば約6センチ。結構なサイズである。

これらの虫は、人にとってまさに獅子身中の虫というべきものである。60日ごとの庚申の日、人が眠ったあとに躰から抜け出し、その人の行状を閻魔様(一説には天帝や帝釈天)に報告するのだ。躰に棲む密告虫といっていいだろう。
大事から小事まで悪事をしない、または悪心を持たない人というのはなかなかいないだろう。少なくとも、私はやましいことばかりだ。

虫の存在が中国から日本に伝わったとき、閻魔様に告げ口をされない対策も考え出される。それは寝ないことだ。
寝なければ、三尸の虫は人の躰から抜け出すことが出来ない。庚申の日に寝ないこと、それが「庚申待ち」と呼ばれる行事となった。
また、人々は虫を屈服させる力を持つ、青面金剛という童子を祀った。
 
しかし、何もしないで、ただひたすらに夜が明けるのを待つというのも、面白くない。そこで飲み食いをする宴会が行なわれるようになる。習俗は平安時代には既に見られ、江戸時代に最盛期を迎えた。村などを単位として、人々は「講」と呼ばれるコミュニケーショングループを組織し、庚申待ちを行った。路傍にある庚申と書かれた碑や、青面金剛が彫られた碑は庚申待ちのものだ。
平安時代や鎌倉時代の記録を見ていると、虫が信じられていたというよりも、それを口実にした宴をしたいという側面の方が強いのではないかと思ってしまう。
日常とは些か異なる徹夜の宴会が認められた日。眠気とたたかいつつ、思う存分、飲み歌う。そんな楽しい一晩といえよう。
いまは多くが廃れてしまったが、日本の伝統的なコミュニティの維持装置の一つといえよう。ちなみに2020年の庚申は1月18日、3月18日、5月17日、7月16日、9月14日、11月13日という。数日後に庚申を迎える。コロナ禍でうちで飲むことが多くなったことだろう。

庚申待ちをしてみるのは如何だろうか。

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