見ないようにしておこうが出来ない本、『Forever In My Life』を読み終わって。

 この本を読んだら、本当にこの人はこんなにプリンスと親しかったのか、と訝しむ人はいるかもしれない。ただ僕には『Forever In My Life』(原題『This Thing Called Life』2020年)を書いたニール・カーレンは確かにプリンスの友人だった、と信じることが出来る。それはプリンスとの最初のインタビュー記事がローリング・ストーン誌に掲載された後、ニールがプリンスより貰った“Thanx 4 telling the truth!.. Love God Prince✚"と書かれた手紙写真の真偽によるもの、等では決してない。

 ネタバレになってしまうのもあるから、一つだけニールがプリンスの友人、だと感じられたことを記しておく。それはフリーブックレットとして配布されている序章となる「前奏曲」に書かれた文、

 “その一つが、1990年代に書いたThe Dawn(夜明け)というロック歌劇の脚本だ。1994年にビデオ版として『スリー・チェインズ・オブ・ゴールド』というタイトルで発表された”、

 にある。『スリー・チェインズ・オブ・ゴールド』のことは拙著『プリンス:ゴールドエクスペリエンスの時代』でも触れているので理解はしている。『The Dawn』は、プリンスが96年の『Emancipation』リリース時のインタビューで言及している97年頃にリリースする予定だった未発表のアルバムとしてファンには知られている。しかしその収録曲は「Welcome 2 The Dawn」と「The Most Beautiful Girl In The World(Mustang Mix '96)」の2曲位で後はわかっていない。実は93年から94年辺りにも『Come』や『The Gold Experience』、そして『Chaos And Disorder』といったアルバムからの曲で構成されている『The Dawn』3枚組が企画されていたのでは、という話もあるのだが、それも実際どんな曲が収録されていたかはわかっていない(ブートレッグでそのタイトルの3枚組が存在するが、それはファンが想像で作ったフェイクだ)。そしてプリンスとマイテが結婚した96年2月14日にプリンス最初のサイトThe Dawnがオープンしている(未発表曲や映像の提供、チャット、オンライン・ショップ等が行われると宣伝されたが実現までには至らなかった)が、それは二人の結婚を祝福したサイトといって良いものだった。また80年代のプリンスによる映画プロジェクトのタイトルとしてThe Dawnの名前があった。
 流動的で謎の部分が多い『The Dawn』であるが、I wrote the libretto to a rock opera called The Dawn(原文より抜粋)、私(ニール)が台本を書いたThe Dawnといロック・オペラ、この案件はこの本が書かれるまで誰も知らなかったことだと思う。それはニールだけしか知らないこととなる(そしてその台本を書いた時期は92年ではないだろうか)。そして『スリー・チェインズ・オブ・ゴールド』は、マイテへのプレゼント、というニールの文章も、『プリンス:ゴールドエクスペリエンスの時代』での見解と類似する(そして『Forerver In My Life』本文で触れられている、あることが起こったかもしれない、という見解も同様)。『The Dawn』がロック歌劇ということが嘘、とすることが僕にはどうしても出来ない。寧ろこのことで僕はニールを信用出来ると判断する材料の一つとなった。

 『Forever In My Life』においてニールがどうしても伝えておきたい事柄が沢山書かれている一方、それでもプリンスがやっぱりそこは教えないでおいてくれよ、というのもあるにはある。そして彼がプリンスと話している時には理解できなかったことが、本を書き進めることによってプリンスの真意に気が付いた、というのもある。しかし謙虚さとその時々に記した何千枚ものメモ(プリンスに黙って密かにレコーディングさえしていたかもしれないと思える程正確な描写が少なくないのだが、読み進めると実は録音してなさそうだとわかってくる)、更に長年友人であったことでの洞察は先の『The Dawn』のこと以外にも納得がいくものばかりだった。

 僕がこの本を信じられる理由、それは整合性だ。

 プリンスが何を考えているか実は誰にも分からない、という前提においてこの本は書かれている。そしてプリンスをニールは、彼流の計測として、プリンスが行うそれぞれの事柄に対して自身の15パーセントしか出していない、見せていないとも記されている。その15パーセントでさえプリンスを分かってあげられていたとしたら、それはとても凄いことであることは、数多の作品を享受すれば感じられるだろう(言い換えれば15パーセントでも作品を知りさえすれば彼の虜になってしまうということも)。

 あらゆる様相を見せるプリンスの音楽。しかしその歌詞には絶対の真実があり、だからそれらを理解し享受することは、さながら聖書を勉強し理解するのと等しい行為、だと僕は思っていた。しかしプリンスが、別の誰かを演じて、または庇って、もしくは演出として、更には真実を知って欲しくないからミスディレクションを誘うように曲を書いている場合もあるだろうと、僕はこの本を読了して悟ってしまった。そして注釈があるわけでもないからどの曲がそうなのかはわからない。もしかすると聖書もそうなのかもしれない。そしてそれでも向き合わざるを得ない、享受したくて仕方がない、という点も同じなのかもしれない(因みに僕は浄土宗である)。
 そしてそこから更に発展して、プリンスの音楽をどのように楽しんでも良いと思うようにもなれた。歌詞を理解しなければプリンスを理解したことにならない、ではなく、人それぞれに享受の仕方があるのだと。それは、この宗教こそ真実、ではなく、殆どの宗教が真実に近い所にはいる、という僕なりの宗教観、それとほぼ同義だと思えた(もちろん信者を利用して他人や信者自身を死に追いやるようなのは除外してだ。そして罪を犯すのは人であって宗教そのものではない)。

 この本はプリンスが生まれる前の話も含めたプリンスの歴史が書かれている。プリンスの発言だけではない。彼の父親、母親、親友、親戚、バンド・メンバー、関係者、文献、多方面から取材、仕入れてきた情報より導かれていく真実に限りなく近い真実。それらは打算的に、都合良く寄せて並べてをしているわけではなくて、時には苦しく、厳かに、嬉しく思えたりするけど残酷なことが待ち受けていたり、様々な事象をニールが謙虚に丁寧に思い出しつつ紡いでいることが、その信憑性を高めることに繋がっている。そして先に言った、整合性、つまり、そうだったのか、と素直に納得できることが書かれていることこそ、僕がこの本を信じられる理由となる。プリンスなら確かにこう言うだろう、きっとこう動くだろう、にいちいち頷くことが僕には出来た。美化はあるだろう。嘘も美化という体のいい言葉の中に潜んでいるかもしれない。ただ絶対に全てが嘘ではない。整合性の中に“縺れ”を僕は見つけられなかったからだ。嘘を証明することはプリンスがこの世にいない以上確かに難しいことだ。ただもしニールが詐欺師だったとしても、騙された僕はこれだけ緻密に誠実に騙してくれているのなら寧ろ幸せ、と言うだろう(実際ニールは、プリンスを31年間知っていたが厚かましい感じがしてプリンスを友達だと呼べない、もしプリンスを知っているかのごとく振舞っていたとしたら、きっと自分はペテン師のような気分になっていただろう、と書いている)。僕も多少なりともプリンスが好きでここまで生きて来た。そしてこの本に出会えたことで、今までの謎が解けた事柄が少なくなくあったし、それより導き出された答えは間違っていないと思えるし、この本でのプリンスの言葉から、プリンスを更に愛せるようになれたから。

 ただ一点、この本が嘘だらけ、という人達は、20章ミネソタ・ナイスと裏の顔、に関して怒りを感じたからなのかもしれない、と思った。ミネアポリスに25年以上住んでいる友人、マイホにここに書かれているのは大変信憑性があることなのだが、真実なのか、と聞きたい衝動に駆られたが、怖くてまだ出来ずにいる。確かにショッキングなことがこの本には書かれている。しかし繰り返すが、僕にはそれが整合性があるように思えるのだ。

 ネタバレにはならない程度に、この本のキーとなる言葉を紹介したい。
 
 ドロシーパーカーの真実。モハメド・アリ。ジェームス・ブラウン。キュビズム。ケーフェイ。牢屋の中で生きている。否定すること自体が認めている。バスケットボール。「The Daisey Chain」のPV。全盛期のオビ=ワン。シンクロニシティ。ジョン・ブリーム。ブラック・アルバムを止めた理由。スザンナ・メルヴォワン、マティ・ショウ。

 これらの言葉から、読んで合点がいって、僕の言う整合性というのがわかってもらえる方がいるのではと思っている。

 またこの本を読んだ方の殆どが、以前何度も観た、もしくは全く観ていない、関係なしに、04年3月15日のロックンロール・ホール・オブ・フェイムの「While My Guitar Gently Weeps」をYouTube等で確認する羽目になると思う。やっぱり凄いよ、この時のプリンスも。

 最後に個人的にとても興味深い文章を『Forever In My Life』で発見したので、本のネタバレにならない程度で記しておきたい。『The Gold Experience』に収録されている「Billy Jack Bitch」にはロング・ヴァージョンの#1(7:08)があり、プリンスのネガティブな記事ばかり書くミネアポリスの新聞『Star Tribune』のシェリル・ジョンソンについての曲と『プリンス:ゴールドエクスペリエンスの時代』で書いたのだが、ニールが、あるヴァージョンでは、C.J.、つまりシェリル・ジョンソンの頭文字をつぶやく声が聴こえる、と書いていた。あるヴァージョンとは『ヴェルサーチ・エクスペリエンス』収録のリミックスのエディットもあるが、先のロング・ヴァージョンが一番怪しいと思い調べた。確かにCJと言っている部分を見つけた。しかしそれは「Billy Jack Bitch」の通常のアルバム・ヴァージョンでも確認することが出来るものだった。それは歌詞の中に隠れていた。“愛がどのように花咲くかお前は知るべきだ。Joyだよ。辞書に載っているからJを見てみろ”、英文では“you can see how love will bloom, Joy - it's in the dictionary, See "J" Billy Jack Bitch”となる。C.J. Billy Jack BitchとJを見てみろ。こういう粋なことをするのがプリンスなのだ。

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