ザ・モスト・ビューティフル プリンスと過ごした日々 を手に取るのを躊躇してしまう優しいあなたへ

文:長谷川友

https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0650271/

ザ・モスト・ビューティフル プリンスと過ごした日々

マイテ・ガルシア(著)、湯山惠子(訳)

たとえアルファベットの羅列でも、好きな人の言葉には価値がある。プリンスのインタビューの数は少ないし、プリンスによるプリンスの自伝が書かれることがない現状において、プリンスの元妻、マイテ・ガルシアが書いた本への興味は僕には相当高かった。拙著『ゴールドエクスペリエンスの時代』でプリンスを取り巻く女性達、カルメン・エレクトラやノーナ・ゲイらプリンスのガールフレンド、そしてもちろんマイテのことを調べ書いたが、その執筆の際に翻訳されたこの『ザ・モースト・ビューティフル プリンスと過ごした日々』が出るとわかっていたので、そこからのネタは極力使わないと決めていた。というか一切読まなかった(原文で読むより訳して頂いた本を読む方が楽、というのが一番だったが)。よって僕の本でのマイテは『ザ・モスト・ビューティフル』以外の証言、僕の憶測も含めて書かれてる。プリンスの楽曲を時系列に並べて調べていったのだが、『ザ・モスト・ビューティフル』から滲み出てくる事柄が今となっては少なからずあった、とは読了して思う。そして僕の本で書かれているタームはプリンスとマイテが結婚する迄で、『ザ・モスト・ビューティフル』には『ゴールドエクスペリエンスの時代』の続編(書くことが出来たとしたらだが)に触れる内容が含まれている。

『ザ・モスト・ビューティフル』で知りたいこと、それはマイテのことよりプリンス、二人が別れた理由とか、下世話な勘ぐり的ゴシップの答えを求めることになるだろう。そしてプリンスなら結構知っているんだぜ、と鼻息荒い僕のような奴だと、間違い、嘘や欺瞞はないか、プリンスを擁護する気持ちを纏いながら読んでしまう。コンサート時期の符号性、知られていない未発表曲はあるのか、改名の真実等、結局マイテそっちのけで、プリンスの事柄ばかりを追い求める。マイテの本なのにマイテより旦那のプリンスの方が主、マイテの味方は少ない、そんなプリンス・ファンである読み手の気持ちを彼女はもちろん知っていて、プリンスの暴露本としてお金取る気満々とか、プリンスと別れた頃のヴァニティのような態度には決して陥っていない。断言する。やましい魂はこの本にはない。プリンスによる真実ではない。それは仕方がない、マイテはプリンスではないのだから。この本はマイテによる真実だ。マイテが知るプリンスが書かれており、それにおいて一切の嘘が無い。そしてマイテはプリンスとの出会い、結婚、そして別れの一連の流れが珠玉の物語になるとわかっていた。否Truth is stranger than fiction、真実はフィクションよりも奇なり、の方を当てはめるのが正しいかな。

何度もインタビューするより、いっそ本を好きなように書いて貰った方がよい、それがマイテだと。つまり一問一答のような形では真実まで到達しない。前述したような気になる事柄をここで一つずつ読了した僕がどう思うか書いても空々しくなるだけだろう。こちらも同じように本にして挑まないといけない。挑む、と書いたがその必要もない。『ザ・モスト・ビューティフル』はマイテの物語であるが、嘘が無い点、重要なプリンスの資料、文献でもある。僕はこれから安心してプリンスの研究に使わせてもらう。既に優雅で洗練された物語であるけども、プリンスのコアなファンが読めばそのエンターテイメント性が倍増する(否3倍、もっとかな)。当たり前なのだがさすがプリンスの一番近い所に居た人が書くリアル・ストーリーだ。アンダー・ザ・チェリー・ムーンもパープル・レインのように素晴らしい映画なんだ、わかっちゃないなと思っているような人こそ、この本を読んでその魅力に憑りつかれてしまう図式になっている。

ここまで読んで頂いて、『ザ・モスト・ビューティフル』を手に取って読みたい気持ちになってくれた人がいたら嬉しい。是非意気揚々と飛び込んで欲しい。押し寄せてくる不幸に耐えられるだろうか、と躊躇している方も少なからずいると思う。息子アミールの死、プリンスとマイテの別れの理由、それでもプリンスが大好きなあなたなら読み通せる。ベストな翻訳をしてくれた湯山惠子さんも仰っていたが、キュートなプリンスも登場するし。プリンスを今まで以上に愛せるようになるし、マイテを愛おしく思えるようになる。『ザ・モスト・ビューティフル』には愛しかない。方向性が違うだけで「愛」の強さや質量は変わらない、変えられない。万有引力のごときだ。永遠にマイティだ。

ここまでネタバレはなかった思うが、最後に多少『ザ・モスト・ビューティフル』の引用があるが、「Betcha By Goly Wow!」について書かせて頂きたい。

*以降は『ザ・モスト・ビューティフル』の内容を含んではいるので、ご了承ください。しかし読んで頂いても『ザ・モスト・ビューティフル』のストーリー性等にはそれほど影響はないと思います。

96年プリンスが『Emancipation』のプロモーション来日の際の記者会見で「Betcha By Golly Wow!」をカバーした理由を、“地球上で最も美しいメロディー”だから、と答えたと松尾潔さんが記していた。かの素晴らしい曲を書くスモーキー・ロビンソンでさえ、ミラクルズ時代にカバーしている「Betcha By Golly Wow!」なんだとその曲の素晴らしさを松尾さんは述べている。実はスタイリスティックスの曲として有名だが、最初コニー・スティーブンスというアイドル的女優が「Keep Growing Strong」というタイトルで歌っていた。

https://www.youtube.com/watch?v=OHw_zQKliHM

“ワオ!最高だ!君は僕が人生で唯一待ち続けた人なんだ。だから君のために僕は強くなる、なり続けるよ”。

プリンスがマイテに向けて歌っている。バッキング・ヴォーカルでの参加はしていないマイテだが、それでも彼女がプリンスに対して歌うことだって出来るだろうし(コニーのように)、そしてプリンスとマイテで息子アミールに向けて歌うことだって...。96年2月14日の結婚より前、つまりマイテが妊娠する前である95年後半に作られた「Betcha By Golly Wow!」だが、このカバー曲を『Emancipation』に収録させファースト・シングルにすると決めたのは、この地球上で最も美しいメロディの曲をマイテに、そして生まれてくる息子アミールに捧げるため。神様が息子を僕らに無事授けてくれる、と切に願い信じ続けていたのだから「Betcha By Golly Wow!」はプリンスが神様に向けて歌っている、とも言えるだろう。

これはマイテも驚いていたことだが、「Betcha By Golly Wow!」のPVの撮影は、息子アミールが天国へ旅立った後にその病院で行われた、と『ザ・モスト・ビューティフル』に書かれている。冒頭子供達が映されており、プリンスがマイテに感謝するように抱きしめるシーンで終わるので、アミールがすくすくと成長しているパラレルワールドを映像の中に組み込もうとしたのではないか。音楽をいつものように創造し続けてその悲しみを乗り越えていく、忘れることは出来ないにせよ、プリンスなら打ち勝てる、と彼の底知れぬ強さを僕はずっと信じていた。実際「Betcha By Golly Wow!」のPVには悲観的ムードはない。悲しみのどん底にいるはずなのに感じさせない。空に書いた雲の字Eye Love Uも、プリンスの慈愛に満ちた笑顔も、僕は「君」のために強くなる、という前向きさを感じさせてくれる。PVには儚さが漂うことに『ザ・モスト・ビューティフル』読了した今なってしまうのだが、それでもそれ以上に美しさが勝っている最高のPVであることに変わりはしない。音楽を創ることが悲しみから逃れる方法、それを行うプリンスは自分の悲しみを見せない術を得ることが出来ていたのか。見せてはいない。でも当時その悲しみが見えていた人は少なからず居ただろう。ラストのシーン。マイテが疲れ切って医療ベットに座っている。そしてそんな彼女を抱きしめるプリンス。ご苦労様、無事アミールが生まれたんだね。喜びの笑顔をプリンスはその時している、そう僕は解釈していた。PVではアミールは無事なのだと。『ザ・モスト・ビューティフル』を読んだ後なら、それは、生まれてきたアミールが保育器の中で大丈夫、生きているよ、とマイテを励ましているシーンとなろう(恐らく生まれて直ぐに泣かないアミールが保育器に運ばれてしまうが、やがて泣き声が聴こえ、プリンスが見に行きそしてマイテの所に再び戻って、男の子だよ、息が出来るようになった、と知らせ喜んだ時ではないか)。赤ちゃんがマイテと共に映されていないのだから、僕の解釈は当然おかしい。なのでプリンスは嘘はついていない。ただアミールがこの世にいない、というのを言葉に、そして音楽にしたくなかった。アミールは元気になる、強く大きくなって生きていく世界がある、とプリンスは「Betcha By Golly Wow」のPVを作った、そのことは変わらない。息子の生命を信じ、神を信じ、音楽を信じている最も美しい父親、プリンスがいる。

「Betcha By Golly Wow!」はたった一回だけ演奏されている。それは96年11月20日オプラ・ウィンフリー・ショーにおいてだ。アミールの死の悲しみの中でオプラにインタビューされるプリンスとマイテ。ここでも「Betcha By Golly Wow!」同様、アミールがこの世にはいない、ということを言葉にしない彼らが居る。そしてプリンスが指示したかは不明だが、翌日放送された際には「Betcha By Golly Wow!」の演奏シーンはカットされ流されることが無かった。ブートレッグを含め「Betcha By Golly Wow!」のライブ音源、映像は今の所世に出ていない。


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