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鳴神隼のただ一人の為の推理 六話

六.第三章②:荒れる天候に訪れる恐怖

 ザアザアと激しい雨が窓を打つ。強風ががたがたと窓枠を揺らし、遠くの景色が見えない。目を凝らしてやっと海が荒れている様子が窺えた。

 外の様子を確認しようと玄関を開ければ、あまりの雨脚に地面は大きな水溜りで、歩けば足は濡れるだけではすまない。さらには木々をなぎ倒さんとする風に吹き飛ばされそうになる。

 この天候では外の作業などできるはずもなく、船も出すことはできないだろう。いつ治まるのだろうか、そんな不安が少しばかり過る。

 琉唯がリビングルームへと降りるとすでに陽子たちが外の天候について相談していた。先に起きてきた陽子と優子は「七時に下りてきたけど、もうこの状態だったの」と兄に伝える。

 香苗は辰則に「雨、やばくない?」と話しながら外の様子を眺めていた。やばくないではすまない荒れ具合ではあるなと辰則も頷く。それは誰の目から見てもそうなので、健司は困ったふうだ。

「どうするかなぁ……」
「やばい、寝坊した。健司、どうだ?」
「あぁ、浩也。お前また起きれなかったのか」
「そうなんですよ! ぜんっぜん起きなくて!」

 何回、叩き起こしたことかと千鶴が愚痴る。浩也は寝起きが悪いらしく、なかなか目を覚ましてくれなかったのだという。もうっと千鶴は彼を小突いているが、相手は反省しているふうには見えない。これはもう治らないと笑っていた。

「兄さんだって、三十分ぐらい寝坊したじゃない」
「こら、陽子。それは内緒だよ」
「人の事は言えないじゃないか、健司」
「うるせぇ! って、あれ隆史くんは?」

 まだ起きてきてないのかなと健司が聞くと、陽子は「え、隆史も寝坊?」と片眉を下げた。

「兄さんも隆史も、辰則くんや緑川くんたちを見習ってほしいわね」
「うぐぅ、寝坊したから何も言い返せない」
「全く……起こしに行かないと……」
「あ、ならオレが行くよ」

 浩也が「陽子さんは健司たちと作業のことで相談あるだろ」と言って、隆史を起こしにいった。ちょっとした気遣いができる彼に「素敵な恋人ね」と陽子が千鶴に囁く。

 自分の恋人が褒められて嬉しいのか、「こういうところに惚れたんですよぉ」とにこにこしながら千鶴は自慢げだ。

「それで兄さん、どうするの?」
「優子、それだよなぁ。……どうあっても外作業は無理だし、仕方ない……今日は室内の掃除だけだなぁ」

 健司はリビングルームの窓から外を眺めて頭を掻いた。天候が急に悪化するということがあるのは知っていたが、今なのかと。予定が崩れるとその後に影響が出てしまうので頭を悩ませるのも無理はない。

 陽子は「天候が悪くなったなら仕方ないわ」と兄を気遣う。父にもやれるだけでいいと言われていたじゃないと。どうやら、できるところまでていいと指示されていたようだ。

 それでも責任感が強いのか健司は「終わらせたかったなぁ」とぼやいている。そんな兄に優子が「兄さんは気負いしすぎなのよ」と励ましていた。

 琉唯はこれは一日で止むのだろうかと窓越しに空を見上げる。分厚い雲が覆い隠しているのを見るに暫くは停滞しそうだ。

「この様子じゃ当分は雨じゃないか?」
「どうだろうな。一日で止むかもしれないが……今の海の荒れ具合を見るに船は出せない」
「止むといいんだけどなぁ」

 隼の返しに琉唯は帰るのが延びたらどうしようかと考えて、少しばかり憂鬱になった。いくら実りの良いバイトであっても、離島に長居はしたくない。それは琉唯だけではないようで、「これ大丈夫なのー」と千鶴も心配していた。

 香苗に至っては不満げに「来るんじゃなかった」と辰則に愚痴っている。愚痴りたくなるよなと琉唯は小さく息を吐く、自分も少しだけ後悔して。

「なぁ、崎沢知らないか?」

 戻ってきた浩也が健司たちに問うと、陽子が「え、部屋にいなかったの?」と驚いた声を上げる。どうやら隆史は部屋にいなかったらしい。

 扉を叩いても反応がなかったのでドアノブをひねったら鍵がかかっていなかったのだという。中を見れば荷物だけ置かれてあって誰もいなかったと。

 こんな天気の中、外に出るのは考えにくい。健司は「トイレとかか?」と不思議そうだ。浩也も確認できるところはしたようだが、別荘内にいる気配はないのだと言われて陽子も首を傾げる。

「おかしいわね……。外にいるのかしら?」
「こんな天気よ、陽子」
「そうよねぇ。でも、別荘内にいないなら外しか……」

 この室内にいないのであれば考えられるのは外しかなく、どうしてそんなところにと疑問が浮かぶ。朝、隆史を見た人がいるかと聞いて回るも、皆、首を左右に振った。

「外に出て煙草でも吸ってるか? 確か、崎沢くんかなりの喫煙者だっただろ」
「室内で吸うなって言ったからもしかしたらそうかも……。あの人、我慢できないタイプだから」

 庭のある裏手なら屋根もあるから吸えなくはないかもと陽子は「ちょっと見てくるわ」とリビングルームの扉に手をかけた。

「この天気で一人は危ないから僕が見てくるよ」
「兄さん。でも、確かに一人は危ないか……」
「それを言うなら陽子だけでなく、兄さん一人だけでも危ないわよ」

 こんな天気だものと優子に指摘されて健司はそれもそうかとリビングルームを見渡す。浩也が「オレが一緒に行こうか?」と提案するが、「お前は彼女さんの傍にいれやれ」と返されてしまう。

「あ、おれが一緒にいきましょうか?」
「いいのかい? じゃあお願いしようかな」
「なら、俺も着いていこう」
「鳴神くんも来てくれるのか、それは助かるね」

 人が多いほうが探しやすいだろうと健司は言ってリビングルームを出た。こいつはそういう意味で一緒についていこうとしているわけではないけどなと、琉唯は思ったけれど口には出さない、説明が面倒だからだ。

 玄関を開けると強い風と共に雨が入り込んでくる。おわっと身を引かせれば、健司が玄関の傘立てから傘を取り出した。前の住人の置いていったものだが、この雨量では役に立たないのではと思わなくもない。

 とはいえ、ささないよりはいいだろうと手渡された傘を広げて外へと出た。びじゃびじゃと足が濡れるほどの水たまりを踏みしめながら裏手に回る。風に吹かれて荒れる庭に目を向けるが人の気配はない。

 屋根のある場所を探してみるが隆史の姿は見当たらなかった。おかしいなと健司が周囲を見渡しているので、琉唯も探してみる。草がぐわんぐわんと風に靡く奥、プレハブ小屋が目に留まった。

「倉庫にいるとかって考えれませんかね?」
「うーん、どうだろう。この天気であそこまでいくかなぁ」

 でも、確認していないのはあそこだけだしと健司はレンガの道を歩き出した。その後に続く琉唯だったが、前を歩いていた彼が立ち止まる。不意打ちにぶつかりそうになるも、隼にぐいっと引っ張られて免れた。

「どうしましたか、健司せんぱ……」

 ひょこっと後ろから前を覗き見て、最初に飛び込んできたのは足だった。地面に転がるそれを辿っていって琉唯は言葉を失う。

 人が倒れていた、プレハブ小屋の扉の前で。雨に濡れて泥に汚れた顔を見遣れば、半目が開かれた隆史の濁った瞳と目が合う。健司の「崎沢くん!」という叫び声を聞いて、彼だと認識した。

「崎沢くん、崎沢く……し、死んで……」

 慌てる健司の声に隼が「落ち着いてくれ」と声をかけた。

「今、慌ててはいけない」
「そうは言うけれど、死んでるんだぞ! どうしたらいいんだ!」
「警察に連絡するべきだが、この島に駐在所はあるだろうか?」
「確か、港のほうにあったはず……」
「ならば、そこにまず連絡を入れるべきだろうな」

 人が一人、死んでいるのだから死因など関係なく、警察に連絡をいれるべきだという隼の指示に、健司はそうだと慌ててスマートフォンを取り出した。辛うじて電波が立っているようで、急いで電話をかける。

「兄さん、遅いけどどうしたの……えっ!」

 琉唯の声をかき消すように悲鳴が上がる。振り返れば、勢いよく駆け寄ってくる陽子の姿があった。琉唯を突き飛ばすように横切って隆史に縋りつくように身体を揺する。

「隆史! 隆史! ねえ、どういうことよ!」

 どうして、隆史が死んでいるのよと陽子の動揺している様子に「落ち着いてくれ」と隼は見つけた経緯を話す。俺たちはプレハブ小屋を確認しようとして彼を見つけたのだと。話を聞いた陽子は「どうして」と口元を覆いながら隆史に泣き縋った。

「今、健司先輩が島の駐在所に連絡している」
「隆史……。ねぇ、どうしてそんなに落ち着いていられるの!」
「誰かが落ち着いて判断しなければいけないだろう。ここで全員が慌てて何になる? 場が混乱するだけだ」

 隼の言っていることは分からなくもなかった。皆が皆、慌ててしまってはただ不安を撒くだけで何の解決にもならない。とはいえ、落ち着きすぎているような気がしなくもなかった。

 陽子は不服そうにしていたが、言っている意味は理解したようで涙を拭いながら膝をついて隆史の頬を撫でる。その悲しげな表情を見ていられず、琉唯は目を逸らしてしまった。

「このまま動かさない方がいいのだろうが……雨風の中、放置するというのはどうなんだろうか」
「確かに……」

 現場を荒らしてはいけない、勝手なことをしてはいけないというのは素人でも知っていることだ。とはいえ、死体をこの酷い天候の中で野ざらしにしてしまうのはいけない気がしなくもない。

「このまま、放置なんて私にはできないわ」
「ひとまず、シートをかぶせておくとか?」
「それなら倉庫に安置しましょう!」

 琉唯の提案に陽子は「シートが飛んだら大変よ!」と言って隆史を持ち上げ引きずっていく。勝手に動かしたことに琉唯が驚いて隼を見遣れば、彼は「動かしてしまってはもう駄目だな」とはぁと溜息を零した。

   ***

 リビングルームでは重苦しい空気が漂っていた。皆が皆、不安げにしながらも喋らない。

 陽子は優子に支えられながらしくしくと泣いていた。恋人である隆史が亡くなった現実を受け入れられないように。

 あらためて生死を確認したが、隆史は息を引き取っていた。冷たくなった身体は硬くなり、半開きの眼から見える濁りに生気はない。

 隆史の死を告げて浩也と辰則は彼の遺体を見たが女性陣では陽子だけだ。香苗は震える肩を抱きながら周囲を見渡している。人が死んだという事実に恐怖で見開かれた眼には涙が溜まっていた。

 空気を裂くようにリビングルームの扉が開く。スマートフォンを片手に健司が入ってきたが顔色が悪い。

「健司、どうだった」
「別荘に続く道が風で薙ぎ倒された木で塞がれているらしい」

 港にある駐在所に連絡を取ったが道が塞がれてしまい、辿り着けないと連絡がきた。この荒れた天候では木を退かす作業もできないらしい。話を聞いた香苗が「ふざけないでよ!」と叫んだ、こんな場所にずっといるなんてできないと。

「人が死んでいるのよ! 犯人がいるかもしれないのに大人しく一緒にいられないわよ!」

「まだ、殺されたとは決まって……」
「頭に殴られたような痕があったな」

 健司が落ち着かせようとする言葉を遮るように隼が言う。えっと流唯が顔を上げれば、彼は落ち着いた様子で「遺体を確認した時に見えた」と答えた。

「ほら!! やっぱり犯人が近くにいるんだわ!」
「鳴神くん、それを言う必要はないだろ!」
「隠す方が余計に不安になるだろう」
「それはそうかもしれないが……」

 言い方というのがあるはずだと主張する健司に隼は「俺は一つの可能性を潰しただけだ」と告げる。殴られた痕があるということは自殺ではない。誰に殴られた可能性があると。

「それで余計に怖がらせてどうするんだ、隼」

 可能性を一つ潰したからといって不安がなくなるわけではない。誰かに殴られたかもしれないという事実に琉唯は「誰だって怖いと感じる」と注意する。

 琉唯の主張に隼は数度、瞬きをしてからふむと顎に手をやった。何かを考えるように。少しの間を置いて「琉唯は怖いのか?」と問う。

「え?」
「琉唯は今の可能性を聞いて不安や恐怖を抱いたのか?」
「抱くよ、そりゃあ」

 事故死にしろ、他殺にしろ、人が一人死んでいるのだ。不安に感じるし、もし誰かに殺害されたというのならば、近くに犯人がいるかもしれないという恐怖も抱く。

 さらにはこの嵐で別荘に続くは道は塞がれてしまったのだ。閉じ込められてしまっている状況で、他殺の疑いが浮上しては安心などできるわけもない。

 二度、事件を経験している琉唯だが、あの時はすぐに警察が来る状況であったから少しは落ち着けたのだ。今回はそうではなく、さらには閉じ込められている。だから、琉唯が「怖いって感じるよ」と答えれば、隼は「そうか」と呟いてゆっくりと目を細めた。

 隼は恐怖を抱いていないのだろうか、不安を感じてもいないのか。彼はいたって冷静でいつもと何ら変わらない態度だ。見た目だけでは判断できなくて、琉唯は不思議に思う。

(そういや、サークル勧誘の時の事件と、占い館の事件でも冷静だったな)

 あの時は大学内や館内で警察がすぐに来てくれる環境だったことから、それほど不安を抱きはしなかったのかもしれないが今はそうではない。多少は動揺してもいいのではと思わなくなかった。

 他殺ならば犯人が近くにいる。動機が分からない以上は被害が及ばないとは限らない。無差別な犯行なら自分が殺されかねないのだ。香苗のように怯えてしまう気持ちが琉唯には理解できた。

 わなわなと震える香苗を落ち着かせようと健司が声をかけているが、彼女は「早く帰りたい!」と泣いている。辰則も会話に入っているが、全く言葉が通じていなかった。

 まだ泣いている陽子の傍に優子はいて、彼女の背を優しく擦っている。千鶴は浩也の腕に抱き着いて彼と話していた。誰かと話すことで気を紛らわせようとしているのだろう、手が震えているようにみえる。

「最後に崎沢隆史を見た人物は誰だろうか」

 皆が皆、気を持たせようとしている中、隼が問う。何の脈絡もない質問に健司が「え?」と目を瞬かせ、陽子も「最後に?」と顔を上げる。

「彼を見なくなったのはいつか、それが知りたい」
「な、なんで急に……」
「覚えているうちに纏めておけば、警察に伝える時にスムーズにいくだろう」

 人の記憶というのは当てにならない。突然のショックな出来事に全く覚えていない、時間が経って自分の証言に自信が無くなっていく、おぼろげになってしまうこともある。

 今、記憶が新しいうちに証言を纏めておく必要があると隼は説明した。確かに一理あるなと琉唯は昨日の事を思い出す、最後に隆史を見た時のことを。

 荷物をプレハブ小屋に移動させて、夕食を共にしてから琉唯は会っていなかった。リビングルームから出ていくのを見かけたぐらいだろうか。だから、「夕食の時まではいた」と琉唯は答えた。

「夕食を食べた後に、眠いから先に部屋に戻るって言っていた」
「そうそう! リビングルームから出ていくのを私も見た!」
「あぁ、オレもトイレに行くときに見かけたな」

 千鶴の返しに浩也はトイレに行く時に部屋に戻る後姿を目撃したと話し、隼も「俺もそこまでだ」と証言した。

「オレは崎沢先輩が部屋に戻ってからは健司先輩と荷物確認して、その後に部屋に戻ったけど見ていない」

「うん、墨田くんの言う通り。僕も明日の予定のために荷物確認してから最後にリビングルームを出たけど見てないなぁ。陽子と優子はどうだ?」

 辰則の証言に同意しながら健司が問うと、陽子は思い出すように頬に手を当てながら、「部屋を訪ねたけど……」と答える。

「私は優子に休むように言われて部屋に戻ったの。香苗ちゃんはその時に別れたわ。寝る準備も済ませたから隆史に挨拶しようとして……」

 陽子がなんとも言いにくそうにしていたのを見て隼が「何か気になることでも?」と聞けば、そろりと視線を逸らしてから俯いて「その……」と彼女は口を開く。

「……香苗ちゃんが隆史の部屋を訪ねているのを見て……」
「何! わたしを疑ってるって言うの!」

 その発言に香苗が食って掛かる、犯人だと言いたいのかと。そんなつもりはないと陽子が返すも、彼女は「ふざけんじゃないわよ!」と怒鳴った。

「その言いにくそうな態度が言ってるじゃない!」
「ち、違うのよ。見かけたから……」
「疑ってるんでしょ!」
「香苗ちゃん、落ち着いて! 陽子も言い方があるわ!」

 陽子に掴みかかろうとする香苗を優子が止める。辰則も間に入り、彼女を落ち着かせようと必死だ。優子は「陽子、態度が悪いわ」と指摘したけれど、「だって……」と陽子は俯く。

「だって、見かけたんだから言うじゃない!」
「そうかもしれないけれど、疑うような態度は良くないわ!」

 それだけで犯人だなんて決められないでしょうと諭されて、陽子はむぅっと口を噤んだ。ただ、見かけただけでは犯人と決めつけることはできない。いくら不審に感じたかといってそれを態度に出すのはよくないのだ。

 陽子も理解はしているようだが、思ってしまうのも無理はない。恋人が死んだという事実にショックを抱いているのは、涙がぽろぽろと頬を伝ってくる。

「佐々木さん。一つ聞くが、どうして部屋を訪ねた?」
「そ、それは……聞きたいことがあったからだけど……」
「聞きたいこととは?」

 途端に香苗は黙った。これまた分かりやすい態度だなと琉唯は思ったけれど、口には出さず彼女の発言を待つ。皆の視線に香苗はぐぅっと喉を鳴らしてから「バイトのことよ!」と答えた。

「崎沢先輩から誘われたけど、聞いていた話と違ってたの!」

 崎沢からは楽な清掃作業と聞いていたというのに、離島のこれまた古臭い別荘で汚い部屋の掃除は簡単ではなかった。だから、「話と違う」と文句を言いに部屋を訪ねたのだと香苗は話した。

「人数多いから汚い作業も少なくて済むって言ってたのに、埃っぽい部屋を掃き掃除して雑巾がけして、せっかくネイルしてたのに剥がれちゃったし。文句を言いたくなったのよ!」

 それだけよと香苗は自分は殺していないと主張した。誰も疑っているとは言っていないのだが、自分に向けられている視線が気になるのだろう。香苗は「もういいでしょ!」と優子と辰則を押しのける。

「こんなところに居られないわよ! わたしは部屋にいるから!」
「香苗ちゃん!」

 優子の制しなど耳にせずにリビングルームの扉は乱暴に閉じられてしまった。明らかな拒絶に誰も追いかけていくことができない。

 犯人がいるかもしれないという状況で誰も信じられなくなってしまう気持ちも分からなくはなかった。自分自身も疑われてしまったのならば、余計に。香苗の気持ちを察してか、琉唯は彼女のことが心配になる。

「陽子さん。佐々木さんと崎沢隆史が話しているのを見かけたのは何時ごろか覚えているだろうか?」
「えっと……二十一時過ぎかしら……」
「優子さんは?」
「私も兄さんと一緒に出て行ったから……見かけてないわ」

 全員の話を聞いて隼は「なるほど」と頷いて「纏めると」と、証言を合わせる。

「俺たちは陽子さんと佐々木さんが二階に上がった少し後に部屋に戻っている。最後にリビングルームを出た健司先輩と墨田、優子さんは目撃していない。以上を纏めると二十一時過ぎから崎沢隆史は誰にも見られていないということになる」

 証言が正しければ、二十一時までは崎沢隆史は部屋にいたということになる。その時間以降の行動は誰も把握していなかった。夜中に起きた人はいなかったか、物音を聞いてはいないかと問うも、誰も手を上げない。

「最初にリビングルームに下りてきたのは誰だろうか?」
「それなら私と優子よ」

 七時に一緒に起きてリビングルームに下りてきた時にはまだ誰もいなかったと陽子は答える。「その三十分後に兄さんが来たわ」と優子が健司にそうよねと返事を促した。

「あぁ、そうだ。七時に起きてくる予定だったんだけど、寝坊してな……。その後に墨田くんと香苗ちゃんが来たよ」

 それほど間を置かずに二人がリビングルームに来たと健司が話せば、辰則は部屋を出たら丁度、香苗と会ったと証言した。そのまま一緒に来たと。

「その後に俺と琉唯、最後が時宮と花菱先輩だったはずだ」
「そうそう。ひろくんがなかなか起きなくて遅くなったの!」
「つまり、二十一時から七時までの間に崎沢隆史は死亡したことになる」

 目撃されていない時間帯に死亡した。隼は「その時間帯に何をしていたかが問題だ」と呟く。それに陽子が「私は優子と一緒に部屋に居てそのまま寝たわ」と返す。

「疲れてたのもあってすぐに寝てしまったけれど、一緒に居たわ」
「えぇ、陽子と一緒にいたわ」
「身内同士の証言は当てにならない」

 アリバイというのは身内同士の証言では成立しない。身内をかばう、あるいは共犯である可能性があるからだ。一人だけの証言でも信憑性というものに欠けていると隼に指摘されて二人は黙る。

「それが成立するならば、俺は琉唯と一緒にいた。時宮さんだって花菱先輩と二人っきりだと主張しても通る」

「それはそうかもしれないが、まだこの中に殺人犯がいるとは決まってないだろ! とにかく、変な詮索はやめよう!」

 誰かを疑い出したらきりがないだろと健司は話を切り上げようとする、証言はこれでまとめられただろうと。

「遺体を見てみないと分からないな」
「え?」

 ぽそりと呟かれた隼の言葉は琉唯にしか聞こえていなかった。

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