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鳴神隼のただ一人の為の推理 四話
四.第二章②:愛している人を悲しませるのは愚かな行為だ
「また、君たちか」
屋敷に到着した警察が現場へやってきて捜査されている中、琉唯は目の前でなんとも言えない表情をしている田所刑事に苦く笑い返す。部屋にやってきた彼は琉唯たちを見て渋面をさらに渋くしていた。
隼は特に顔色を変えるわけでもなく、ただ捜査している警察官たちを眺めていた。彼が大人しくしているのを見てか田所刑事は「何もしていないだろうね」と琉唯に聞いてくる。隼に聞かないのは彼の言動が言動だからだろう。
とはえい、やってないかと問われると微妙だった。何せ、周囲の状況を確認し、質問などをしていたのだから。それが何かしたに当たるかは微妙だったので、琉唯は「……多分」と答える。
もうそれだけで何かしらの事をしているのだなと田所刑事は察した。「探偵ごっこはやめなさいとあれほど言っただろう」と呆れている。
「探偵ごっこなどしてはいない。琉唯を安心させたいだけだ」
「だからね、君……」
「この中に犯人がいるとなって、暫く拘束されるのは目に見えている」
これが毒殺と決まれば犯人はこの中にいる可能性は高く、拘束されてしまうのは誰でも想像できることだ。犯人だと決めつけられて、そうでなくともこの中に殺人犯がいるという不安で精神的な疲労は免れない。琉唯はすでに感じているようなので、それを取り除いてやりたいと思うのは当然だと、さらりと隼は答えて田所刑事は溜息を零した。
それは君がもうすでに探偵まがいなことをやったという言質になるのだがと、田所刑事は突っ込みたかったようだが、それは息と共に零れいてしまう。琉唯は「その、すみません」と謝るしかなかった。
「緑川くんが謝ることではない。これは彼の重すぎる感情のせいだろう……。はぁ……それで、君は何か分かったというのかね」
田所刑事は隼が勝手に行動する前に話を聞こうと問う。また犯人を刺激するようなことをされないためだ。その判断は正しいと琉唯でも思う、隼は思ったままを口にしてしまうから。
隼は組んでいた腕を下して田所刑事に「いくつか確かめなければいけないことがあるが」と前置きをして答えた。
「犯人は分かってる」
「……は?」
田所刑事は隼の返答に呆けた声を上げた。それはそうなってしまうよなと、琉唯はその反応も無理はないと頷く。自分も「なんで分かるんだよ」と突っ込みたかった。
隼は「琉唯の気づきで犯人は割り出せた」と犯人に関して自信はあるようだが、自分の推理が正しいのかは警察の捜査で分かったこととすり合わせなければならないと説明する。
「けれど、一般人が警察の捜査情報を聞くことは難しいだろう。だから、俺は此処で自分の考えを発表するしかない」
「ちょっと待ちなさい。また推理を披露するとでもいうのかね?」
「俺は披露するわけではない。自分の考えを伝えることで警察の捜査に協力するだけだ」
俺はただ、ここで一人、自分の考えを語るだけだ。それを参考にするかは警察に任せるとなんでもないように隼は言う。別に一人で語るだけならば邪魔にはならないだろうといったふうに。
なんでそんなに平然としていられるのだろうか、琉唯は不思議に思うけれど、それが自分のためであるのは理解しているので、文句をいうこともできない。彼は安心させたいだけなのだから。
「まず、前提条件として今川小百合と親しい人間であり、彼女の好みを理解している存在が二人以上は必要な事だ」
「待ちなさい。おじさんはまだ聞くとは……」
「この条件に今回は当てはまっている。小林先輩も渡辺先輩も真理恵さんも今川小百合と親しく、彼女の好みを理解していた。そうだろう?」
田所刑事の制止など無視して隼は真理恵たちに問う。えっと三人は声をかけられて顔を見合わせながらも頷いた。さっきも言ったけれど、彼女は自分のことも他人の事もべらべらと喋るタイプで、何でもやってもらうスタイルだったからと。
この三人は前提条件に合う人物であり、今川小百合が警戒もせずに関われる人間に当てはまる。その証拠に彼女は特に気にするでもなく、三人と接していた。全く警戒されないという状況を作らねば殺害はできない。
「おそらくだが、紅茶に毒が混入していたはずだ。ティーカップなどに痕跡が出ているのではないだろうか?」
「……確かに、そうだな」
田所刑事は隣にやってきた若い刑事から捜査情報を聞いたようで、隼の推理を認める。ティーカップや零れた紅茶から毒物反応が見られたのだという。隼は「ならば、毒を仕込める人物は限られるはずだ」と真理恵と輝幸へと目を向けた。
「渡辺先輩と真理恵さんは彼女のティーカップに触れている。小林先輩は彼女に触れてすらいないので仕込むのは難しいだろう」
「それは僕たち二人のどちらかが犯人だって言いたいのかい!」
「端的に言えば、そうだ」
隼はオブラートに包むことなく、はっきりと言った。少しは包んでほしいものだったけれど、彼は他人に使うほどの優しさはないのだろう。犯人扱いされた二人は露骨に表情を変える。これには田所刑事も痛む頭を押さえてしまう。
「紅茶に仕込むなんて、無理よ。みんなも飲んでいるじゃない」
「紅茶に仕込む必要はない。別のモノに仕込めばいいし、隙を見て混入させることもできる」
例えば砂糖やミルクを入れる時など誰にも怪しまれず、見てもいない状況ならば気づかずに行えるかもしれない。そう隼が言えば、真理恵は「砂糖は入れた人がいるじゃない」と反論した。
砂糖は小百合だけではなく、真理恵や千鶴たちも使っている。千鶴と伊奈帆も自分で選んでいるのだからと言われて隼はすっと目を細めた。
「あ、じゃあミルクを入れる時は? あの時、誰も見てなかったし」
千鶴の言葉に伊奈帆は確かに見てなかったなと気付く。真理恵もそういえばと思い出したように輝幸を見た。その視線に輝幸は「僕じゃない!」と声を上げる。なんで、殺さなければいけないんだと言うように。
「殺す理由なら三人にあるだろう」
「え?」
「三人に共通しているのは、自殺した西田紗江と友人または姉妹であることだ」
西田紗江と聞いて三人は黙った。その反応に隼は「仮説だが、今川小百合が関係しているのだろう?」と話しを続ける。例えば、西田紗江は自殺の原因は今川小百合にあるのではないかと。
もしそうならば、西田紗江に片想いをしていたと言われている輝幸や、彼女の姉である真理恵には殺す動機というのが存在する。仮にそうだったとしても、今川小百合を殺していい理由にはならないと、隼は「復讐する人間の動機など知らないが」と興味なさげに付け足した。
「俺たち以外の三人は今川小百合に何かしら思うことがあった、あるいは殺意、または不満を抱いていたのではないだろうか?」
今川小百合の態度というのは自己中心的であったのだから、親しくしていた三人には思うところもあったはずだ。隼の指摘に三人は返事を返さなかった。それが答えであるというのは誰が見ても分かることだというのに。
隼は「それが今回の事件を起こすための鍵でもある」と、彼等に目を向けた。伊奈帆はおどおどと落ち着きなく、輝幸は怯えて、真理恵は不安げに隼の事を見つめる。
「じゃあ、犯人は渡辺先輩?」
「ち、違う! 僕じゃない!」
「でも、入れるタイミングはあったし……」
千鶴は輝幸に疑いの目を向ける。一人、また一人と彼を見ていく。輝幸は「僕じゃない!」と声を上げた。琉唯はみんなの視線に疑問を抱く、本当にそうなのだろうかと。
隼は言った、「琉唯の気づきで犯人は割り出せた」と。自分が指摘したのは二つあるミルクピッチャーと、ハートの形をした砂糖のことだけだ。うんっと首を傾げて琉唯は「本当に渡辺先輩が犯人か?」と口に出した。
それに千鶴や伊奈帆が「え?」と不思議そうに目を瞬かせる。違うのかと言ったふうの周囲に隼は「何か勘違いしているようだが」と口を開く。
「俺は一言も渡辺先輩、君が犯人だとは言っていないが?」
「え?」
「いや、犯人は紅茶に毒を入れるタイミングがある人って……」
「確かに渡辺先輩もその中に含まれているが、もう一人、いるだろう」
千鶴の疑問に隼は答えながら一人に視線を向ける――獲物を捕らえたように。
琉唯はその視線の先にいる人物を見て、あっと気付いた。そうだ、彼女なら可能なのかと。
「私だって言いたいの……?」
真理恵は震える声で問い返せば、隼は「君以外に考えられないが」と答えた。
「君以外に今川小百合を殺害することはできない。西田紗江の姉である君だけだ」
皆が皆、真理恵を注視する。それは驚きと疑問、不安の色を見せながら。
真理恵は表情を引きつらせながら隼を見つめていた。その瞳は動揺と怒りの色をしているけれど、彼には通用しない。冷静に「君が犯人だろう」と告げられてしまう。
隼はどうして彼女が犯人だといったのだろうかと琉唯は自分が気づいたことを元に考えてみる。ティーセットを用意したのは真理恵自身なので、毒を仕込むタイミングはあるはずだ。けれど、ミルクを入れたタイミングで毒を入れることもできる。誰も輝幸の動きなど注視していなかったのだから。
二つあったミルクピッチャーは一つは台に、もう一つはテーブルに置かれていた。真理恵が言うには人数が多いからという理由だったが、これも何か関係しているのだろうかと考えて、もしかしてと琉唯は気づく。
「もしかして、渡辺先輩に容疑をかけるためにミルクピッチャーを二つ用意した?」
琉唯の言葉にえっと周囲が反応する。どういうことだと聞く彼らに琉唯は「いや。真理恵さんが犯人なら」と、彼女が犯人であるならばと前置きをしてから自分の気づいたことを話した。
「西田さんなら渡辺先輩が手伝ってくれるって分かってたんじゃないかなって……」
三人は言っていた、伊奈帆がクッキーを持ってきてそれを食べるのは当たり前になっていたと。恒例となっていたお茶会なのだから、誰が準備を手伝ってくれるかも、そのタイミングも把握できているはずだと。琉唯は「最初に今川の紅茶を用意したのにすぐに渡さなかったし」と、お茶を準備している時のことを思い出す。
砂糖を入れなかった琉唯はすぐに渡されたのだが、最初に用意された小百合のティーカップは台に置かれたままだった。真理恵は伊奈帆がクッキーを取り出すタイミングを計っていたのではないか、それがきっかけで輝幸が手伝ってくれるのをよく知っていたから。
琉唯の話に伊奈帆が「そういえば、渡辺くんが手伝うタイミングってそこだったかも」と頷いた。輝幸はそうだった気がすると否定しない。
「琉唯の言う通り、これは渡辺先輩に容疑を向けるための行動だ。毒物を混入させた物へ目を逸らさせるための」
ミルクピッチャーを二つ用意したのは予定外である自分たち後輩が参加してきたからだ。用意していたミルクピッチャーを使われては、クッキーを取り出すタイミングなどズレてしまう可能性があった。そのズレを潰すために不自然に二つも置かれていたのだろうと隼は説明する。
小百合のティーカップにミルクを入れる時に毒物を入れたかのように見せかけて、本来の毒が入っていた物へ目を向けさせないようにしていたのだと隼はテーブルに置かれたシュガーポットを指さした。
「毒が入っていたのは砂糖だ」
様々な形をした砂糖が入ったシュガーポットを皆が見る。けれど、真理恵は「無理よ、そんなの!」と反論した。この瓶から砂糖を取り出した人は私以外にもいるじゃないと。
「間違って毒物が入ったらどうするのよ!」
「間違うことはない。何故なら、君が先に毒物を入れてしまえばいいのだから」
「混ざったらどうするの、それに……」
「混ざることはない」
真理恵の言葉を遮るように隼ははっきりと、否定した。毒の入った砂糖が混ざることはないと。
毒の入った砂糖を混じらないようにするにはどうしたらいいのだろうか、琉唯は「あっ!」と声を上げる。そうだ、自分が気づいたもう一つのことだ。
「砂糖の形で把握してたのか!」
「琉唯、その通りだ。この瓶に入っている砂糖は星やひし形と様々な形をしている。その形で把握すればいい。琉唯の記憶では今川小百合のティーカップに入れたのはハートの形をした砂糖二個だ」
ハートの形をした砂糖に毒を仕込んでおき、最初にそれを使ってしまえばいい。あとはさりげなく他の人にも砂糖を入れさせれば、毒が入ったなど思わないだろう。隼は「君は真っ先に砂糖のことを話したな」と指摘する。
砂糖やミルクを入れる時などにとは言ったが、〝砂糖に毒を入れた〟とは一言も発していない。隼は「どうして毒が砂糖に入っていると思ったんだ」と目を細める。
「琉唯の話ではその瓶にハートの形をした砂糖は無いらしい。時宮と小林先輩は覚えているか?」
「あっ! 確かに無かった!」
「一つもなかったかも、そういえば……」
千鶴が「わたし、ハートの形をした砂糖にしようとしたんだけど、探しても無かったんだよね」と証言する。隼は言う、ハートの形をした砂糖を二つだけ入れておけば確実に間違うことはないと。
先に小百合のティーカップに毒の入った砂糖を入れ、次に自分のものにも同じように入れてみせる。紅茶の準備をしているふうに見せながら、伊奈帆がクッキーを取り出すタイミングを見計らって、手伝いに立ち上がった輝幸に小百合のティーカップを任せる。そうすれば、小百合の好みを知っている輝幸が紅茶にミルクを入れることになり、毒を入れられる時間を作った。
「だから、前提条件として今川小百合と親しく、彼女の好みを理解している人が必要になるんだ。そうでなければ、この犯行は成立しない」
「そんなの、証拠に……」
「これは恐らくだが……砂糖に沁み込ませた毒が他の砂糖に付着することを君は恐れたはずだ。それを防ぐために毒が入った砂糖の下の砂糖を自分のティーカップに入れたのではないか」
君は今川小百合の次に自分のティーカップにも同じように砂糖を入れていただろうと隼に指摘されて、真理恵は目を見開かせた。
「君は一口もそれに口をつけていなかった。もしかすれば、君が飲むはずだった紅茶に微量の毒物反応が出るかもしれないな」
台に置かれたティーカップをゆっくりと真理恵は見てから、隼へと視線を移す。獲物を捕らえた猛禽類の眼に動けない。
田所刑事は「確認はしているか」と他の捜査員に確認をしている。数分としないうちに結果は届き、彼の目が鋭いものへと変わった。どうやら、ティーカップから微量の毒物反応が出たようだ。
「渡辺先輩が毒物を入れるタイミングは今川小百合のティーカップにミルクを入れる時だけだ。君のティーカップに彼が振れる時間は残されていないし、そもそも微量では殺すまでいかない可能性がある」
犯人を偽装するためだったにしろ、見つかるリスクを背負ってまで真理恵のティーカップに微量の毒を含ませる意味はない。隼は「これは全て君だからできることだ」と告げる、君が犯人であると。
三人の行動をよく理解している君ならばと言われて、真理恵は口を開こうとするも言葉が出ずに唇を嚙みしめて隼を睨んだ。それは犯行を認めたも同然だった。
「真理恵さん、どうして……」
最初に口を開いたのは伊奈帆だった。信じられないといったふうの彼女に真理恵は「どうしてって?」と乾いた笑みを浮かべる。
「あいつが紗江を死に追いやったからに決まってるでしょ!」
怒声。その見た目から想像もできないような声音が部屋に響いた。真理恵は目をこれでもかと開いて震える手を握り締める。
紗江は小百合によって自殺に追い込まれた。小百合のなんでもかんでもべらべらと喋る性格で、自分の好きだった相手のことまで周囲に言いふらされた。そこまではよかったけれど、小百合は紗江の行動にいちいち文句をつけた。
どんくさい、こんなことも分からないの、これだから振られるのよ。と小言でゆっくりと責め続けた。元々、自分に自信のなかった紗江はそれだけで精神を落ち込ませてしまう。
「責めるだけ責めて、あいつは紗江の好きだった男を横から搔っ攫っていったのよ」
紗江が好きだったと知っていて横から取って、出た言葉が「あんたがどんくさいから悪いのよ」だった。その一言は紗江を自殺に追い込むのには十分だ。じわじわと責められていたのだから。
「あの子は私にだけは自殺をした理由を残しておいてくれたの……」
「でも、どうしてその……渡辺くんに罪を着せようと……」
「あいつが紗江に酷いことした理由だからよ」
小百合は元々、輝幸のことが好きだった。だというのに、彼は紗江のことを愛していた。それが気に食わなかった、自分のほうが良い女だと自負していたから。そんな自意識過剰で自信家な小百合は紗江のことが気に入らなかった。
だから、小言でゆっくりと責め立て追いつめて、止めに紗江の好きだった相手を横から掻っ攫った。紗江が絶望に打ちひしがれている間に取った相手ともさっさと別れてしまう。なんて、なんて酷いのか。
「小百合も輝幸もいなければ、あの子はまだ生きていた。私の可愛い可愛い、愛しの妹は、まだ生きていたのに……」
あの子を死に追いやった奴らが憎い、殺してもなお、この気持ちは晴れない。真理恵は涙を流しながら吐き出す、憎くて仕方ないと。
琉唯には彼女にどう言葉をかければいいのか分からなかった。憎くて仕方なかったとしても、殺人を犯してはならない。どんな理由があったにせよ、人を殺していいなどないのだ。だからといって、復讐は何も生まないなどと綺麗事を言う気にはなれなかった。
例えば、「妹さんはそんなことを望んでいない」などいったよくあるセリフだって、亡くなった彼女本人が主張したわけではない。説得する側が勝手に決めつけているだけだ。そんなありきたりな言葉で犯人が気持ちを落ち着けることなど、できるはずもないと思わなくもない。
何も言うことはできなかった。琉唯は黙って真理恵を見つめることしかなできない。
「君は殺人を犯してもなお、妹の前で胸を張って立てるのか」
隼の問いに真理恵は涙に濡れる顔を上げる。彼はもう一度、「胸を張って立てるのか」と問うた。
「君の愛した可愛い妹の前で、殺人犯になりましたと胸を張って立てるのか」
君がそこまで愛した妹はそれを喜ぶような人間だったのか。大好きな姉が殺人犯になっても嬉しいと、有難うと感謝を伝える人間だったのか。隼の落ち着いた声音に真理恵がくしゃりと顔を顰めた。
「あの子は、そんな、そんな子じゃ……ない……」
「なら、君は愛した人を悲しませた愚か者だ」
二度、愛した人を悲しませたのだから。隼の一言に真理恵は崩れるように床に座り込んで嗚咽を吐きながら泣いた。
***
警察署内で隼は腕を組んで何が悪いのかといったふうに立っていた。そんな彼を琉唯は落ち着かせる。目の前では田所刑事が複雑そうな表情を見せているのだが、隼は気に留める素振りすらみせない。
琉唯の後ろにはその様子を窺っている千鶴がいるのだが、なんと声をかければ良いのかと悩ましげだ。いや、どういった言葉が正しいのかなんて誰にも分からないだろう。
聴取を終えた琉唯たちは田所刑事に呼び止められた。彼はこの前、注意したことを話していたのだが、隼は聞く耳を持っていない。別に悪いことはしていないといったふうに。
「俺はあくまで自分の考えを話しただけだ。それを参考にするかは警察である貴方が判断すればいいと言った。結果、犯人が自白しただけだろう」
「そのね……。はぁ……君は頑固だな。緑川くんが絡むとこうなのかね?」
「まぁ、鳴神くんは緑川くん一筋なんで……」
千鶴はこれがデフォルトだと言うように答えれば、田所刑事は琉唯へと目を向けて「手綱はちゃんと握っておいてくれよ」と注意した。
「君しか彼を止められないんだからな」
「いや、おれでもきついって。多分、またやるよ、隼は」
琉唯が不安を恐怖を抱けば、助けてほしいと願えば、被害を受ければ、隼は止められてもそれを解消するべく、また探偵まがいな推理を始めてしまう。止めたところで彼は聞いてはくれない、それほどに一筋なのだ。
危ないから止めておけと琉唯が注意したところで、隼は行動をやめることはない。だから、「おれが事件に絡まないことを祈るしかないよ」と琉唯は答えるしかなかった。
「だって、事件に巻き込まれたらやっぱり怖いとか不安は感じるし」
「それはそうだけどね……」
「事件が解決したのだから別に構わないと俺は思うが?」
「一般人に解決されて警察の面目がつぶれているんだがなぁ」
こうも事件を一般人、それも大学生にさらっと解決されてしまうと、警察としては複雑なのだという。確かに事件が早期解決することは良いことではあるけれど、面目というのはあるわけで。とは言ってもそれは隼には関係ないことだ。
そんな面目など知らないと隼は「琉唯を安心させる方が優先度は高い」と当然のように返す。面子など、威厳など知ったことではないというふうに。
「隼、おれのためなのは分かるけどさ……」
「これでも自重したつもりだが?」
犯人が分かっても警察が来るまで待機して、すぐに語らずに刑事に事情は話した。犯人を煽ることはしていないし、現場は荒らしてはいない。隼は「約束は守っているはずだ」と話す。
犯人を煽るようなことはしていないけれど、探偵まがいなことをするなというのは守れていないよなと琉唯は思ったけれど突っ込まなかった。それは田所刑事も同じようで痛む頭を押さえている。
「俺は琉唯の為だけにしかこんなことはしない。いちいち事件に首を突っ込むことはしないと約束はしよう」
「それは緑川くんが絡むと推理するということになるね……。はぁ……」
前回の会話で匙を投げていた田所刑事は隼の考えを嫌でも理解したようで、「せめて危険な行為はしないでくれ」と諦めた。刑事が大学生に負けないでくれと琉唯は思ったけれど、隼はどんなに叱られようとも、怒鳴られようともこの考えは曲げないだろう。
嫌というほど気持ちが伝わってくるので、下手に何かいうよりもせめて、これだけや止めてくれよというのを伝えるだけに止めておいたほうがいいと判断したようだ。その判断は正しいと琉唯でも思った、隼の性格を鑑みれば。
「何を言っても駄目だな、これは。……緑川くん、彼にさっさと首輪してやってくれ」
田所刑事は本日、何度目かの溜息を吐いた。その疲れた表情に琉唯は申し訳なりつつ、隼に首輪をつけられるのは自分だけなのだろうなと自覚する。彼の行動原は自分のためなのだから。
田所刑事は「無茶だけはしないように」と再度、念を押してから琉唯たちを解放した。やっと話が終わったかといったふうの隼に「お前のせいだよ」と琉唯は彼を小突きながら警察署を出ていく。千鶴も隼の態度にこれは治らないだろうなと察したように苦く笑っている。
「おれのことは別に気にしなくていいんだよ。隼に何かあったほうが嫌なんだけど」
「それと同じで俺も琉唯に何かあったら嫌なんだ」
琉唯に何かあったなど考えたくもないし、不安や恐怖を抱いている姿など見たくもない。自分がそれをどうにかできるのであれば全力を尽くす、ただそれだけなのだと隼は話す。俺は君を愛しているのだからと。
さらりとまた告白をされて琉唯は言葉を詰まらせる。その愛はしんどいとか、言葉はいくつもあるのだが、琉唯はそれでもやっぱり隼の事が嫌いにはなれなかった。
自分のためにこんなにも愛してくれて、行動してくれる人などいるだろうか。気持ちを曲げる訳でも、裏切るわけでもなく、一途に想ってくれている存在など。
「てか、鳴神くん。煽ってはなかったけどちょっときつい言い方してたよね?」
犯人である真理恵に「愛した妹の前で胸を張って立てるのか」と問うた時の口調はきつく感じたと千鶴は話す。そういえば、冷たさを含んだ厳しい言い方だったなと琉唯も思い出した。
なんでだろうと疑問に思っていれば、「彼女の考えが気に入らなかった」と隼は答えた。
「愛しい妹と言っておきながら、愛した人を悲しませている。それは愚かな行為だ」
愛した人であるのならば、悲しませてはいけない。大事な存在であるのだろう、ならば泣かせてはいけない。そうでなければ、ただ愛しているといる自分に酔いしれているだけだ。
それはあまりにも愚かな行為だった。ただただ、自分は妹のために復讐したのだということに酔った彼女が気に入らなかったのだと隼は話す。
「殺意という感情は分かり合えない。相手の抱いた想いが分からないように。ただ、これだけは言える。彼女は愛した人を二度、悲しませたのだ」
憎くて殺したくなることはあるだろう。相手の行為が許せず、敵討ちをしたいという感情を抱くのは仕方ないことだ。けれど、行動に移してしまってはいけない。
愛した人がそれを望んでいるわけではないのだから。仮に望んでいたとしても、それを正せなばならない。間違った道から戻すことも、また愛なのだ。隼は「それができないのならば、ただ酔いしれているだけだ」とはっきりと切り捨てた。
「俺は琉唯がしたことは許そう。けれど、犯罪行為に手を染めることを勧めはしない。もし、そこに堕ちようとするのであれば、引きずり上げる」
それは彼の決意であり、一途な想いでもあった。絶対に堕とすようなことはしないと、させないという。琉唯はこれは誓いだなと思った、愛の。
「重い」
「俺の感情が軽いわけがないだろう」
「うん、実感した」
重い、重いのだ。実感すればするほど、圧し掛かってくる。くるというのに琉唯は拒絶ができない。隼の感情が揺るぎないものであるから。生半可な想いで告白などしていないのだ、彼は。
そんな覚悟を持って傍にいる相手に軽い感情で相手と向き合ってはいけない。だから、琉唯は拒絶をしなかった。
「緑川くん、頑張って」
「押しつぶされないように頑張ってみる……」
黙って話を聞いていた千鶴も理解したようでそっと琉唯の肩を叩いた。そんな二人に隼が「何を頑張る必要がある」と首を傾げていたが、それに突っ込むほどの気力はなかった。
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