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読書録:モンゴメリー「ロイド老嬢」

 読書の楽しみは、新しい物語と出会うこと。

 そんな意識があるために、同じ作品を何度も読み返すことは少ないのですが、そんな私でも折々読み返したくなるのが、モンゴメリー作の短編「ロイド老嬢」です。
 この〈老嬢〉(old lady)という言葉自体には引っ掛かりがありますが、ここではひとまず、横に置かせていただきます。

モンゴメリー/掛川恭子 訳「ロイド老嬢」(ポプラ社『百年文庫 18 森』収録)  https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8012018.html

モンゴメリー/掛川恭子 訳「ロイド老嬢」(ポプラ社『百年文庫 18 森』収録)あらすじ:
 村の皆から「金持ちで、けちで、プライドが高い」と思われている、マーガレット・ロイド。本当は、父の代に全財産を失う不幸に見舞われていたのに、プライドの高さからそれを知られることを拒み、もう何十年も独りで暮らしていた。
 ある日、村にシルビア・グレーという娘が家庭教師としてやってくる。それは、マーガレットがかつて愛したレスリー・グレーという元婚約者の忘れ形見だった。自分の娘だったかもしれないシルビアに、マーガレットは強い愛情を抱き、ひと知れず贈りものをはじめる……。

 マーガレット・ロイドという女性の寂しさが癒やされ、最後には素晴らしい〈家族〉を得るところが、私はたまらなく好きです。最初はマーガレットが置かれた孤独を思って泣いて、中盤はマーガレットがシルビアへの献身を続ける姿を読んで泣いて、最後はマーガレットとシルビアがお互いにかけがえのない存在になることで泣きます。本質的に悪意をもった人物が居ないので、ご都合的とも言えるのかもしれませんが、だからこそ疲れたときに癒してくれる〈やさしい世界〉だと思っています。
 位置づけとしては「赤毛のアン」シリーズの1作ですが、独立して読めるので、私はもっぱらこの短編だけをくり返し読んでいます。
 なぜこの「ロイド老嬢」が好きなのか……と考えると、おそらく〈擬似家族もの〉が好きという性癖が大きいのだと思います。血のつながった家族を持たない者同士が寄り集まってつくられる家族。もう寂しさも貧しさもなく暮らせる家と家族ができる幸せ。なお、いちばん古い記憶はトミー・アンゲラー/いまえよしとも訳・絵本『すてきな三にんぐみ』(偕成社)です。

モンゴメリ/村岡花子 訳『赤毛のアン』(新潮文庫)
https://www.shinchosha.co.jp/book/211341/

 モンゴメリーの代表作『赤毛のアン』は、村岡花子 訳(新潮文庫)が手元にあります。やはり印象的なのは、アンがジュースと間違えて、親友ダイアナに果実酒を呑ませてベロベロにするところ……笑
 言ってしまえば、これも〈擬似家族もの〉で、アンがマシュウとマリラの娘のようになっていくがとても好きです。だからこそ、最後のマシュウがあまりに哀しかった。彼は〈父権の象徴〉には成り得なかったと思うのですが、彼が居たままでは、アンがグリン・ゲイブルスに留まることはできなかった、ということなのでしょうか。
「ロイド老嬢」でも『赤毛のアン』でも、〈良き父〉は亡くなっています。まあ、マーガレットが老齢である以上、その父が作中ですでに亡くなっているのは道理ですが。

斎藤美奈子『挑発する少女小説』(河出新書)  https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309631349/

 斎藤美奈子『挑発する少女小説』(河出新書)での『赤毛のアン』の解釈も面白かったです。〈女の子らしいものは好き〉だけれど、〈女の子らしく求められることはきらい〉であることを両立するアン。その思想の根底にあるのは、〈個人としての自由〉を求め、尊重することではないかなと思います。
* 『赤毛のアン』以外の解釈も含めて、結果的には読んでよかったと思っているのですが。じつは読み出して早々、シャーロット・ブロンテと書くべきところがエミリー・ブロンテになっていたので(版元の商品ページに訂正報告あり)、いったん本を閉じました。なぜなら私の専攻は、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』だったから。
* 専攻していた身にとっては「なぜここを間違える???」と思うのですが、外側から見たらややこしいだろうこともよく判ります。私だって専攻外のものはやらかしかねない。ああ恐ろしい。


 次に手に取る本の、ヒントのひとかけらになれば幸いです。

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