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共感覚とそれをどう活かすか

共感覚のお話を少しさせてください。
画家や音楽家、ダンサーなどは共感覚を持っていらっしゃる方も多いと思います。

数字に色がついて見えたり、
音楽に味がついていたり。

例えば音に味がついているように感じる人は、
音を聞いた際に
音を認識する脳領域ではなく、
味を認識する脳領域が活性化することで
起こるものだとされているようです。


幼少期にはとっても存在しやすい特徴だと思います。

「美味しそうな雲」

「黄色い声援」

雲は甘いかわからないし、声には色はついていないけれどそう感じる。

私は幼少期ピアノを習っていたのですが、ピアノの楽譜をもらって先生のお手本を聞いているとその情景が絵になって出てくるので、楽譜を貼っていたスケッチブックには必ず、1つの楽曲につき1つの作品を作っていました。


大人になってからはさらにその感覚が加速し、「何を認識元のインプットとしているのかわからない」フッと降りてくる感覚がある作品があります。作品の着想が思いつく前に作品のアイデアが出てくることがあります。


ある作品を制作する際に浮かんできた情景、
暖かい雲(触覚)が映り(視覚)
風が当たり(触覚)
黄色い(視覚)
足に草の艶々の感覚があり(触覚)
少し口に砂が入る(味覚)
鳥の声、雲の唸りが聞こえる(聴覚)
と五感に入ってくる感覚になります。

作り方はさまざまでいくつかのアウトプットの仕方はあるものの、その情景や風や温度や質感、絵の具を触っている感覚、それらを含めた情景を第三者から見て作品を作っている自分が見える時があります。


実際に作品を制作した際の情景がこのようになりました。(当日まで場所は決まっていなかった。)

ある時は、3Dでその作品が頭の中に浮かび、その中で自分が入ってる感覚もあります。自分がその空間の中に、溶け込んでいる感覚に近いかもしれません。

そして、最も大事であると私が思うのは「共感覚楽しい!すごい!」

で、終わらすのではなくそれをどうやって活かしていくことかな思っています。まさに、「何のために表現するのか」になってくるのかもしれません。

人間だったら、この表現をすることでその人がどうなっていくのか、場だったら、その場がどのように豊かになっていくのか、

しかもそれが個人的な視点ではなく、もっと遠くへ、もっと大きく、もっと広く、自分の持っている今の概念も疑いながらどうやったら良き表現として美しきものを世界に投じていけるのかが面白いところです。

さて、皆さんが幼少期にあった共感覚、もしよかったら教えてください「共感覚」もあると思うと、小さな体験として「もしかしてこれかも?」と、感じることがあります。

見つけてみてください。


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