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「あの人たち」と「私たち」

ベトナムのとある山岳地域の町での出来事である

夕飯を食べに町をふらついている僕の後ろを2歳くらいの子供が走ってついてくる

よくある物売りの子供だろうと思ったが、今回は なぜか 足を止めた

手作りのキーホルダーを手に持ち、買ってくれと言わんばかりに僕の目の前に突き出してくる

値段は200円。貧しい少数民族の村の子供だろう。僕より有意義な200円の使い方をしてくれるだろうと200円で買ってあげた。

という出来事である

そして、翌日その子供が住んでいるであろう少数民族の町に出かけた


美しい田舎の風景の中、民族衣装を着た女性たちが歩いている

ふと手元を見るとスマートフォンを操作している


この貧しい村の「少数民族」と裕福な日本という国に住む「僕」との間に得られる情報に差はないのである

好きな海外のスーパースターの情報も接近する台風の情報もスマホ1つで得られてしまう

同じ世界にいるのである


そして、ふと我にかえった
昨日の「あの子供」と「僕」との間に差があったのだろうか

あろうことにも
“あなたにとっては大金である200円で買ってあげた”
と心のどこかで思っていたのである

僕は猛烈に反省した

そして読んだばかりの FACTFULNESS という本の
「あの人たち」と「私たち」という言葉を思い出した

僕は「少数民族」は貧しく、「日本人」は裕福であると勝手に思い込んでいた

考えてみればこの村は観光地として成り立っている
観光客からそれなりに収入はあるはずである

「少数民族」と「日本人」
「あの子供」と「僕」との間にはなにか大きな差があって
それはこの先も埋まることはない
と思い込んでいた

同じスマホを持ち、同じ世界に住んでいるのに

僕は世界を歪んだ目で見ていたのである

この記事を書いている今も「あの子供」と「僕」との違いはよくわからないし、 今後も明確な答えは得られないのだと思う

ただ、こんなに遠い山の中に住む子供と同じ世界を共有できると思うと
なぜか少しうれしくなった

世界は急速に小さくなっていると感じた瞬間であった

この FAUTFULNESS という本についてはまた詳しく書こうと思う
なにかみなさんの日常生活の参考になることを共有していきたいです。

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