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古川柳と水府川柳(後編)

まえがき
今、2024年5月4日22時ちょうどである。父が亡くなってまる4年経つ。
命日は2020年5月5日である。私が病室に着いたのが午前2時50分頃。
当直医による死亡確認の時刻2時58分が公式の死亡時刻となった。
父は69歳で亡くなった。面白い人だった。
窓を少し開けていると冷たい風が入る。何月なのか分からないような温度の風である。

高浜虚子の俳句に、
  風が吹く仏来たまう気配あり
というのがある。良い句です。


ちょっと歌でも作ってみよう。
 窓開けてベージュの車眺めよう 夜風そのまま部屋に通そう(22:16)
 夜の庭ベージュの軽が置いてある 父の最後の小さな車(22:29)
 
以上まえがき。

岸本水府の川柳を読んで、驚いたという事を前編で書いた。
古川柳と並べて見よう、という事も書いた。
けれども前編後編に分かれてしまった事で、並べて見る、という事はどうも難しくなった。比較検討したいという気もない。
今はシンプルに水府の川柳を読んでみたい気分なので、そのようにしようと思う。
前編で古川柳を14句、選んだので、後編でも水府の川柳を14句、選んでみよう。

①ものおもひお七は白い手を重ね
(田辺聖子が書いた岸本水府の評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』の中で出会った句。浄瑠璃の名文句のようである。それはそうだし、それはそれで凄い事なのだが、しかしそれとは別の何か、この句は何か強いものを持っている。そして心地が良い)

②売られたは三味線に手のとどく頃
(炭太祇(タン・タイギ)の俳句を思い出す。「やぶ入りや琴かき鳴らす親の前」など。しかし水府の句はそれよりも悲しみが強い)

③涙ぐんだ時に箒の手がとまり
(これなどは私の手が止まる。
説明の要らない句である。別にじめじめしてもいない。しかし途方もなく悲しく、かつ、正確であると思う)

④電柱は都へつづくなつかしさ
(非常に良い)

⑤カステラの紙も数えて子を育て
(凄い。この句が一番好きというわけではないのだが、この句を読みながら思った事を書く。「物凄い川柳」というものがあるとしたら、水府の句のようなものがそれだと思う)

⑥窮屈なとこに盃置いてみる
(これは、よくある川柳にちょっと近い。笑いの装置としての川柳の姿をしている。嫌味がないから、何度も笑える。疲れない笑い)

⑦十九からはたちへ女年をとり
(ありそうで無い内容だと思うし、不思議な感銘をうける句。しばらくした後で、そうや確かに19歳と20歳は同じではない、しかしそれはどういう事なんや?と変な場所から考えがスタートしたりする)

⑧誰も居ず夕刊売れてゆく都会
(不気味すぎないのが良い。不気味すぎると、ある種の無季俳句になってしまって、かつ、その系統の中のつまらないものになるのかもしれない)

⑨うちのではないと兎を抱いてくる
(ホッとして、そして可愛い)

⑩夜業してよその夜業の音をきき
(季節感をうたうのが俳句や!と暴論を言ってみよう。そうするとこの句は、自分の中のある時期の「時期感」を、うたっている。それが川柳のすべてではないと思うが、川柳の強み・特色の一つは、それをうたえるところなのかもしれない)

⑪段梯子で拭いた涙がしまいなり
(良い)

⑫大阪はよいところなり橋の雨
(こういう句を読むと驚く。これは何なんや?と。川柳なのか?キャッチコピー?キャッチコピーだと思ってしまっても良いと思う。そうだとすればキャッチコピーの世界を恐ろしく豊かにする一節だ)

⑬手伝いもせず鋸の下手を見る
(この笑いも好きだ)

⑭十二時を指して時計のいい最後
(笑いがあるが、さみしさが勝ってる)


14句引いたが、もう少し続けたい。


⑮子を抱いた重みが母の春だった
(これは凄いですよ。何にも言う事ありません)

⑯大阪を故郷にもって寂しかろ
(良い)

⑰もう叱らなくなった母淋しすぎ
(現代川柳にもありそうだが、逆にここまでストレートな句はあるんだろうか。さびしすぎ!を微笑みながら言う時もあるだろうし、号泣しながら頭の中で叫ぶ時もあるだろう)

⑱道頓堀の雨に別れて以来なり
(代表句。田辺聖子の岸本水府評伝小説のタイトルもこれ)


駆け足で、手元のノートから目についたものを挙げてみた。
水府に出会ってまだひと月くらいなので、私はのぼせ上っているのかもしれない。でも、そうだとしても別に誰も困らんでしょう。
そうでなかったとしたら、とんでもない人に、また一人(遅まきながら)出会えたという事で、そうだったらとっても嬉しい。





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