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『読みながら書く』 4

四、佐野洋子

 

今日ネットで知ったのだが、”FreeCAD”というCADソフトは面白そうだ。3D物体を扱えるCADソフトとしては珍しく、無料である。3Dプリンタを持っていれば、FreeCAD上で設計したコップとかドアノブとかスツールを物体として出力できる。普通の2D図面も書ける。使いこなすことが出来れば、楽しいだろう。

 

日中に書いたいくつかのメモが手元にある。「随筆を書くよりももっとすぐれたやり方があったらどうするか」「もっと優れた書き方・ノウハウがあったらどうするか」「エクセルやCADの学習法は今のままで良くはないだろう」等々。読むと、私の不安のパターンというか、形が見えてくる。最後のメモには「答えがあるという感覚、キチッと整ったという感覚が、今はない。しかし時にはこのグチャグチャとした、ラフな感覚のまま、考えたり、行動してもよいはずだ」とあり、一応区切りをつけようとした事が伺える。

こうして家に帰り、ウェザーリポートのアルバム(『ブラックマーケット』)を聴きながらボーっとしていると、これらのメモに書かれた不安が、元々身にまとっていた不安感を失って、単なる「質問文」として私の目の前に現れてくる。私はボーっとしつつ「どうするかと聞かれても、分からないよ。いっそ開き直って、盛大に大失敗してしまえよ。その方が色々はっきりするし、学ぶ事もきっと多いだろうよ」などと思う。

とりあえず横になって、なにか本を読もう。

“私は気分転換などしない。
気分転換する必要はない程陽気で幸せな人なのではない。ほとんど常にかぎりなく滅入っている。おまけに体が怠けもので、気だけせわしなく忙しいので、ごろりと横になって先から先へと心配ばかりしていて体休まって心休まる時がない。趣味もないしお酒ものまず歌もうたわない。何が人生楽しいかと言われるとそれが楽しくてやめられない程千年も万年も生きたい。気分転換など自分でするものだと思っていない。あちらからやって来る”

(佐野洋子『わたしはそうは思わない』ちくま文庫 111ページ)

 

『100万回生きたねこ』の作者、佐野洋子が書いた文章だ。

こういう文章を読むと、豊かな心とはこういうものだな、と思う。心の窮屈感が緩和される。

 

“完全な人間などいない。もしも母が私を失敗作だと嘆いたら私は気持いいか。冗談じゃない。数々の欠点はあっても私は私自身を生きて、泣いて笑って人生は素晴しいと思っているのである。人間の成長過程の一瞬をとらえて失敗か成功か、一体誰が判断するのか。”

(同書 193ページ)

 これは強力な文章である。今、私の心は穏やかとも穏やかでないともいえぬ、微妙な状態であるが、これはこれで良いという気がしてきた。さあ、風呂に入って何もせずに寝よう。

(2023年6月14日)

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