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実験な生活:ハスな視点になっちゃってて編「マスクアミニズムの破綻」

1月20日以降より、各媒体で見られるようになったのが「2類を5類に変更」という話。
その際にマスクの不要箇所が増える話題も有るが、もともと義務化されていないにも関わらず、すんなりと外せる人は少ないだろう。
そんな予測をしつつ、マスク至上主義の破綻をハスに見てみる。

①マスクは効果ある→なら、着けたい人が着けてるだけで、着けてない人にも効果あるでしょ?
②マスクは飛沫を防ぐ効果がある→なら、喋らなければ必要ないし、やはり着けたい人が着けてて、着けたくない人は外してても同等の効果でしょ?
③マスクは粘膜の保護になる→確かに!でも冷えても鼻水効果を引き出せるし、マスクの弊害のほうがデメリット多くない?
④マスクを着けだしてから、鼻炎しにくくなり、風邪を引かなくなったり、肩こりしなくなった(私の友人談)→コロナ禍前より耳鼻咽喉科に相談しといて!😅
⑤多くの人がマスクを付けてるのだから、付けるべきだ→クレイジー乙!🤪

あ、もし。
空気感染絡みを唱えるなら、アメリカの認定産業衛生士の方が議会で話す中の、「アスベストでの対策」の話を、以下の動画で観てみると良いと思うよ。医師はこの手の話のプロではないからね、実は。
https://rumble.com/v1g84fh-everything-you-wanted-to-know-about-masks-and-covid-and-were-not-too-afraid.html

まだ他にも有るかもだが、「信仰」レベルまでイッちゃってれば、尚のことオサラバは不可能でしょうし、今後100年間は外さずに過ごして行くのではなかろうか。
んまあ、100年間は言い過ぎだとしても、生涯に亘り着けるつもりか、死ぬまで外せなくなっている心理の方々も、多いのではないかと思う。

そもそも、自身の顔を隠したいものなのだろうか?精神年齢が若年に近い方なら、そういう方も居るだろう。犯罪に手を染めてるなら、バレないほうが助かるだろう。
んーーー、あと、顔を隠したい理由って、有るだろか?鼻の穴が異常にデカいとか、口が異常に小さすぎるとか、顎が3つ4つに割れてケツアゴどころではないとか?


人にはルーティン化するまでの、意識的に行う事が無意識レベルまでに定着する過程の中に、どこか「信仰」に似た要素が必要になり、ある一定の信仰的なレベルに達していないと、根深くは馴染んでいかないのでは。それは時に「洗脳」に近い状況下で、浸透をしていくのかもしれない。
日本は宗教に関しては雑種天国的なごちゃ混ぜ感があり、古来から「八百万の神々」と呼んで、身近な所に神の存在を認識している話しも多く見られている。なので、その中に「マスクの神」が一人増えていても、おかしくはないだろが……。

問題となるのは、グループ化と分断に結び付く点だろうか。

そもそも、人間と言う生き物は、群れや社会を作らないと生きていけない生物であり、それゆえ、群れと社会を乱すものが居れば、守るために「殺す」と言う選択をするものだと聞いたことがある。
でも、それと同じく、新しい方法で群れや社会から逸脱して、新たな世界を創る者も居るのが、この世界だと思う。

どの道、どちらの道を選択するにしても、基準となる「ソース」は、それぞれが持つ哲学と精神によって選び分けられているだろう。
それこそ『見たいものを信じ、聞きたいものを信じる』という、それをしないと自分自身のアイデンティティを保てない脆さと、自身の信仰以外は許さないという危険な思想を孕み、膨らみ続けているのではなかろうか。

ちなみに私の立っている場所からハスに眺めると、この一連の状況はもはや『マスクアミニズム』の域に感じられる。

さて、一旦ここで筆をおいて、お出かけするかな。
我が家の神棚に上げておいた、不織布マスクを着けて。
神聖なるパワーで、不織布マスクに含まれている有害物質が除去されているはずだ🤩😷😎




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