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さくらホームが開所20年を迎えました

広島県福山市にある介護・福祉事業所「鞆の浦・さくらホーム」は今年4月、開設20周年を迎えました。利用者さんひとりひとりの「鞆で暮らし続けたい」という思いをかなえるには、年を重ねた人や障がいのある人を「まちで見守る」しかない。そう思って実践を重ねてきた結果、その意識は鞆にとって自然なものとなっています。「地域福祉の先進地」と言っていただくことも増えてきました。

ただ「鞆だからできたことでしょう」と言われることも、多いです。

わたしたちはそう言ってしまいたくはないのです。

20年前はより「施設で介護する」意識が根強い時代です。開設当初は反発もありました。苦労も大きかったです。

どうやってまちは変わったのか、福祉のまちづくりは進んだのか。20年を振り返ります。


「まちの力」を確信するまで



創業者で理学療法士の羽田冨美江が嫁ぎ先の鞆町にて、脳梗塞で半身まひになった義父を10年介護した経験が、さくらホームの理念の原点です。介護を始めた当初、車椅子生活になった義父は気落ちし、家の中で怒ってばかり。そんなある日、義父とともに、祭りの準備の場に行くと住民たちが続々と「兄さん!」「これは昔どうしとったんかな」と話しかけてくれたそうです。地域に居場所を見つけた義父は、翌日から人が変わったようにリハビリを開始。羽田はこの経験から「まちの力」を確信します。

そうして、2004年4月、鞆の中心部である関地区に「鞆の浦・さくらホーム」を開所。羽田が江戸期に建てられた商家の取り壊し予定を聞き、町並みになじむ建物を「何とかして守らんといかん」と購入したのが、開設の直接的なきっかけです。介護施設に改修し、利用者を鞆の方に限定した地域密着型のグループホームとデイサービスをスタートさせました。

最初の5年は戦い


ですが、最初は反発ばかり。さくらホームのスタッフは開設当初から利用者さんと共に町に出ていましたが、当時は介護が必要になったら「郊外の施設へ入る」という風潮がより強い時代です。その姿を見て一部住民から「あんな状態の人を歩かせてええんか」と苦言を呈されたこともありました。

まちの意識を変え、利用者と地域をつなぐには、まずさくらホーム自体が地域と深く結びつかなくてはなりません。そのためにスタッフは地域のサロンに出向いたり、地域の一員として祭りに参加したり…。

何より利用者さん1人1人の人間関係と密に向き合ううち、スタッフが地域と顔なじみになりました。利用者さんの自宅の近くで近隣の方とお会いしたら、「調子はどう」と話しかけ、時には利用者さんの情報を聞き出してみる。そんな「あいさつのもう一歩先」のコミュニケーションを重ねていきました。

また利用者さんのご希望に添って、自宅でお看取りをする回数は、年月を経るごとに積み重なっていきます。住民の方々はその様子を見ています。「自宅で最期を迎える」という選択肢は、まちに徐々に、徐々に根付いていきました。

「平には平の文化があるんじゃけえな」

わたしたちの特徴は、利用者の方が歩いてさくらホームに行けるよう、鞆町内に計5つの拠点があることです。だいたい各お宅の半径400メートル以内になるように、拠点を点在させています。

鞆は南北に伸びる集落です。それぞれに別のお祭りがあるなど、地区ごとに独自の文化圏を形成しているのが特徴です。当然、住民の人間関係も地区によって違います。南側の「平」地区の町内会長に「平には平の文化があるんじゃけえな。ここにも作らんといけんぞ」と言われたのが、わたしたちが拠点を増やしていくきっかけでした。

そして、2009年1月に、「平」地区に、民家を改装して小規模多機能居宅介護「鞆の浦・さくら荘(現・いくちゃん家)」を開所しました。2011年5月には、北側の「原」地区に小規模多機能居宅介護(現・看護小規模多機能居宅介護)「さくらホーム・原の家」を開所します。

原の家から自宅へと帰る利用者さん


課題を地域に戻す


わたしたちは「ケアの課題を自分たちで抱えすぎない。課題を地域に戻し、ともに取り組む」というアプローチを大切にしてきました。

エピソードをひとつ、紹介します。

認知症になり、徘徊を続けていたFさん。施設は空き待ちのため、在宅生活をつづけながら、さくらホームのケアを受けていました。
ある日、さくらホームのケアマネジャーと町内会長は徘徊ルートを探り、「母親を探すために外を歩いている」ことを突き止めます。さくらホームは専門職が排せつや服薬などの支援に責任を持つことを前提に、町内会長と一緒に無理のない範囲で見守る体制をつくろうと地域に提案しました。住民は当初こそ消極的でしたが、何か月かたつと、「お母さんは家におるかも。帰ってみたら?」適切な声かけをしてくれるようになり、いつしか協力者は20人ほどに。Fさんが施設に入る順番が回ってきても住民たちは「Fさんは家におりたいじゃろう」と在宅生活は続きました。そしてFさんは大好きな猫と地域の人々に見守られ、自宅で最期を迎えました。

誰でも出入りできる放課後デイ


2014年には、開設当初からの念願であった、子ども支援の部門を立ち上げます。平地区の元保育所の建物の一部を間借りし、5月に放課後等デイサービス「さくらんぼ」を開所しました。

さくらんぼは、開設時から現在に至るまで、門扉を開け放しています。
衝動的に行動する子もいるので、障がい児施設では門を閉じていることが多く、我々も最初は安全面から閉鎖することを検討しました。しかし同じ建物内では、地域住民でつくるNPO法人が「鞆の津ふれあいサロン」を運営しています。「誰でも自由に出入りできる」ことを大切にしたいという町内の方の声もあり、開放することにしたのです。さくらんぼの目の前は車の往来も多いですが、町内会長が見守りに立ってくださいました。

門がないことでさくらんぼと町の距離は縮まりました。町でかくれんぼをすれば住民の方が「こっちに来て隠れていいよ」と言ってくれる。運動場でサッカーをしていてボールが海に飛んでいくと漁師さんが拾って届けてくれることも。放課後には、地元の小学生が宿題をしに寄ってくれるので、いつもにぎやかな環境です。

さくらんぼの放課後。利用児童も地元の小学生も一緒になって遊ぶ


年齢を重ねても 障がいがあっても 居場所となるまちづくり


さくらんぼ開設から約10年後、2023年7月に就労継続支援B型事業所「クランク」を開所しました(管理者インタビューはこちらから)。2024年4月には相談支援事業所もスタートしています。

地元情報誌にも掲載される人気カフェ「スープとおにぎり クランク」であり、障害や生きづらさを抱える方の働く場でもあります。軽作業から接客まで、多様な働き方を用意し利用者さんの「鞆での居場所づくり」を支えています。

クランクは、常に鞆という「まち」と向き合ってきた私たちの、新たな「まちづくり」への挑戦の場です。裏手にある大きな公園は鞆こども園や鞆の津ミュージアムと隣接しており、子育て世代の憩いの場になっています。敷地内には駄菓子屋もあり、放課後は“常連客”の子どもたちの姿であふれています。

この20年間、さくらホームは挑戦の連続でした。そのすべてが、鞆の福祉ニーズにこたえるため、鞆をよりよいまちにするためです。

さくらホームが実現した地域福祉が「鞆だからできたこと」なのは、確かに、ある意味で、当然かもしれません。わたしたちがひたすらに声を傾けようとしたのは、鞆の住民の思いだからです。さくらホームが展開しているのは、鞆のまちに合った地域福祉のカタチです。「ひとりひとりの思いに添う、尊厳を守る」ケアを違う地域で実現するならば、その結果は違ったものになるはずです。地域を巻き込む方法は、本当にそれぞれです。

ただ地域福祉とまちづくりが密接な関係にあることは、日々実感しています。

地域福祉の対象は、お年寄りや障害のある人や子どもに限らず、すべての住民です。

子どもを見守るお年寄りの存在は若者に安心感を与え、認知症高齢者に声をかける住民の姿は、介護と仕事に追われる現役世代の支えになるはずです。要支援者を見守るネットワークのあるまちは誰にとっても住みよいまちに違いありません。「福祉のまちづくりの先に、鞆の関係人口や移住者の増加がある」。そう考えて、日々実践しています。

これからもさくらホームは、まちへ出て、まちの声を聞き、福祉でまちを下支えしていきます。「自分の住むまちを、よりよいまちにしたい」というシンプルな姿勢が、他の地域でも共鳴を生むことを願って。


利用者さんとスタッフでまちを散歩


文・高本友子(さくらホーム)
写真・西はる子



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