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世界は贈与でできている読書感想文

この本を知ったきっかけは編集者の佐渡島庸平さんと漫画家・つのだふむさんの公開打ち合わせで知った。この打ち合わせは二人のやり取りがクリエイティブに溢れていてすごく刺激を受けるのでよく聞いている。普段クールな佐渡島さんが少し興奮しながらこの本がすごく良いと言っていたので記憶に残っていた。                            そんな時に岸田奈美さんのキナリ読書フェスが開催されることを知った。 岸田さんは以前から知っており、「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」も読んでいた。この本もとても面白くて泣けて笑える。 元気の出る本だ。                          そして私自身noteで一度も文章を書いたことがない。が書いてみたかった。自分の文章を誰かが読み、どんな感情を持つのか不安だったので書く勇気がなかった。しかしこのキナリ読書フェスをきっかけに書き始めることにした。岸田さん、あなたがきっかけでnoteで書くことができました。    ありがとうございます!

ここから読書感想文に入ります。               

「贈与」に気づくことで「始まる」                  この本に贈与とは、

僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動を、「贈与」と呼ぶことにします。

と書かれている。その贈与を考える上でこうも書かれていた。

何気ない日常の中で、あふれている無数の贈与(のありがたみ)は隠されています。それらは「あって当たり前」であって、それがなければ僕らは文句を言う。コンビニの陳列棚の商品、自動販売機、部屋の空調設備、電車の提示運行、あるいは衛生環境や、インフラ、医療ーーー。         逆説的なことに、現代に生きる僕らは、何かが「無い」ことには気づくことができますが、何かが「ある」ことには気づけません。

私はこの「当たり前にあること」に対して全く気づいていなかった。この文を読んだときに自分がいかに世界を見ていなかったのかと気づいた。このことを知っているだけでも世界に広がりを感じるし、豊かな考えを持つことができた。

歳を重ねるごとに素直であるために                  33年間生きてきて様々な経験もし、仕事もある程度できてきて自信もつき、いろんなことに挑戦したくなってきた。その中で「自分ならこのくらいできて当たり前だ」「こんなの大したことない」といった「傲慢さ」や「驕り」も自分の背中にくっついてきた。それを振り払うには自分を見つめ直したり、素直であることが一番であると考えている。そんなことを改めてこの本を読んで再認識した。ギブアンドテイクやwin-win の関係など、そういったことではなく他者に対して贈与する気持ちは、相手が喜ぶ、楽しくなるといったポジティブな気持ちだけで充分だし、そこに見返りを求めなければ気持ちも楽になる。私は当たり前のように仕事に対しての結果を求めたり、物事に対して見返りを求めていたように感じる。そうではなく、もっと純粋に世界を見つめ当たり前のことに対して立ち止まり見ることで、世界は変わる。                                道に咲いてある花があったら立ち止まって見てみよう。どんな形をしているのか、どんな花びらなのか。ただ当たり前にあることを観察してみよう。 そうすることで今まで当たり前すぎて見ているようで見れていなかった贈与にあふれた世界が見えるはずだ。

#キナリ読書フェス


                    


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