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Stevie Wonder - Songs In The Key Of Lifeが現れた話

はじめに

 今日は、南米や北欧にたまにいるコンポーザー志向の強いテクニカルなギタリストを聴いている流れで、たまたまHarpeji(ギターとピアノの間の子みたいな楽器)をググっていた。そこでこの動画に遭遇。あまりにさっきまで聴いていた楽曲たちにグルーヴが近く、何気なく調べるとなんとStevie Wonderだった……という出来事が先程あった。え、Stevie Wonderってこんな曲やるんですか。

 すぐに曲を調べると、『Songs In The Key Of Life』に収録されている『Contusion』という楽曲であることが判明。言わずとしれた大名盤。『Sir Duke』や『Isn't She Lovely』が収録されているので、流石にジャケットに見覚えはあったが、通して聴いたことがなかったので聴く。

雑感

 久々であった。こんなに集中して、なおかつあっという間だったのは。1976年のリリースからほぼ半世紀。昨日出た新譜と言われてもおかしくない内容に「これが『名作』か……」とひれ伏してしまった。実際は身体を動かし続けていた。単に「名作だから色褪せない」というのはそうなのかもしれないが、なぜこんなに「今の曲」に感じるのか。私は次のような仮説を立てている。

 私の最近の関心事は、リアルタイムの演奏によるプレイヤー同士のコミュニケーションの面白さと、レコーダー、現代でいうならDAWによる演奏を編集するの面白さについて。やっぱり、演奏あってこその音楽だなと最近は感じている。

 この2つのバランス感が奇しくも、20年代に通ずる気がしている。

 日本を見ればベーシストがmoogを持ち替えで弾き、グランドピアノの上にJUPITER-8を置く世の中である。そして、ドラマーはパッドをドラムセットに組み込む。

 バンドというか演奏に何かしらの「録音素材」を組み込むという点では、後日多重録音して素材を足しているのも、リアルタイムでサンプルパッドを鳴らすのも実は近しいように思える。そういう手法の楽曲が特に最近多いように思える。だから聴きなじみがあるという仮説である。

 特に私がここ数年聴いていたアーティストはファンクやフュージョン、あるいはそういう要素を内包したジャズなどであった。そうして出会った最近の曲にも影響が色濃く残っているからこそ、古く感じないのかもしれない。

タイミング

 さて、アルバムの内容ももちろんだが、私はこのアルバムとの接触の仕方やタイミングが印象的な体験だった。

 突然だが、私は所謂「名盤」のようなものを聴いて楽しかった経験はほとんどなかった。しかし、今回は例外だった。本当にいい時間を過ごした。1時間45分という決して短くない時間がずっと心地よかった。

 VulfpeckだのSam WilkesだのJacob Collierだのいろいろ聴くうち、知らないうちにこのアルバムを味わえる耳に整っていったのかもしれない。意外とSPECIAL OTHERSとかも頭によぎっていた。

※※※

 「聴くことそのもの」が不思議な体験だった。初めて聴いたはずなのに、ずっと好きだったかのような感覚。家でレコードが鳴っているような家庭ではなかったので、本当に初めてである。

 前に聴こうとしたときは、こんな気分にはならなかった。それはたぶんまだ、私がこのアルバムを受け取る準備ができていなかったのだろう。

 私は、今日『Song In The Key Of Life』を聴けたことを幸運に思い、感謝している。たぶん、今だから、こんなに心地よく受け取れたのである。今日まで聴いてきた曲が導いてくれた。YoutubeもSpotifyも捨てたものではない。アルゴリズムの導きに身を委ねることで出会える大事なものもある。

 名盤はディスクガイドから会いに行くものではなく、機が熟せば目の前に現れるものなのかもしれない。今日の私がたぶんそうであるように、然るべきタイミングで眼の前に現れるのだ。

名盤を迎え入れるために、日々のリスニングは続く……。

と、いうようなことを書いてしまいたくなるくらい、気持ちよかった。

ごちそうさまでした。


 

 
 


 



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