マガジンのカバー画像

「発達障害」を背負わない(55本おまとめパック)

55
社会人になってASD(自閉スペクトラム症)と診断された筆者が、「発達障害」を背負うことなく、ありのままに生きるという”体現”そのものをつづります。 それは、これまで言葉にすること…
2022年4月〜9月にかけて同名の定期購読マガジンで掲載した55本をまとめて読めるパックです。一部…
¥980
運営しているクリエイター

#コラム

誰かではないnobody nowhere(わたし)のうたを、うたっていたい

mie
2年前
8

「社会をする」ために「書く」ことを守っていく

連休がある方もない方も、5月、みなさんいかがお過ごしですか? 個人的なことや家庭内でのど…

mie
2年前
15

「ズレ」ていることに人一倍敏感なのに、どこが「ズレ」ているのかには鈍感だった

mie
2年前
11

過去の自分との手のつなぎ方 ”自己理解”が苦しい方へ

mie
2年前
11

見えない「ブレーキ」への理不尽、深まる孤立

わたしは、ものごとを考えるペースが、普通の人のそれ以上に速いらしい。 たとえるなら、マッ…

mie
2年前
12

誰もが当事者であるということについて

mie
2年前
18

「被害者」をひもとく◆「被害者」になってわかった、マジョリティーに寄せようとされていく違和感と見えない差別のこと

※この文章には、性被害を想像させる表現などが含まれています。ご注意ください。 わたしたちは、テレビをつけたりネットでニュースを見たりすれば、「被害者」ということばを聞いたり目にしたりしない日は、おそらくないだろうと思う。 それだけ身近で日常にも浸透している「被害者」ということば。 けれども、人は、そんなかんたんに「被害者」になっていくわけではないということを知った、わたし自身のある経験があるので、きょうはそのことについて書いてみたい。 あるとき突然、「被害者」になった

「ほっこりしている場合なのか」と問い直していきたい

mie
2年前
11