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Legal Negotiation - 法交渉学のまとめ

私は2021年7月から米国ロースクール(LL.M.)に留学し、2022年春学期に「Legal Negotiation - Theory and Practice (法交渉学の理論と実践)」を履修しました。それをきっかけに法交渉学に関する複数の書籍を読みましたので、講義で学んだ理論や書籍を通じて得たナレッジを整理し、またこれまでの自分自身の経験も踏まえて自分なりに再構築したものを記事にしています。

契約交渉などの場面では、以下について無意識的に実践している方も多いかもしれませんが、改めて体系的に理解することは有益と思い、また私自身の理解を深めるためにもフィードバックを頂けると有難いと思い記事にしました。少し長くなりますがご覧頂けると幸いです。

1. 基本的事項

1-1. 交渉の時系列

交渉が進むStepは複雑なものではなく、無意識的に実施されていることも多いかと思いますが、交渉準備→相互の情報交換→提案→交渉→提案→交渉→…と一定のステップを踏んでいるといえます。

1-1. 交渉の時系列

しかしながら実際の交渉の場面ではこういったステップの認識、そして事前準備・情報交換が不十分なまま提案・交渉に突入してしまう、ということに陥ってしまうことがあります。より好ましい交渉結果を得られるようにするためには、当然ながら事前に準備すべきこと・検討すべきことについて理解し、入念な事前準備を行うことが肝要となります。

1-2. 二つの交渉スタンス

交渉学の世界では交渉スタンスとして大きく二つに分類をしていることが多くあります。その二つというのが(1)敵対的志向(Adversarial) (2) 問題解決志向(Problem-Solving)の二つです。

「交渉」というと、交渉相手との綱引きでできるだけ自分の方に引っ張る(一方が得をする分、もう一方が損をするゼロサムゲーム)といったイメージを持つ方もおられるかもしれませんが、それがここでいう「敵対的志向」です。(「分配的交渉」などと呼ばれたりもします。)

一方で、交渉はゼロサムゲームではなく議論や協議を通して、両者の真のニーズを明らかにし、それを満たすことができる手段を探すという「問題解決志向」がもう一つの交渉スタンスです。自らの利益を最大化するためにも、多くの人が陥りがちな敵対的志向よりも、問題解決志向が望ましいとされています。

1-2. 二つの交渉スタンス

ただし敵対的志向で交渉せざるを得ないケース、交渉要素も存在すると考えられます。その一例が、長期的関係を必要としない相手との交渉であり、紛争解決時などが該当します。そのため場面に応じて二つの交渉スタンスを使い分けられるようにする必要があると考えます。

1-3. 合意可能な範囲(Bargaining Zone)とBATNA

・合意可能な範囲(Bargaining Zone (BZ))
これは交渉当事者が合意できる範囲を指します。各当事者の合意できる最低ライン=Reservation Price(RP)があるところ、そのどちらも満たすことができる範囲を言います。

1-3. Bargaining Zone

そのため、自分自身のReservation Priceを正しく設定し、相手方のReservation Priceを可能な限り正確に予測することで、当該交渉における合意可能な範囲(Bargaining Zone)を推測できるようになります。

・BATNA
これはBest Alternative To a Negotiated Agreementの略で、日本語表記ではバトナと呼ばれます。つまり最良の代替策、交渉決裂時の代替案です。

例えば、車の売買で「今の交渉相手に売らなくても、別の相手が100万円で買ってくれる」時に「別の相手に100万円で売ること」がBATNAに該当します。この場合、売主は100万円以下で売る動機がなく、売主のReservation Price(RP)は100万円になります。

このようにBATNAを検討することで、その交渉に絶対の合意しないといけないのか、それとも別の方法で代替・充足できるのか(どの程度強気で臨めるか)、目の前の交渉において自らが合意すべき最低ライン(Reservation Price:RP)が何かといったことが把握できるようになります。

以上を踏まえて、次項からはより有益な結果へと導くためのポイントを明らかにしていきます。

2. Bargaining Zone

2-1. Bargaining Zoneの予測

上述したように、交渉の準備として自ら/相手のReservation Price(RP)を設定/予測し、Bargaining Zone(BZ)を推測することになります。その後に新たに得られる情報などからRP・BZの予測を必要に応じて修正しながら交渉を進めていくこととなります。

2-1. Bargaining Zoneの予測

2-2. Bargaining Zoneの拡張

Bargaining Zoneを予測しただけではなく、それを拡げることこそ問題解決志向の実践です。議論対象となっている要素以外も検討することを通じて、互いの真のニーズを捉えて満たすこと、更には全体の利益増大を図ることで交渉結果をwin-winのものになるように近づけていくことになります。法務としてはここが腕の見せ所と言えます。

具体的には(1)両者の違いに着目してアイデアを探す、(2)論点・条件を操作する、という方法があります。

2-2. Bargaining Zoneの拡張

仮に一つの論点でお互いに落としどころが見つけられず交渉がスタック(停滞)していたとしても、一歩引いて検討をするとアイデアが出てくるということも考えられます。法務部門としては、事業部門よりも取引を客観視できる立場を活かして、こうした着眼点を持って検討する癖をつけることで、事業に貢献できる機会を増やしていけるものと考えます。

3. Persuasion 交渉における三つの武器

交渉においては、Persuasion(説得)が非常に重要です。これは「こちら側の思い通りに動いてもらう」ということだけを意味するものではありません。もしこちら側がどんなにいい提案を持っていても相手を納得させることができなければ、妥結には至ることができません。その意味で、適切な方法で相手を説得するものも一つの重要な技術と言えます。

そのための手段として挙げられるのが、(1)情報交換、(2)Power、(3)Fairnessの三つです。

3. Persuasion 三つの武器

3-1. 情報交換

情報交換を通じて相手を説得するというのは、相手が自身のReservation Priceを決定するにあたって基にした情報に修正をかけるということを意味します。

自身のRPを決める材料となる情報は大きく二つに分けられます。
(1)事実情報(BATNA、対象物の客観的価値)
(2)主観的価値(対象物の主観的価値、当事者が考える重要性を指し、交渉相手のそれとは異なる)

相手の持っている事実情報(と思っているもの)が、実際の事実と異なっているのであればそれは訂正をすることになります。これにあたっては周辺情報と併せてこちらの提示している情報が正しいものであり、交渉相手の認識している事実情報に誤りがあることを丁寧に説明する必要があります。

一方で相手の持っている主観的価値については、正しい/誤っているという世界ではないため、情報の提供の仕方や併せて提供する情報の内容を工夫することで、相手の持つ印象を操作することになります。

その際に留意すべき観点として以下があります。交渉心理学とも言われるものですが、人間は常に合理的な選択ができるわけではありませんので、こうした傾向を把握しておくことは有益と考えます。以下表では一般によく挙げられるものを一枚にまとめてみました。

3-1. Persuasion 情報交換(交渉心理学)

3-2. Power

LL.M.の講義では「Power」と表現されており、適切な和訳が浮かばないのですが、諸刃の剣とも言える威圧的行為、と表現することもできるかと思います。

具体的にどういうことを指すかというと、合理的に相手方を説得するのではなく単に「この金額でないと合意できない。これで合意できないなら交渉決裂である」という強気の交渉姿勢を指します

これにより、相手方が想定しているこちら側のReservation Priceを確定させることでBargaining Zoneを操作することができるメリットがあります。一方で、あまりにこちら側に有利な条件を出す場合には信頼関係破壊につながるおそれがあり、またその後の譲歩が難しくなるためこちらがコミットした条件で相手方が合意できない場合に交渉が決裂してしまいます。(実際は合意できた余地があるにもかかわらず、です。)

そのため、Powerを行使するのは慎重に行う必要があります。ただし、二つの交渉スタンスのうち、敵対的志向を選択する場合には比較的使いやすい戦法と言えるかもしれません。

またこちらから提案をした後にひたすらに待つ、というのもPowerの行使方法の一つです。この待つ手段は相手方が合意したい期限を持っている場合に有効となり得ます。合意したい期限があるということが相手に知られると弱みになるので、このあたりの情報の出し方には注意が必要だと思います。(といっても取引においては、プロジェクトスタートのタイミングなどを考えると期限が明らかになっているケースも多いとは思います。)

3-3. Fairness

これは相手を説得する際に有効な説得材料となる基準/要素です。妥協案が一定のFairnessを持っていれば、それを受け入れる側にとって感情的にも受け入れやすくなります。また相手が企業などの組織であれば、Fairな条件であることがそのまま相手方組織内での説明材料にもなり得るため、その意味でも有効なものといえます。

FairnessといってもEquality、Equityなどいくつかの考え方があるところ、以下画像で整理をしています。Fairnessの観点は、説得時だけでなく提案を検討する際のアイデア出しの際にも使えるものと思います。

3-3. Persuasion Fairness

4. Trust (信頼関係)

交渉においては「相手を信用できるかどうか」は非常に重要な要素です。この信頼が無ければ、相手方が提示する情報を信用できないかもしれませんし、こちらから情報を提示することも躊躇してしまいます。

4-1. 信頼関係と交渉スタイル

交渉においては、可能な限りOther-Regardingのスタイルで交渉に臨む(もしくは、臨んでいると示す)ことが信頼関係構築に役立つとされています。Self-Interestedのスタイルであると相手が判断すると信頼関係が毀損されるため、自己の利益に固執して信頼関係に傷がついていないか、注意する必要があります。

4-1. 二つの交渉スタイル

4-2. 信頼関係構築の阻害要因とその対策

信頼関係構築と口で言うのは簡単ですが決して一筋縄ではいかず、複数の障害・困難が存在します。それぞれの困難に対して取るべき対策を知ることで、交渉相手との良好な関係構築に活かすことが整理できると考え、以下表のとおり整理しています。

4-2. 信頼関係構築における五つの障害とその対策

5. Emotions of Conflict (感情的対立)

5-1. 感情的対立が交渉に与える影響

交渉においては提案内容そのものももちろん重要ですが、当事者の感情も交渉結果に大きな影響を与えます。良い雰囲気で交渉ができていれば良いのですが、ネガティブな感情を抱くと交渉にもマイナス影響を与えます。

例えば相手に対してAnger(怒りの感情)を覚えると、自身の目的達成よりも、相手の目的達成阻害に強いモチベーションを抱いてしまいます。またFear(恐れの感情)を抱いていると必要以上にリスク回避的になってしまいがち、と言われています。

5-2. 感情的になる心理的バイアス

交渉するにあたって感情的になることは有益でないことはなんとなく理解していても、場面によってはどうしても感情的になってしまうことがあると思います。以下はそうした感情的になってしまう原因となり得る心理的バイアスであり、相手だけでなく自分自身がこれに陥っていないか自省することは有益と考えます。

・Correspondence Bias/Fundamental attribution error:人は困難に直面した時に状況のせいではなく、相手方の気質・性質・悪意のせいだと考えがち。
・Naïve Realism:人は事実をありのまま理解しているという誤解をし、バイアスを疑わずに過ごしてしまう。 悪意によるものと理解したまま進むと、感情的なConflictが強化されてしまう。
・The Desire for Interactional Justice:人間は世界が合理的に回っていると考えたがる。 嫌いな相手の良い行動は矛盾しているように思え、「その行動には裏がある」など、事実と異なる自分独自の解釈をしてしまいがち。

5-3. 感情的対立を避けるための手段

抽象的かつ当たり前のものばかりになってしまいますが、感情的対立を避けるための手段として考えられるものを挙げます。(LL.M.の講義でもこの辺りは簡単にしか触れられず、あまり具体の話はありませんでした。)

・丁寧な説明:「ここまで言わなくてもわかるだろう」の積み重ねで誤解が生じ、それに起因した感情的な対立が生じてしまうことがある。認識齟齬が生じないようにする十分な説明を常に心がける。
・傾聴姿勢:相手の発言を注意深く聞くだけでなく、その姿勢を示すことも重要。「話せばわかる」と思ってもらうことができれば、感情的対立に至る前に議論・協議ができる。
・相手へのリスペクト:相手の専門性・地位に敬意を払うこと。さらに相手が「自分の意見は自分でコントロールできている」という実感を持ち続けてもらうために自律性(Autonomy)を奪わないことが重要。

6. 交渉における外部弁護士の活用

交渉において外部弁護士と連携をする場合、コスト以外の面でもメリット/デメリットの両面が存在します。コストが理由となり外部弁護士の起用を行わないケースも多いですが、その他のメリット/デメリットを把握しておくことも重要です。

(法交渉学の分野では、弁護士自身の関わり方も法曹倫理(特に利益相反)の観点からよく語られるのですが、私自身が企業の法務部門で働いていることから、その観点は省略してしまっています。)

また講義やそのほかの書籍でも「外部弁護士」という語られ方をしていますが、これを法務部門と置き換えて考えることもできると思います。法務が交渉に直接出るかどうかは会社の方針によるところも大きいと思いますが、これまでは表に出ていなかったのに出ていく、という場合にはメリデメの検討も含めて行うべきと思います。

6. 外部弁護士の活用

(デメリットの「個人の性格」については自戒の念を込めて。ある程度交渉の方針をコントロールできるようになると特に気を付けないといけないなと感じます。)

参考図書

最後に参考とした書籍を紹介したいと思います。特に3番目の「交渉の作法」は自信を持ってオススメできるものです。

Negotiation: Theory and Strategy

参考までですが、講義で教科書として利用した書籍はこちらです。講義の担当教授が執筆したものです。(その教授は現在は学長を務められています。)


Getting to Yes

研修先の同僚に交渉学のオススメ図書を聞いたところ、多くの人が挙げたのがこの書籍です。先に紹介した教科書はさすがに高額かつボリュームがすごいこともありますので、英文で交渉学を学びたいという方であればこちらの方が最初にオススメできるものになります。


交渉の作法(法交渉学入門)

和書ですとこちらの書籍がよくまとまっていると思いますのでオススメできます。私が受けた講義の内容と一致する部分も多く、日本語で理解を深めるにあたって助けになりました。個人的には、新版やさらに深堀したものが出版されることを期待しています。


BATNA 交渉のプロだけが知っている「奥の手」の作り方

こちらは特にBATNAにフォーカスして深堀している本です。具体例が多く、BATNAを実際にどのように検討・活用するのかがイメージできるようになります。法交渉に限ったものではありませんがご参考まで。



以上です。この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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