悩みは尽きない協力隊の活動
キラキラしているように見える協力隊生活にも、その裏側にはそれぞれの悩みがたくさんある。
最近はそんな悩みもなく、自分の活動に誇りをもち、できることをやってきたつもりだ。
ICTで頼られることも多く、自分がここへ来た意味、そしてやりがいを感じていた。
やる気のある先生が多く、質問をしてくれる先生もたくさんいて、来訪者も多く、その準備を一緒にしているからということもある。
しかし、今回はそんな中でもドッと疲れる、『何のために?』という出来事があった。
それは先月のスタディーツアー来訪の手紙から始まった。
来訪するのはいいのだが、そのレター(来訪しますの手紙)に私の授業観察と書かれていたようだ。
もともと私は授業者ではなく、授業を補助する役割としてここにきている。
しかし、その手紙の解釈の違いから、私が授業するんだよね?という人がちらほら。
もはや私はそのスタディーツアーをお願いしている人と連絡を取っているため、全てを知っているのは私の方だ。(笑)
しかし、他の先生(後に出てくる先生)が私がやるんだと、違うと言ってもキリがないので私が授業者を行うことを承諾した。(やりたくないわけではないが、先生のための良い機会かと思い提案したのだが。笑)
なぜその他の先生が何度も言ってきたかというと、その次のスタディーツアーをお願いしていたクラスの先生だからだ。
今回、私がやればその次も自分がやらなくてすむと思ったのだろう。
そんな出来事もあったため、そのクラスの授業の進め方を懸念していた。
そして2週間も先のことなのに何度も私のクラスへ来るのか確認もしてきた。
正直、単元でこのクラスを選んだが、そんなにも嫌ならば、他のクラスにお願いするよ!と言いたくなるくらいの態度だった。
そしていよいよその単元に入るとき、トモが来て教えてみな!みたいなことを言われ、私も本番前に良い機会だと思い教えることに。
その意図としては、お互いにどのように助け合うのかの確認と、その先生への模擬授業のためであって、今後どのように教えればいいのかのヒントになればいいなと思い引き受けた。
大抵の先生は、私が授業を行う時は隣にいて必要があれば通訳をしてくれていた。
しかしそのクラスの先生は1番後ろの席に座り、何をしだすかと思ったら成績処理をし始めていた。
授業が始まってからも、少しラオス語の補助をしてはくれるものの、学ぼうとか、全力で助けよう!などの素振りは一切なかった。
今回は繰り下がりのある引き算。どのように計算するのかを教材を使いながら何度も繰り返し、声に出していう授業。
子どもたちに考えさせるためにわざわざ穴埋めにしても答えを先生が言ってしまう。
仕舞には携帯をいじり始めていた。
授業を私がやることに対しては何の文句もない。
むしろ、少しでも授業の教え方のヒントをもらってくれればいいと思っている。
しかし、授業をやらせる理由として自分が楽をするためなら、申し訳ないけど私はやらない。
なので終わった後に、明日は自分で教えてね。と伝えた。
このやり方が良かったとは思わないが、久しぶりに自分がイラっとするような出来事であった。
今日はいったん距離を置いたがまた明日からの活動に向けて気持ちを切り替えなければならない。
協力隊は悩んでなんぼ。その悩む時期を超えれば、やっていて良かったと思うこともあるかもしれない。
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