見出し画像

厳冬に氷瀑にいく。それがわたしの仕事

 飽き性の私が、細々とながら好きで続けていること。
 文章を書くこと。旅をすること。一眼レフで写真を撮ること。

 大学生の頃、好きな事は一つも仕事にしたくないと思っていた。
 だって絶対仕事って辛い。仕事にして辛い目に遭って、好きな事を嫌いになりたいくない、って思っていた。

 29歳。地方の新聞社にIターンで新卒入社し、4月で丸5年。

 文章を書くこと。旅をすること。一眼レフで写真を撮ること。 
 なんでか結局、全部仕事でやっている。嫌いには、なっていないと思う。

  +++

 2022年1月19日午前6時。
 スマホのアラームで目を覚ます。頭まで布団に潜ったまま、Googleの検索欄に「気温 《目的地》」と入力し、言葉を無くす。

画像1

 1時間車を走らせた先にある山の気温だ。
 自分が住んでいる地域の気温も氷点下8.6度となかなかの冷え込みだったが、最低気温氷点下26度のインパクトには勝てない。

 人間の活動する気温じゃない。最悪だ。最悪だけど。――いいぞ。
 早起きも寒い朝も大嫌いだが、今日はどうしても、一目瞭然に寒い日であって欲しかった。

 今日の取材記事が紙面に載る、明日20日は二十四節気の「大寒」。
 だから気象記事担当の私は、明日のために「いかにも寒い」写真を撮らなくてはいけないのだ。新聞を開いた人が「うわ、冬なんだな」と思う写真をこしらえなくてはいけない。

 朝起きてこたつでぬくぬくしたり職場で一息ついたりしてる人たちに「大寒=めっちゃ寒い」という空気を届ける、そのために。

 前々から「氷瀑に行こう」と決めていた。昨年は2月ころに足を運んだ場所だが、あまり良い写真を撮れた手応えがなかった。再チャレンジである。

 普段の出勤なら10分ごとにアラームにスヌーズをかけて1時間以上粘り続けるが、腹を括っている日は強制的に目が冴える。タンスからスキーウェアを1年ぶりに引っ張り出して、手袋とネックウォーマーとニット帽を用意して、歯磨きと洗顔は適当に済ませ、申し訳程度に化粧水と乳液と日焼け止めを塗った。どうせ誰にも会わないだろうと眉毛を描くのは諦めた(昼に一時帰宅して描いた)。朝食はコンビニで調達することにする。

 6時40分。自宅を出る。今年最初の満月が雪化粧をした山々を照らしていて、外が明るかった。雲一つない快晴。かつ、夜とも夜明けとも付かない絶妙な空の色。信号待ちの間に一眼レフを構えた。

画像5

 コンビニでおにぎりとお茶を買い、車内で音楽をかけて一人でカラオケをしながらひたすら山道を走り、7時40分ころ、目的地近くの駐車場に到着。昨年も訪れた場所だ。滝までの道のりは、股関節くらいまで雪に埋もれた箇所もあったが30分かからずに氷瀑までたどり着けたと、思う。

画像6

 それはそれとして、案内板こそあれど「道なき道を行く」感がすごい。昨年は明確に「道」っぽいくぼみがあったのだが、今年はほぼなかった。雪上に足跡を見つけ「あ、先客がいる。これをたどってこ」としばらくのんきに歩いていたが、途中でそれが獣の足跡だと気が付き笑った。獣も人間と同じく、歩きやすい道を歩いているらしい。幸い道には迷わずに済んだ。

画像2

 氷瀑。滝全体の引いた写真は仕事用なので割愛。良い写真が撮れたのか正直、わからない。自信がない。目で見た滝の存在感と、風に飛ばされてきては即座に凍る水しぶき、静かな林内に響き渡る水の流れ落ちる音、そういうもの全部、1枚に詰め込めるだけの技量が、ない。
 とりあえずあとは、興味本位でひたすらに氷を撮りまくる。やっぱり氷のあおが表現できない。その上、カメラは雪や光といった白すぎる物を目の当たりにすると「これは本当に白なの?(そのまま写して良いの?)」と疑うらしく、妙な色を被せて世界を切り取ってくる(私がマニュアル設定を怠っているというのも大いにある)。そうじゃない。
 目に映る物をそのまま写真に落とし込むのって、どうしていつまで経っても難しいんだ。

画像7

 30分くらい居座って、退散。帰り道、ふと空を見上げたら白樺の枝と青空があまりにきれいで、そのまま雪の上に寝転んでしばらく眺めていた(その寝転がった跡が、この記事のカバー写真)。

画像3

 寝っ転がりながら、5年目なんだなあと考えていた。

 そもそも、新聞記者志望ではなかった。
 大学時代にふと思い立ち、休学し2年間「地域おこし協力隊」をやったのが、今住む県の山村だった。地域の方々に本当に良くしていただいて、風土とか風景とかそういうものが全部好きになった。生まれ育った千葉県でも、通いやすくて仕事も多い東京でもなく、山村の近くにある地方都市でIターン就職しようと決めた。首都圏の会社は一社も受けず、就活では特急あずさをフル活用した。呉服屋、百貨店、学習塾、食品、この地域で働けるならと何でも受けた。

 その中で、お世話になった方たちが「あなたに向いていると思う」「署名記事を見れば、元気なのがわかるしうれしい」と背中を押してくれて、私自身も「内定もらえたらいいな」と思っていたのが、今の会社で、今の仕事だった。とはいえ、自分にジャーナリズムも根性もないことは重々承知していたので、半年経たずに辞めるかも知れないと思っていた。

 実際辞めようと思ったことは(誰しもだろうけど)何度もある。休みは少ないし、拘束時間は長い。裁量労働制だから残業代もなく、どれだけしゃかりきに動いても賃金は変わらない。体調を崩したり、自分の粗忽さから記事で訂正を出したり、相手方からおしかりを受けたり、会社の方針に納得できなかったり、無茶ぶりに苛々したり。ついに昨年末には(仕事とは関係なくだが)潰瘍性大腸炎を患い、持病持ちになった。

 でもとりあえず、5年が経とうとしている。私は好きだったものを嫌いになることなく、仕事にできている。しあわせなことだな、と青空を見上げて思った。

 昨年9月、読者の方から私の書いたある記事について匿名のはがきをいただいた。大きなキノコが三つ生えたよという記事で、自分でも笑ってしまうような内容だったのだけれど「コロナや災害…次々と出てくる位話題にうんざりだわとTVのスイッチをオフにして広げた新聞に、本当にホッとする思いでした」とつづられていた。スケジュール帳に挟んで、お守りにしている。

 言われ尽くしているけれど、新聞は斜陽産業だ。スマホがあれば、ニュースもトレンドも、欲しい情報なんてすぐに手に入ってしまう世の中で、忙しい日々の合間に新聞を開いて隅から隅まで読む人がどれほどいるのだろう、と思う。

 でも、いる。少なくとも、うちの新聞にはそういう読者が、いてくれる。
 ネットニュースにも載らない小さな展示、人知らず賞を受けた人、地域のちょっとした話題や有名人、学校行事、お年寄りと子供たちの交流、ボランティアの奮闘、そういう限りなく日常に近いものを、誰かの日常を、喜びを、共有したいと紙面をたどってくれる人たちがいる。夏場、「変な形の野菜が採れたから取材に来てくれ」と言われるのが(殺到すると大変だけど)私は好きだ。地域の新聞社での記者という仕事は、びっくりするくらい喜びとか幸せとか思いやりとか、あったかいもののおかげで成り立っている。新聞記者になりたかったわけではないけれど、私はこの仕事に就けてよかったな、と思う。

 正直、記者職を続けて行く自信はない。転職サイトにも登録してるし、毎日求人案内のメールが来る。読みもせず通知が来ればアーカイブ行きにしているのはあくまで「昨日や今日の私」であって、「明日の私」はどうなっているかわからない。

 でも、とりあえず今日は仕事したな(午後も仕事あるけど)。明日の紙面には、今日の私が書いた記事が載っている。今日やったことが明日朝には形になっている、というスピード感はなんていうか、すごい。どんどん振り返らず前にぐんぐん歩いてきた感じ。

 雪道を一心不乱に歩いて滝を目指していた自分を思い返し、なんとなく帰りは何枚も足跡の写真を撮った。

画像8

 会社に帰ってから、データベースで自分の記事をざっくり数えたら、2500件あった。無記名記事を足すと、3000くらいにはなるかもしれない。
 記事って、私の足跡だな。
 たくさん書いたな。

  明日は「大寒」の記事を書きます。
 大寒が終わったら、もう「立春」。何を撮ろうか、考えないと。

画像4

 雪ぐつはソレル・カリブー。村暮らしから私の足を守り8年目。丈夫。

 弊社がわかっちゃった方、そっと見逃してやってください。気が向いたら、コンビニで明日の新聞買ってもらえると、うれしいです。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,489件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?