素問 四気調神大論篇(1)
春夏秋冬の四季。人はその天地の気に調和して生活しようということが述べてあります。季節に応じた養生のお話なんだけど、いろんな意味に解釈できる面白いお話です。
春は立春から立夏。古きを押し出して新しきを出す季節である。天地ともに生まれ万物が栄える。人は夜に床に入り、朝早く起き、広く庭を歩み、御髪をとかし、身体をゆったりとする。そうして志を起こし生じさせる。これを殺してはいけない。奪ってもいけない。大いにこころを励ましても罰してはいけない。これが春に順応する養生の道である。これに逆らえば、肝を傷ぶり、夏に寒くなるような病になるだろう。夏の成長の気力を失うからだ。
これ春という季節に限定しないで、自分が何か望みが沸いたときにも通じるます。
東洋医学にはフラクタルっていう考え方があり、人体をお腹に投影してその病態を把握したり、耳に投影してツボを押したりします。
同じように考えて、この天地を人体に投影して考えてみることもできるでしょう。
自分から何か望みが沸いた春。その望みを殺してはいけない。奪ってもいけない。褒めることがあっても罰してはいけない。それが養生というものだと解釈できます。
そんなのできるわけないじゃん。無理に決まってる。
そういって自分を殺してはいけないし、人の望みを奪ってはいけないと。自然の流れを乱して、病になる行為だと先人も言っています。意外とやってませんかこれ。
そうして希望を奪われた人は、こころを固くして循環が滞って病気になると。いわゆる現代病の鬱と重なります。
夏の立夏から三か月。草木は茂り栄え華やかな美しい季節である。天地の気は交わり、万物は花さき実る。夜に床に入り早起きし、嫌な気持ちを持たず、怒らないようにする。植物が咲き繁盛るのように体内の陽気を外に発散させる。これが夏に順応する長生の道である。これに逆らえば心を傷り、秋流行り病になる。収気に適応できず、冬になると再び病む。
自分から沸いた望みを夏咲き誇るあの繁みのように発展させていきます。嫌な気持ちはいけない。怒ってもいけない。それが長生というものだと。
春に生まれた望みをパン生地のようにコネコネもみもみする夏。
お金がかかるじゃん。こんなの時間の無駄じゃん
というツッコミで、嫌な気分になってませんか。人目も脇に置いて、望みをブラッシュアップする時です。
秋の三か月。万物が成熟し収穫の季節である。天気は涼しく風は急に吹き、地気は清粛して万物は色を変える。早寝早起きをして、鶏のように夜明けとともに起き日が暮れると眠る。心を安寧させて、秋の粛殺の気候を身体になじませて、神気を収斂し秋気を和ませる。これが秋に順応する養収の道である。これに逆らえば肺を傷り、冬消化不良で下痢をし、潜伏閉蔵する力が弱くなる。
盛り上がった気持ちで見えない気95%を動かしたら、実りの秋です。気持ちを落ち着かせて、カラダも充分睡眠をとってリラックスする。これが秋の過ごし方。そうすれば5%の見える気が現実に現われるでしょう。
早く現実化したい!と無駄に行動に走ってはいけません。消化不良になるだけです。こんなことしたかったんだっけ?っととんちんかんな結果になりかねません。
冬の三か月。万物は潜伏閉蔵する季節である。水は凍り地を裂く。人は陽気を乱してはいけない。早く寝て遅く起き、太陽を待ち、潜伏するように隠れるように安静にさせる。私情があるように得があるかのように、寒さを避け温かくし、汗をかいて気を奪うことをしない。それが冬に順応する蔵気を養う道である。これに逆らえば腎を傷り、春手足が軟弱で冷え、生命を生むの力が弱くなる。
冬は明るい時間が短くなります。それと同じように充分睡眠をとって静かに過ごしましょう。それが冬の過ごし方。ここで蔵気を養うと、春また生命力が沸いてきます。
これが語られたのはなんせ二千年前の話。冬の寒さは命に関わるほどの厳しさと容易に想像ができます。現代は冬でも、エアコンにヒーターに電気ストーブにアンカ。室内では春のように過ごせます。だから現代人の生活にそのまま当てはめるのは無理がある。
人々の心の中のことだとしたらどうでしょう。望みを叶えて実りを得た後はゆっくりと振り返り、心とカラダを休める時期と読み替えれば、今にも十分生かされる内容です。
現代人は次から次へとやるべきことが襲ってくる。休みもそこそこに忙しく過ごしていると、いつまで頑張ればいいんだろうと我に返るときが来ます。次の春の向けて芽吹く体力もなくなってくるでしょう。実際に病気になってドクターストップになることもあります。
養生法として有名な篇ですが、いろんな解釈を想像させる面白い章です。
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