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時間が残り少ないことを自覚する

【6月10日(月】
今日は『時の記念日』

大正9年(1920年)に東京天文台(国立天文台)
と(財)生活改善同盟会によって制定された記念日

時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・
合理化を図ろうという趣旨で制定されたもの。

なぜか毎年朝食の席で
「6月10日は時の記念日」
と、高らかに宣言している祖母の姿が
目に浮かぶ。
ポカ〜ンとなってる孫たちのことなど
おかまい無しなのも、毎年のことだった。
祖母にとっては大事な日だったのかな。

腕時計、掛け時計、スマホ、街中の時計など
時間を確認する術が身近になる現代と違って、
お昼の鐘とか夕方の帰宅時間を促す鐘などを
合図に生活していた頃はざっくりした時間配分。
明るくなったら起きて、暗くなったら寝る。
そのころと比べたら、いまはどれほど時間に
追われているかわかる。

効率よく仕事をこなすために、
分刻みでスケジュールを組んで、
その隙間時間にも何かを詰め込む。
できる女みたいでカッコいいって思っていた
こともあったけれど、疲労感が半端ない。
歳を重ねるごとに無理がある行動だと自覚する。
それと同時に、この先の時間のことも考える。

これから先、そんなに時間はない。と

あ、別に体調が悪いとか死が迫っているとか
そういうことではないけれど…。
できることが少なくなっていることを
自覚してきた。
年齢制限然り、目の老化然り。

残りの時間でやりたいことってなんだろう。

実家に帰りたいな〜。
草の上に寝転んで茨城の空が見たい。
疲れてるのかな、精神的に。

小さい頃。
実家の家の作りはとても変わっていて、
秘密基地みたいだった。
隠し部屋みたいな部屋がいくつかあって。

そのひとつに、3畳くらいの細長い部屋が
あった。曽祖母が農作業をやらない雨の日
などに縫い物をしていた部屋で、
「さいほじょー(裁縫所)」って呼んでた。
曽祖母に針の通し方や運針を教わって、
手縫いで袋を縫ったりして遊んでいた。
曽祖母が部屋を出ても縫い続けていて、
集中しすぎて部屋も外もうす暗くなって、
「あの子はどこに行った?」
と家族中で大捜索していたこともあったっけ。
呼ばれても聞こえないって、どれだけの
集中をしていたのかと笑ってしまう。

家庭科のせい?で、縫い物が苦手な時期を経て
なぜか今すごく縫うことにハマっている。

時の記念日にふと思う。
あれ?本当は縫うことが好きだったのかな?


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