見出し画像

「美味しい」は味が美しいと書く

誰かとご飯を食べた時、
「美味しい」と口にすることが多いのではなかろうか?
実際にそう思っているのか、
そうとでも言っておかないと場がもたないと感じているからなのか、
場面によってその意図は異なるだろう。

タイトルにも書いたが、
「美味しい」は味が美しいと書く。
まともに読める字の組み合わせでない。
なぜこの字を当てたのか、口に合う等の別の表現がある中で、
もっともこの表現が使われるのはなぜだろうか?

僕は一人暮らしで、自炊はまあまあする方だと思っている。
しかし、自分が作ったものを食べると、
何だかエネルギーが吸い尽くされてしまいそうで、
外食をすることがある。
(念の為言っておくが、決して不味いからという訳ではない←)

この前の新年会でのことである。
みんな何かを持ち寄って参加するスタイルだったのだが、
そこで食べた餃子は今思い出せる中で最近一番美味しかった。
とはいえ餃子の特徴は手作りだったことくらいで、
自分が遅刻した関係でやや冷めていた。
それでも美味しかったと自信をもって言える。

辞書にはこう書いてある。

美味しい…食べ物の味がよい。自分にとって都合がいい。
美しい…目、耳、心がうっとりさせる感じで訴えてくる。
うっとり…心を奪われて、ぼうっとしているさま。また、気抜けしたさま。

つまり自分なりに解釈してみると
美味しいって、「味がよく、気張らない状態でいられること」な気がする。

食べたことのないような味を美味しいということもある。
でもそれはその味に慣れてないことに由来すると思う。

ちょっとしか出てこないコース料理。
あんまり食べられない立食パーティー。
それでも満たされている感覚的に出会えるのは、
物理的な食べ物だけでなく、
そこに流れる時間も一緒に満たしているからなんだと思う。

一方で食べ放題で吐くほど食べてしまったり、
家で食べてて、ご飯以外にもついついアイスやおやつに手が出るのは、
食べ物以外で心と体を満たすことができなくなっているからだと思う。

丁寧な暮らしというものは、
質素で落ち着いているものという印象が強いかもしれないけど、
物理的だけでなく精神的にも自分を満たす
いい意味で自己中心的な生き方なのかもしれない。

自分を自分を満たせるようになりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?