SFの話

彼は大仰なマスクを付けて現れた。

「死にたいのか」

全く防護していない僕の格好を見て彼はそう言った。その声はマスクのせいでくぐもっている。

「死ぬときは死ぬよ」

僕らは歩きながら話す。瓦礫は道の端に寄せられていた為、僕らは道の真ん中を歩いた。空は蓋のような分厚い雲に覆われ、街は陰鬱としていた。

「死ぬのは怖く無い?」「どうだろう。分からないな。でも、もしお前が死んだら僕は泣くと思うよ。お前の為に涙を流す。そのくらいで良いんじゃ無いかな」「俺もお前が死んだら泣いてやるよ」「頼む」

実際の所、死んだ後のことはどうでも良かった。そこに自分は存在しない。今では多くの国で安楽死は当たり前であり、死というものに対する実感が鈍っているのかもしれなかった。

目的のカフェについた。カウンターで指紋認証を行う。指紋認証といっても指先の皮脂を採取され分析され僕らが寄生されていないことを証明する儀式だ。僕たちは共にクリーンだった。

「で、なんで呼び出したの?」「ここのコーヒーが飲みたかったんだよ。本当にそれだけだよ」「リモートで良いじゃないか」「リモートだとこの机の木の感触も分からないし、店内のコーヒーの香りも楽しめないだろ」

彼は釈然としない表情を見せたが、マスクを外し、午後のティータイムに付き合ってくれた。

「どう思う?」「どうって?」「この災害について。人類は何か変わったかな」「さあ、どうだろう。初めは戦いだったけど今は共生してると言えるんじゃないかな」「共生?あいつらは人を殺してる」「2割の確率だろう。それに人間側も奴らを殺そうとしてる。多分それで均衡がとれてるんだよ」「均衡ね。あいつらは一目にはそれと分からないし卑怯だと思わないか」「生態系の頂点に君していたホモサピエンスがその座を少し明け渡しただけじゃないかな。これだけ慣れてくるとこの世界が当たり前だったんじゃないかと思えてくる」

それから2時間ばかり、人類とその見えない敵についてぐだぐだと喋り続けた。

店を出ると彼はコーヒーが美味しかったと言ってくれた。雲間から真っ赤な西日が差していた。西日を背に帰路に就こうと踵を返した途端、僕の右頬に大量の液体が降りかかった。血だった。

柱の影から伸びた触手が彼の顔面をマスクごと貫通していた。触手は分岐して彼の体内に入り込んでいるだろう。彼と僕の距離は1メートル。全ては手遅れだった。

「せめて泣く時間くらい欲しかったな」

彼の腕が僕の頸を刎ねた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?