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毎年新品の教科書を買うなんて、チョーーーもったいない

フィリピンの小学校では教科書を使い回す。
公立小学校だけの話かもしれないが。

これ、言われてみると当たり前のような気がする。
子どもの頃、毎年4月にピカピカの新品教科書をごっそりもらっていた日本生まれ、日本育ちの私。

子ども心に、実は、何とも言えない違和感を感じていた。
そんな勉強しないのに、こんなにきれいな教科書をもらっちゃっていいのかなと、思っていたのかもしれない。

教科書を毎年使い回すフィリピンでは、ノートをいかに取るかが重要になってくる。
各科目ごとに、子どもたちはノートを準備するの。
ノートだけで、10冊以上になる。

学校から教科書を借りるので、全てが全て、当然ながら、使い古しだ。
カラーの教科書なんてほとんどない。
紙の質もチープだ。

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そういえば、以前私が現地で授業をするために色々とまとめて記載しておいた紙を配った。
子どもたちは、私の授業というよりも、その紙の質に感動していた。

そして、その授業が終わるやいなや、子どもたちが今度はその紙を集めて私に返そうとした。

当然の事ながらその紙は差し上げたつもりだった。
しかし、フィリピンでは印刷物は先生に返すのが常識だったようだ。

やっぱり、日本の子どもたちは恵まれすぎていると感じる。
文房具に困ることもなく、最近では教室にクーラーも付いているとのこと。
それなのに勉強しない子どもがたくさんいるとは。。

そんな偉そうなこと言ってる私も、子どもの頃は、その恵まれた環境が当たり前だと思っていた。(クーラーは高校卒業までなかったが。。)

話は少し変わるが、
高校生の頃、2年生で柔道が必須だった。
ただ、その1年間しか柔道はやらない。
だから、先輩に、柔道着を500円で譲ってもらった。

そんなことが、教科書でもできないだろうか。
教科書なんて、その該当学年でしか使わない。
翌年になったらもう見る事は無い。
そうなると、そっくりそのまま後輩に譲っても良いのではないだろうか。

教科書バンク的なものを学校内に作り、いらなくなった人たちはそれら使わなくなった教科書をどんどん所定の場所に預けていく。
そして教科書が新品じゃなくてもいいという人たちは、そこから教科書をとっていく。
これ、今すぐにでもできるんじゃないだろうか。

日本の子どもたちは、本当に怖いぐらい恵まれすぎている。
そんなことを言葉で言っても全く伝わらないだろうが。

私もずいぶん贅沢な暮らしをして生きてきた。
子どもの頃はノートの最後のページまで使った事、ないかもしれない。
鉛筆も、書けなくなるぐらい短くなるまで使ったことないかもしれない。

消しゴムなんて、無くしたらすぐ新しいのを買った。

ほんと、日本国内だけに目を向けている状態って恐ろしい。

将来自分で学習塾でも開いたときに、そこへ通う生徒を何人か「勧誘」し、私のコネのあるフィリピンの小学校に留学させてみよう。
現場へ放り込んでみよう。。

最初は恨まれるかもしれないが、20年後ぐらいには感謝してくれるかもしれない、かな。
その前に、生徒みんな辞めちゃうな。。

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